【日本人初の「W杯開幕戦」主審・西村雄一に聞く】国際審判員に求められるのは“レフェリー英語” 「選手の言葉の詳細を分からないほうがいいこともある」

2013年FIFAコンフェデ杯ブラジル大会のスペイン-ウルグアイ戦で主審を務める西村雄一氏。母国語がバラバラのサッカー国際大会で求められる「審判の語学力」とは?(EPA=時事)

 6月の2連戦で2026 FIFA W杯アジア2次予選が終了すると、サッカー日本代表は9月に始まる最終予選に臨むことになる。1998年フランス大会以来の8大会連続出場を目指すが、日本からW杯に出場するのは代表ばかりではない。実は日本人審判員が本大会のピッチに初めて立ったのは1970年のメキシコ大会だった。世界の一流選手どうしが戦う国際大会で笛を吹く審判には、どんな苦労があるのか。2014年のブラジル大会で、日本人として初めてW杯開幕戦の主審を務めた西村雄一氏に、スポーツを長年取材する鵜飼克郎氏が聞いた。(全7回の第2回。文中敬称略)

【写真3枚】「プロフェッショナルレフェリー」として活躍する西村氏。W杯はじめ国際試合の主審を何度も務めてきた

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 国の威信を懸けて戦う国際大会ともなれば、ワンプレーの重みが違う。負けられない戦いの中で、国籍や言葉の違う両チームの選手がヒートアップすることも珍しくない。そうした試合の笛を吹く国際審判員にはジャッジの正確性だけでなく、それを伝えるコミュニケーション力も求められる。

 国際試合では基本的にサッカー発祥の地・イギリスの言語(英語)が「公用語」とされるが、国際審判員にはどの程度の語学力が求められるのだろうか。国際審判員を42歳で退任後、現在はJFA(日本サッカー協会)のプロフェッショナルレフェリーとしてJリーグで笛を吹く西村雄一はこう言う。

「国際審判員になるにあたって、例えばTOEICのような語学テストで何点以上という基準はありません。私が国際審判員になった頃は、審判員が試合中に会話する相手はほとんどが目の前の選手たちだけでした。しかも『こっちに来て』とか『離れて』といった行動を求めたり、怒っている選手をなだめたり、倒れた選手に『大丈夫?』と訊ねたりする言葉が大半です。だから私の英語力はそんなに高くはありません。いわゆる“サッカー英語”、正確に言うなら“レフェリー英語”です。

 競技規則の英語版に載っている単語をベースに、何とか選手とコミュニケーションをとっていました。日常の審判員同士の会話で“明日は午後1時に出発”くらいは間違いませんが(笑)、一般的にイメージされる“高い語学力”は必須ではありませんでした」

ピッチ上では言葉に頼らず「絆を深める」

 ピッチ上で選手たちとの意思疎通を円滑にするために、現場で英語を勉強したというが、一方で「実は試合中に流暢な英語はあまり必要ない」とも話す。

「W杯の常連国で英語を母国語とするのはイングランドとアメリカ、オーストラリアくらい。それ以外の国の選手は、普段は自分の母国語で喋っているので、国際試合のピッチではスペイン語、ポルトガル語など、両チームの言語が入り混じっているわけです。そもそも英語が通じない選手も少なくありませんから、審判が流暢に英語を喋るとまったく通じないこともあります。ピッチ上では言葉に頼らず、笛やジェスチャーを交えながらお互いに絆を深めていくようなコミュニケーションをとっていました」

 それでも得点やファウルのジャッジに対して、何人もの選手が主審に詰め寄るシーンは珍しくない。審判がなだめたり、“それ以上抗議するとカードを出す”と注意したりする場面も見かける。

「ジャッジに不服を訴えているのはわかりますし、その理由もおおよそ理解しています。ただ、選手の言葉をあまり詳細にわからないほうがいいこともあります。例えば日本国内での試合で選手から日本語で何かを言われた場合、言葉が理解できるがゆえに、その言葉そのものが侮辱と判断されてイエローカードやレッドカードの対象となり、試合が台無しになってしまうケースがあります。

 海外の試合では、言葉が詳細に理解できないからこそ“あなたが激しく不満を訴えているのはわかった。でも、ジャッジは変わりません”くらいのやり取りで済ませられるので、選手にもチームにも、あるいは観客にもいい結果になることもあります。選手はその都度様々な感情を持ってプレーしているので、そこは審判員も受け止めなければなりません。だから言葉に頼らないマネジメントが大切だと思います」

VAR導入で生じた変化

 その一方で、近年は語学力がより必要とされるようになったとも語る。その理由の一つとしてVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)に代表される審判間のコミュニケーション方法の変化がある。

「主審・副審それぞれの立ち位置から見極められることには限界があるということで、2006年のW杯ドイツ大会から審判間で円滑な会話ができるように無線機が導入され、2018年のW杯ロシア大会からはVARを用いてジャッジの補助をするようになっています。

 主審が会話をする相手は選手だけではなく、副審や第4の審判員、さらにVARを担当する審判員にまで広がり、しかも詳細かつ正確に伝えなければなりません。一時的に試合を止めて、選手に対しジャッジの根拠を冷静に説明する必要も出てきます。今後はますます語学力が必要な時代になっていくと思います」

(第3回に続く)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一長嶋茂雄王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。サッカーをはじめプロ野球、柔道、大相撲など8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。

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