『ディスクレーマー』アルフォンソ・キュアロン監督インタビュー「本当に信じられるものは何なのか?」

『ゼロ・グラビティ』『ROMA/ローマ』のアルフォンソ・キュアロン監督の最新作『ディスクレーマー 夏の沈黙』がApple TV+で配信されている。

本作の原作は、ルネ・ナイトの小説『夏の沈黙』 (創元推理文庫) 。文庫で350ページほどのボリュームだが、キュアロン監督はこの物語を全7話、5時間40分超の連続シリーズで描くことにした。長大なチャールズ・ディケンズの小説(『大いなる遺産』)も、J・K・ローリングの小説(『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』)も2時間前後の映画にしたのに!

「今回はまず長い脚本を書き、それを分割するかたちで7つのエピソードにしました。この物語を描くためにはこれだけの長さが必要だったと思っています。本作はさまざまな視点から物語が描かれるからです。異なる目線から物語が描かれ、それらが同時に進んでいく。そのためにはこれだけの時間が必要だったのです」

監督が語る通り、本作はいくつかのドラマが並行して進んでいく。

ジャーナリストのキャサリン・レイブンスクロフト(ケイト・ブランシェット)はある日、作者不明の小説を受け取り、そこに自身の過去が描かれていることに驚く。この物語に登場するのは、ある年の夏のキャサリンだ。この小説に描かれた内容が広まれば、彼女の家庭は崩壊し、キャリアは台無しになるだろう。キャサリンは怯え、混乱し、幸福だった日々が静かに崩れていく。

この本を出版したのは、元教師のスティーヴン・ブリグストック(ケヴィン・クライン)だ。亡き妻の部屋から原稿を見つけた彼は小説を出版し、キャサリンに近づく。

この小説には一体、何が書かれているのか? スティーヴンの狙いは? ドラマはキャサリンの物語、スティーヴンの物語、小説に描かれるドラマが並行して展開し、時間は現在と過去を行き来する。そこには優劣はなく、すべてが重要だ。いくつもの視点と物語が層をなすように積み重なっていき、ナレーションがさらなる層をなす。独立した旋律が同時に鳴り、響きあう“ポリフォニー”の楽曲のようだ。

「撮影監督を務めたチーボ(エマニュエル・ルベツキ)はいつも『映画とは音楽である』と言っていました。この物語ではさまざまな視点から物語が描かれますが、それらはすべて異なる“映画言語”で語られています。それらはおっしゃる通りポリフォニックに響き合うので、それぞれの音を対比させ、コントラストをつけて描くことを心がけました。一方、そこで描かれる物語や感情には一貫性があり、それらの音は調和していなければなりません。そのことも常に考えていました」

キュアロン監督の言葉の通り、本作では単に“キャサリンの視点”と“スティーヴンの視点”で物語が進むのではなく、キャサリンのエピソードとスティーヴンのエピソードは違う“映画言語”で語られる。映像のテンポも、画面のルックも、カメラのアングルも語りのリズムも速度も違う。ひとつの映画の中に、ジャンルのまったく違う複数の映画が並び立ち、しかしそれらが調和しているようだ。

「人間は知らず知らずのうちに自分自身を騙してしまうことがある」

この響きを生み出すため、キュアロン監督はキャリアで初めて“ふたりの撮影監督”をひとつのプロジェクトに招き入れた。ひとりは、監督の朋友で監督のほぼ全作品を担当してきた撮影監督エマニュエル・ルベツキ。もうひとりは、監督とは初めてタッグを組む撮影監督ブリュノ・デルボネルだ。彼らは同じ機材と同じレンズを使用したが、それぞれがあえて別々に撮影を行い、撮影終了まで一度も顔を合わせることも、話し合いを持つこともしなかったという。

「スティーヴンの物語は“一人称”で語られます。彼の物語は彼の視点から描かれるのです。一方、キャサリンの物語は“二人称”です。画面にいるキャサリンはだいたいフルショットで、観客は彼女の行動を傍観者として見ています。そして、キャサリンの家族や他のキャラクターを描く時は“三人称”の視点になります。手持ちカメラを使ったり、ズームレンズを駆使しました。さらに劇中に登場する小説の世界を描く際には、温かみのある画面で、とてもロマンティックな物語が語られ、甘い旋律がやりすぎなぐらい鳴り響くのです。

実際の撮影ではスティーヴンの物語をブリュノ・デルボネルが、キャサリンの物語をチーボ(エマニュエル・ルベツキ)が担当しました。ふたりはお互いの撮影現場には一度も足を運ぶことはありませんでした。時にはそれぞれの物語が“同じ時間”に起こっている場合があります。その時には気温や天気は同じはずです。さらに同じ場所の“現在”と“過去”を描く場合もあります。ですから、ふたりの撮影監督がそれぞれに撮影したものに連続性を持たせなければならない。これは大きなチャレンジでした」

キュアロン監督はなぜ、こんなにも面倒なことをしたのか? 理由は、異なる語りの形式を並び立たせることが本作のテーマを描く上で必要だったからだ。エピソードIの冒頭、キャサリンは王立テレビ協会のテレビ・ジャーナリズム功労賞の授賞式に出席するが、そこでプレゼンターがスピーチに紛れて観客に“ある警告”を発する。

