「みんなの、それからダニ・ハルケのエネルギーが乗った」 イニエスタが生んだ永遠に語り継がれる“116分のゴール”

アンドレス・イニエスタ

 現役引退を発表した元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタが、スペインフットボール史上最も重要なゴールを振り返った。

 2010年7月11日、世界に新たな王が誕生した。EURO2008の王者としてFIFAワールドカップ南アフリ大会に臨んだスペイン代表は、決勝戦でオランダ代表と激突すると、歴史が動いたのはスコアレスで迎えた延長後半11分だった。同試合にスタメン出場した当時26歳のイニエスタは、中盤で一度ボールを触った後、エリア内を目掛けてダッシュするも、左サイドに流れたフェルナンド・トーレスから送られてきたクロスは相手DFにクリアされる。が、そのこぼれ球をセスク・ファブレガスが拾ったのを確認し、ポジショニングを修正。すると、今度は足元に届いた。トラップは若干浮いたものの、ショートバウンドのボールに対して、右足を振り抜く。コースは少し甘かった。それでも、気持ちの乗ったシュートは相手GKの手を弾き、ゴールネットを揺らすには十分だった。これが決勝点となったスペイン代表は、ワールドカップ初優勝を成し遂げたのだ。

 このゴールから14年、スペインのラジオ局『El Partidazo』に出演したイニエスタは、当シーンについて「あの瞬間は、みんなのエネルギー、それからダニ・ハルケのエネルギーまで…。あれを決めるために、すべてがボールに乗ったような気がする」と追憶している。

 イニエスタが口にしたのは、チームメイト、監督・スタッフ、サポーター、家族らを含めたみんなと、そしてダニエル・ハルケという名前だ。南アフリカ大会の約1年前に26歳の若さで急死した戦友とは、10代の頃から世代別のスペイン代表で共闘し、両者は深い友情で結ばれていた。また、同選手がバルセロナのカンテラ育ちに対して、ハルケは同じ街のライバルにあたるエスパニョールのカンテラ出身。クラブレベルでは、敵対する間柄だったが、試合後には度々ユニフォームを交換しており、幼少期から数えると20着以上もお互いのを持っているという。

 だからこそ、イニエスタにとって、ハルケの死がもたらした影響は計り知れない。事実、当時はうつ病に悩まれ、人生で最も難しい時期だったと告白している。そうした中で迎えたのが、先の決勝戦だった。イニエスタはゴール直後にユニフォームを脱ぎ、世界中の注目を浴びる中で「DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS(ダニ・ハルケ、いつまでも一緒だ)」と書かれたアンダーシャツをお披露目した。

 その後、このアンダーシャツはイニエスタの手元から、ハルケの生涯のクラブであるエスパニョールへと寄贈された。そして何より、南アフリカ大会後最初の“バルセロナ・ダービー”での一幕は、永遠のライバルを憎しみ、罵り、いがみ合うダービーマッチという枠組みを超越したシーンとして記憶されている。敵地に乗り込んだバルセロナが5-1と大差をつけて迎えた81分、先発出場のイニエスタの交代が告げられると、待ち受けていたのはエスパニョールのサポーターからのスタンディングオベーションだったのだ。

 スペイン代表を世界王者に着かせた“116分のゴール”は、スペインひいては、フットボール史において永遠に語り継がれることになるだろう。そして、その度に彼の亡き友の名前も思い出すのだ。「ダニ・ハルケ、いつまでも一緒だ」とイニエスタが綴ったように。

 なおエスパニョールは、イニエスタの現役引退に伴い、公式SNSにて「私たちが決して忘れることのないジェスチャーだ。あなたのキャリアを祝福し、今後のすべてにおいて幸運を祈る。ありがとう、アンドレス・イニエスタ」と賛辞を送っている。

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