金の無駄遣い…。チェルシー、冬の大失敗補強5選。なぜ獲った? 活躍できずに終わった実力者たち

【写真:Getty Images】

 冬の移籍市場は各クラブがシーズン前半戦に起きた問題を解決するために新しい力を探すチャンスだが、ビッグネーム獲得が必ずしもうまくいくとは限らない。今回はイングランドの名門チェルシーが冬に獲得した選手の中から、失敗例を厳選して紹介する。(在籍期間や成績は『transfermarkt』参照)
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●FW:フェルナンド・トーレス(元スペイン代表)
生年月日:1984年3月20日
在籍期間:2011年1月~2014年8月
チェルシー通算成績:172試合45得点35アシスト

 当時のクラブ記録である5850万ユーロ(約81.9億円)の移籍金でチェルシーに加入したフェルナンド・トーレスはエースとして活躍する…はずだった。

 このスペイン人FWはリバプール時代にプレミアリーグ102試合で65ゴールと大エースとして牽引しており、この高額な移籍金に相応しい華のあるストライカーだった。しかし、チェルシーに加入してからはまさかの大失速。デビューから903分間もゴールを決めることができず、2010/11シーズンの後半戦はわずか1ゴールに留まった。

 それまでトーレスは18歳でラ・リーガデビューを飾ってから9季連続で2桁ゴールを奪うなど、当たり前のようにゴールを量産していた。そんなスペインを代表する点取り屋の低迷を誰が予想できただろうか。チェルシー2季目となった2011/12シーズンからの3年間では一度も2桁ゴールを決めることができず、2014年夏にミランへとローン移籍で放出。その半年後にわずか100万ユーロ(約1.4億円)の移籍金でチェルシーを去った。

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●MF:フアン・クアドラード(コロンビア代表MF)
生年月日:1988年5月26日
在籍期間:2015年2月~2015年8月
チェルシー通算成績:15試合0得点1アシスト

 フアン・クアドラードはフィオレンティーナでシーズン二桁ゴールを達成するなど、セリエA屈指のWGとして評価を高め、多くのビッグクラブが獲得に関心を示していた。そんな右サイドのスペシャリストの争奪戦を制したのはジョゼ・モウリーニョ監督率いるチェルシーだった。3100万ユーロ(約43.4億円)の移籍金に加えてモハメド・サラーを実質的なトレードの形で放出(ローン移籍)することで、獲得にこぎ着けた。

 しかし、当時のチェルシーにはエデン・アザールとウィリアンという不動の両翼がいたため出場機会に恵まれず、プレミアリーグでは2015年冬からの半年間で4試合しか先発の機会が与えられなかった。そして2015年夏にバルセロナからペドロを補強したことでさらに序列は落ち、同年夏にユベントスへローン移籍で放出された。

 ユベントス移籍から1年後の2016年夏にアントニオ・コンテがチェルシーの監督に就任すると、イタリア人指揮官は右サイドのスペシャリストの復帰を熱望。コンテの[3-4-3]の右WBにフィットする適役だったが、クアドラードがイングランドでの生活に慣れなかった自身の親を考慮し、イタリアに残ることを熱望して復帰とはならなかった。仮にコンテのもとでチェルシーに復帰をしていたら、また違ったキャリアを歩んでいたかもしれない。

●FW:リカルド・クアレスマ(元ポルトガル代表)
生年月日:1983年9月26日
在籍期間:2009年2月~2009年6月
チェルシー通算成績:5試合0得点1アシスト

 “魔術師”リカルド・クアレスマのプレミアリーグ挑戦はあっという間に終わってしまった。

 ポルトで数々のタイトル獲得に貢献していたポルトガル屈指のドリブラーは、2008年夏にジョゼ・モウリーニョ監督率いるインテルに加入したが、13試合で1得点2アシストと全く結果を残すことができなかった。イタリア移籍が失敗に終わったクアレスマは、出場機会を求めてインテル加入から半年後の2009年冬にチェルシーへとローン移籍。新天地での復活を目指した。

 ところがイングランドでも結果を残すことができなかった。プレミアリーグではわずか1試合の先発出場に留まると、カップ戦を含めても公式戦5試合でしか出番が訪れなかった。すぐに戦力外となり、3月の試合を最後にクアレスマの2008/09シーズンは終了。逆転でのプレミアリーグ優勝を目指したチェルシーの起爆剤になることができず、半年でロンドンの地を去った。

●MF:スコット・パーカー(元イングランド代表)
生年月日:1980年10月13日
在籍期間:2004年1月~2005年6月
チェルシー通算成績:28試合1得点2アシスト

 現役時代に7つのクラブを渡り歩いたスコット・パーカーにとって、最も難しい期間を過ごしたのはチェルシーでの1年半かもしれない。

 アカデミー時代から過ごしたチャールトンで台頭したパーカーは、2003年11月にイングランド代表に選出されるなど、同国期待の若手選手として注目されていた。そんな逸材は2004年1月にチェルシーへと完全移籍。フランク・ランパードとクロード・マケレレのダブルボランチとポジション争いが期待されての加入だった。

 しかし、この不動のコンビの壁はあまりに高かった。中盤で出番が得られないパーカーは本職ではない右のサイドハーフで試合に出場することが増えたが、慣れていないポジションだったため結果を残すことができず。チェルシー加入から半年後の2004年夏にはアリエン・ロッベンが加入したことでサイドでもポジションを失い、在籍2季目の2004/05シーズンはプレミアリーグで4試合しか出番を得ることができなかった。このシーズン終了後にニューカッスルへと放出されている。

●MF:マニシェ(元ポルトガル代表)
生年月日:1977年11月11日
在籍期間:2006年2月~2006年6月
チェルシー通算成績:11試合0得点0アシスト

 元ポルトガル代表MFマニシェはジョゼ・モウリーニョ監督の秘蔵っ子的な存在だった。

 2人の出会いはベンフィカ時代で、2002年1月にモウリーニョがポルトの監督に就任すると、同選手は追うようにして2002年7月にライバルクラブへと移籍。“スペシャル・ワン”の異名を持つ名将は、この司令塔をクラブの中心に据えて2003/03シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)優勝など数々のタイトルを獲得に成功した。

 そして2006年2月からチェルシーで3度目の共闘がスタートした。ローン移籍での加入ながら背番号7が与えられるなど、かなり期待をされていたが、フランク・ランパードクロード・マケレレジョー・コールら強力MF陣の中で定位置を確保することができず。契約に付随されていた買い取りオプションも行使されることなく半年で退団となった。

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