【阪神】岡田彰布監督、まさかの大敗で幕切れ「ひどいな。最後の最後に」

8回、選手交代を告げる岡田彰布監督(カメラ・馬場 秀則)

◆2024 JERA クライマックスシリーズ セ・ファーストステージ 第2戦 阪神3―10DeNA(13日・甲子園)

 「2024 JERAクライマックスシリーズ セ」の第1ステージ(S)は3位のDeNAが2連勝で突破した。今季限りで退任する阪神・岡田彰布監督(66)が集大成と位置付けた戦いは、まさかの大敗で幕切れ。7点差での敗戦はCSの球団ワーストタイ。前任時代の07、08年に続き、第1Sは全て敗退した。試合後は、ナインに厳しいコメントを連発。“最後のゲキ”の裏で、満身創痍(そうい)で指揮を執っていたことが判明した。

 見納めの背番号80を甲子園は超満員のまま見送った。現役時代の応援歌と盛大な岡田コールが響くなか、岡田監督は別れを告げることもできず、ベンチ裏に去った。力を振り絞り、残った仕事。報道陣の前で「ひどいな。最後の最後に」と苦笑いの第一声を発すると、厳しい言葉を並べ続けた。

 「尻すぼみのチームになってしもうた。継続の能力がなかったいうことや」

 昨季の日本一チームが7月末まで勝率5割前後。ラストゲームは無残だった。一時は1―10。2回にストライクをそろえすぎたバッテリーが15球で4点を失った。何度も指摘してきた失敗に「やっぱり同じことばっか」と梅野は3回から交代。打線は今季中も苦戦したジャクソンに6回途中まで9三振を奪われた。

 「ずっときょうも流れ見とったけど、そんな四球なんか選べへんて」

 あっさりカウントを整えられ、後手ばかり。「1年間ずっとや。信じられへん」とあきれた。昨季は四球を絡めた攻撃で頂点をつかんだが「(相手も)研究してる。キャンプから言うてる。俺は今(就任前)までがボールを振りすぎやから四球と言うただけ」と変化への対応力を嘆いた。ストライク先行の配球に今季序盤も苦しんだが、最後も“成功の残像”にのみ込まれた。

 自身の2年間に悔いはない。「日本一にまでなったのに、なんで心残りがあんねん」。即答の一方で「順番まちごうただけや。1年目になってしまうから、おかしなってしもた」と付け加えた。ほめる選手も「いてるわけないやん。まだまだの選手ばっかりやん」とバッサリ斬った。

 激しい口調の裏で、66歳の体は悲鳴を上げていた。CS直前の風邪が全快しておらず、歩くスピードは普段の半分以下。斜行し、息が切れた。試合後のファンへのあいさつは、体を心配した球団の判断で中止。シーズン終了翌日に行うはずのオーナー報告も、退任会見も見送りが決まった。ミーティングもない、異例のラスト。岡田監督らしく、報道陣を通じた最後の“猛ゲキ”が置き土産となった。(安藤 理)

 ◆岡田監督の選手への最後の猛ゲキ

 ―梅野を3回に代えた

 「いや、普通やったら(これまでの配球などを理由に、最初から)使わへんけど、最後やからのう」

 ―厳しく接してきた森下は3安打2打点と奮闘

 「言うたやつだけやろ? 野放しにしたら、全然やもんな。大変やで、怒る人間がゼロやったら」

―昨季はできすぎ

 「できすぎやって。まだ全然打てへんな、ファーストストライクを。中野なんか、え? 今でも打たん」

 ―投手も成績が悪くなった選手が多い

 「きょうも、村上ひどかったなあ。終わってしまうで、あれ。何かおかしいもんな」

 ―佐藤輝も尻すぼみに

 「なるって。去年も見てみ、(ポストシーズンの)大事なところで大きな1本とか打たれへん。ちゃんと練習して自分の打ち方も分かってるやつが、そういう場面で1本打てるんよ。簡単にホームラン打てるか? 何本打ってんの? 簡単に言いすぎよ。簡単に勝ちますとか、簡単に打ちますとか」

 ―ブランクを経て日本一にもなった。どんな日々だった

 「もうええよ。これでええやろ、全然。(昨年の個々の)数字を見たら伸びしろあるやろうなと思ったけど、なかったいうことやもんな」

 〇…阪神・粟井一夫球団社長(60)が、岡田監督がファンにあいさつしなかった理由について「体調が思わしくない。移動すると息が切れるということで。ファンの前でそういう姿を見せない方がいいと私が判断した」と説明した。恒例となっているオーナーへのシーズン報告に加え、退任会見も「まず体調の方を優先で整えていただく」と実施しない予定。「現時点で大病ではないと思っている」とし、今季限りでの退任理由と今回の体調不良は「全く別」と強調した。

 ◆岡田 彰布(おかだ・あきのぶ)1957年11月25日、大阪市生まれ。66歳。北陽(現関大北陽)から早大を経て、79年ドラフト1位で阪神に入団。80年に打率2割9分、18本塁打、54打点で新人王。85年は打率3割4分2厘、35本塁打、101打点で球団初の日本シリーズ制覇に貢献。94年にオリックスへ移籍し、95年限りで現役を引退。2軍助監督兼打撃コーチに就き、98年に阪神復帰。2003年オフに監督就任。05年にリーグ優勝。08年限りで退任し、10~12年はオリックス監督。23年に阪神監督に復帰し、球団2度目の日本一。

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