“語りと形式にご注意を。その力は私たちを真実に近づける反面、人をコントロールする強力な武器にもなり得るのです”

「私たちは観客をトリックで欺こうとしたわけではありません。ただ、観客が自分の想像力を使って勝手に判断してしまうことはあるかもしれません。先ほど、この映画には一人称、二人称…と異なる映画言語があると話しましたが、そこには“観客の視点”も入ってくるでしょう。本作の冒頭のスピーチでも語られていますが、人間は知らず知らずのうちに自分自身を騙してしまうことがあるのです。この物語では誰も嘘をついていないんです。キャサリンは何度も説明しようとするけど、彼女が説明することを周囲の人も観客も否定して、ちゃんと聞いてあげません」

「映像は非常に危険な諸刃の剣」

ここで少しだけ脱線する。

ある映画に女性が男性を追いかけて行って平手打ちする場面が出てきたとする。それはもちろんフィクションで、台本があり、俳優が演技し、カメラの後ろではたくさんのスタッフが見守っていたはずだ。しかし、それが演技であれ何であれ、“ある時、ある場所で、女性が男性を追いかけていって平手打ちした”ことは間違いない。それは演技でフィクションだが、平手打ちしたことは“事実”だ。場合によっては女性が追いかける際、小石に足をとられて少しよろけたかもしれない。カメラはその“偶然”を記録する。それは演技でもフィクションでもない。女性が少しよろけた偶然をカメラはとらえる。

映画はこのように“フィクション”と“ドキュメンタリー”の両方を必ず内包している。カメラを向けた先に植物があり、風が吹いて紅葉が落ちた。この動きは再現できない。キュアロン監督はかつて、この“石につまずきよろける女性”や“風で落ちる紅葉”をすべてイチから描こうとしたことがある。2013年製作の『ゼロ・グラビティ』だ。彼は撮影監督エマニュエル・ルベツキと試行錯誤をくり返し、宇宙空間に放り出された主人公が起こすアクシデントや偶然、レンズに写る“一回限りの現象”をすべてシミュレートして創造して見せた。公開時、筆者がインタビューした際、キュアロン監督はこのプロセスを「ミラクルを創造する」と表現した。

そして、『ディスクレーマー』では逆の現象が起こる。つまり、フィクションのはずなのに、映像でそれを観てしまった者は「とは言え、それは“カメラの前で起こった”のだ」と知らず知らずのうちに思ってしまう。そして、その想いが先入観を生み、解釈を歪めてしまう。

「映像というのは、説得力がありますが、同時に非常に危険な諸刃の剣なのです。以前であれば新聞に写真が載っていれば、それは真実だと立証されたようなものでした。でも今では逆にフェイクではないかと思ってしまう。そう考えれば、ロバート・キャパの写真だってそこには演出があったわけですよね。でも私たちはずっとそれを真実だと思ってきました。

もちろん、リアルでないものが真実を時に語っている場合もありますし、文脈によって意味が変わるケースもあります。私はそれこそが芸術=アートだと思います」

本作は、一冊の小説を巡って、そこに書かれている内容によって人生が激変してしまう女性キャサリンと、彼女に近づこうとする男スティーヴンを軸に、複数のキャラクターのドラマが入り乱れる。一体、何が正しいのか? 何が真実なのか? 私たちは考察したり推理している気でいながら、実はキャサリンを追い込む側に加担しているかもしれない。

「これが本作のメッセージかもしれません」

本作の最大のポイントは、そんな状況下でありながら登場人物たちが“真実”を求めて行動しないことだ。本作は緊張感のあるミステリーでありながら、刑事も探偵もいない。誰も推理しないし、真実を求めない。むしろ、すべての登場人物が真実から遠ざかろうとしている。真実に近づくのが、真実を知るのが怖いのだ。真実を認めたくないのだ。

「いまはいろんな知識を得られるツールがあるかわりに、それぞれの目線から語られる物語に毒されていると思うのです。それぞれの視点から語られる物語を信じてしまうことで、矛盾した情報があふれている。

そこから抜け出す解毒剤はあるのか? 結局のところ、それは“愛”だと思います。愛というものは言葉にできないですし、そもそも説明ができない。感じるしかないものです。

私たちは自分自身で真実を作り上げてしまいます。ひとつの事実があったとして、自分が何を信じたいのか、何を真実と思いたいのかによって解釈を、語り口を変えてしまいます。そんな中で本当に信じられるものは何なのか? 私たちは何を頼りにすればいいのか? 結局のところ、それは“愛”かもしれない。これが本作のメッセージかもしれません」

あの夏の日、キャサリンに何が起こったのか? 複数の視点から複数の言語で複数の物語が語られる。それらは時に観客を揺さぶり、先入観を植え付け、真実は遠のいていく。7つのエピソードを経た最後の最後、ラストに何が残るのか? 本年度屈指の完成度を誇る壮大なミステリーが幕を開ける。傍観しているあなたも、想像力を膨らませてドラマを見守るあなたも“物語の語り手”のひとりだ。

Apple TV+「ディスクレーマー 夏の沈黙」

Apple TV+にて配信中

画像提供 Apple TV+
動画提供 Apple TV+

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