なでしこジャパン、善戦もパリオリンピック準々決勝敗退 またしてもつきつけられたベスト8の壁

パリオリンピック準々決勝でなでしこジャパンはアメリカに敗戦。今大会欠場者が続出し、総力戦で臨んだことで得られた収穫もあったが、最後はまたしても世界大会のベスト8の壁を越えられなかった。

【キャプテンが涙を流し続けた】

 長いホイッスルが鳴り響いたその瞬間、熊谷紗希ASローマ)のパリ五輪が終焉を迎え、彼女は静かに天を仰いだ。仲間を労い、戦ったアメリカ選手とリスペクトの握手を交わしていく。長谷川唯(マンチェスター・シティ)と視線を合わせた時、張り詰めていたものが切れたように、熊谷の涙は止まらなくなった。


パリ五輪準々決勝でなでしこジャパンは敗れてしまった photo by Hayakusa Noriko

 熊谷がなでしこジャパンのキャプテンを引き継いだのは2016年、リオデジャネイロ五輪のアジア予選で敗退した直後のことだった。その翌年に長谷川が初招集されてからここまで、フランスW杯(2019年)、東京五輪(2021年)、オーストラリア&ニュージーランドW杯(2023年)、そして今回のパリ五輪と、4度の世界大会をともに戦ってきた。

 長谷川もキャプテンの熊谷を「紗希ちゃん」と慕い、互いの信頼は厚い。物怖じせずに意見を伝える長谷川は、熊谷の若かりし頃とどこか似ているところがある。「なんでも言い合えるチームにしたい」と熊谷が一番心を砕いてきたチームカラーを体現するような存在でもある。

 リオ五輪予選以降、世代交代が進んだなでしこジャパンを、違う角度から支えたふたりが見せたパリ五輪最後のピッチでの姿は、多くを語ることなく、静かでありながら、彼女たちが背負っていたもの、築いてきたもの、悩んできたもの――それらあらゆるものを想像させる雄弁なものだった。

 今大会、熊谷のキャプテンシーはどの大会よりもチームに影響を及ぼしていたのではないだろうか。常にチーム状況を見極めながら声かけをしてきた。目線は常に同等。自らチームメイトをイジりもすれば、イジられもする。「そこまで思い詰めることもない性格」と本人は言い、意外とあっけらかんとしているが、キャプテンとして大変でないわけがない。

 今大会ではその行動を見てきた誰もが「紗希さんにメダルをかけたい」と口にしていた。ブラジル戦の同点PK。あれだけプレッシャーのかかる場面で、日ごろはほかのキッカーに任せているPKをキャプテンの熊谷が決めたのは、チームを大きく鼓舞することにつながった。

 そんな熊谷が涙を流し続けた。こんな彼女を過去に見たことがない。どれだけこの五輪に賭けていたのか、このチームに賭けていたのかが伝わってくる。選手全員とかわるがわるにハグをし、涙し、座り込み、時間をかけて現実を受け入れながらようやく立ち上がった時、彼女を待っていたのは池田太監督だった。

 指揮官にとっても彼女はある意味相棒だ。五輪だけでなく、W杯も含めて、ふたりの間で多くの対話が成されてきた。池田監督の姿を目に入れ、再び涙が溢れる熊谷の肩を抱いた池田監督は、ほんの一瞬固く瞳を閉じた。ここにもまた違う信頼の形があった。

【収穫もあったがケガ人も続出】

 常に"世界レベル"を日本につきつけたアメリカだったが、この準々決勝には池田監督が築いたなでしこジャパンが集約されていたのではないだろうか。前線からのプレスをスイッチに、連動した守備で相手のスピード攻撃を生むパスを出させない。この守備の形は、失点の場面を除いてはかなり機能していたと言える。

 その反面、攻撃の厚みは出せなかった。サンドバッグのようにアメリカの攻撃を受け続けるなかで、数少ないチャンスをモノにできなかった日本と、数多くのチャンスを日本に削がれながらも、一本を決めきったアメリカ。ここにベスト8の壁があった。

 もちろん収穫もあった。初戦のスペインを相手に藤野あおば(日テレ・東京ヴェルディベレーザ→マンチェスター・シティ)が決めた先制FK、ブラジル戦での谷川萌々子(ローゼンゴード)のロングシュートでの逆転ゴール、ナイジェリア戦では復帰した北川ひかる(INAC神戸レオネッサ)が復活FKを決めるなど、若手や代表歴の浅い選手たちが大健闘した。今大会全6点をすべて異なる選手が仕留めていることも、多彩な攻撃力が備わっていることを裏づけている。

 その一方で苦しめられたのがケガ人の続出だった。非常事態に陥ったのは、日本の特長であるショートカウンターで重要な役割を担う左右両サイドバック(時にウイングバック)だった。特に痛かったのが、初戦で負傷した清水梨紗マンチェスター・シティ)の離脱だ。

 右サイドは清水の独壇場だったが、対となる左サイドでも五輪最終予選前に遠藤純(エンジェル・シティ)が左ヒザ前十字じん帯損傷で長期離脱しており、急遽北川が招集された。瞬く間にフィットして安堵したのもつかの間のこと。その北川も日本国内最後の調整となったガーナ戦で負傷し、大会が始まってからも調整が続いていた。

【総力戦が奏功しチーム力は高まったが......】

 日本の窮地を救ったのは、大会直前にもたらされたバックアップメンバー起用についてのルール変更だ。18名が故障や体調不良などでプレーができない場合にバックアップメンバーはベンチ入りを許され、状況が回復すればベンチ外となった選手が再び戻ることができるようになった。文字通り実質22名で戦えるようになったのだ。

 初戦で清水を欠き、第2戦前に藤野が古傷をこじらせ、その後最終ラインの左右に入って奮闘していた18歳の古賀塔子(フェイエノールト)、そして谷川らが続々と体調不良で戦列を離れていく......ルール変更がなければチームは崩壊していたことだろう。池田監督が苦しい台所事情のなか生み出していった配置で、最悪の状態を回避させた。

 早々に総力戦に切り替えざるを得なかったが、それが功を奏し、誰もが与えられたポジションで役割を十分に発揮。チーム力はかつてないほどに高まった。

 しかし、ベスト8の壁を越えるためには、攻撃力の強度をさらに高める必要がある。例えば判断力においてもそれは言える。どんな強豪国を相手にしても、個々が0.1秒詰めることができれば、フィニッシャーにボールが渡る時にはわずかに余裕が生まれるはず。

 今回、シュートブロックを受ける回数が多く見られたが、どれだけ芯を食ったシュートでも、すでに相手の守備網に入ってしまっていてはコースがない。タイミング、クイックネスを含め、まだ向上の余地はあると見た。判断力、スピード、耐久性、スタミナ含め、わずかずつでも個々のステップアップが積もっていけば、攻撃の強度は確実に上がる。ベスト8の壁を打ち破る必須条件だ。

 たら・ればを挙げればキリがないが、それでも数々のアクシデントには意味があったと思いたい。失ったもの、それで得られたもの、すべてひっくるめて今できることはすべて出しきった戦いだった。集大成となった準々決勝、この一戦は確かに見る者の心を動かした。ほぼアウェー状態だったスタジアムで起きた多くの拍手がそれを物語っていた。

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