『愛に乱暴』江口のりこが魅せる狂気! 人間の複雑な孤独感を描く極上のサスペンス【おとなの映画ガイド】

ノリに乗る江口のりこ、ことし5本目の出演作『愛に乱暴』が、8月30日(金) に全国公開される。『悪人』や『湖の女たち』など、人間の心の暗部をえぐり出す作家、吉田修一の同名小説を、森ガキ侑大監督が映画化した作品。幸福そうに見える主婦の平穏な日常が、あることをきっかけに「壊れていく」。江口のりこだからこその“怪演”に引っ張られ、最後まで緊迫感に満ちているヒューマンサスペンスの傑作だ。

『愛に乱暴』

『あまろっく』では笑福亭鶴瓶の娘役、『お母さんが一緒』では三人姉妹の長女役、日本の偉人がAIで蘇るという奇想天外な『もしも徳川家康が総理大臣になったら』のときは北条政子役、江口のりこは、たいてい怒っていた。

それがこの映画では、おだやかな江口のりこ。彼女が演じる桃子は、結婚して8年、夫・真守(小泉孝太郎)の実家の敷地内に建つ“はなれ”に暮らす専業主婦で、関心事は手の込んだ食事を作ること、気に入った身の回りのものをホームセンターで探したり、高級ティーカップを通販で買ったりすること。夫の母・照子(風吹ジュン)には、「お母さん、ゴミ一緒に出してきましょうか」と声をかける気配りを欠かさない。

なのだが、そんな風に、このまま、うまくいくわけないのだと、つい思ってしまうあなたは、江口のりこの魔手に、もうからめとられていマス。

幸せになりたいと心から願い、日々努力を惜しまない桃子は、じつはその幸せが少しずつ、少しずつほころび始めていることに気づいていない。いや、正確に言うと、気づかぬふりを自分自身にしている。しかし、地球の汚染のように、ゆるやかだが確実に“不幸オーラ”は広がっているのだ。

近所ではこのところ、不審火が相次いでいる。毎日ご飯を食べにくる野良猫のぴーちゃんの姿がみえない。家のリフォームの相談をしても、夫はどこかよそよそしい。母屋の母とのやりとりにも、ときおりイラっとする瞬間がある。

そんな時だった。夫が信じられないことを口にしたのは。「好きな人ができたから、一度会ってくれないか」。こいつは何をいっているんだ。どういう意味なんだ。桃子のせき止めていた感情が、音をたてて流れ出していく。さあ、ここからが面白い、というか恐ろしい。“怪物”がゆったりと姿を現すといったらよいか……。

予告編を注意深くご覧になると、とんでもないものがでてくるのに気づかれると思う。チェーンソー! 『悪魔のいけにえ』か? ご安心いただきたい。この映画、サスペンスフルではあるが、スプラッターではない。ホラーでもない……いや、すこしホラーではあるかもしれない。なにげなく使われるスイカだって、不気味といえば不気味だ。

吉田修一の小説を、山﨑佐保子、鈴木史子、そして監督の森ガキ侑大も加わり脚本化。登場人物を減らし、桃子の視点から描かれるシーンを増やしている。フィルム・カメラで撮影し、ドキュメンタリーで桃子の日常を追うような作りかたを採用した。

桃子役の江口のりこの存在感が圧倒的なのだが、実は、夫・真守役を演じた小泉孝太郎も負けていない。はっきりいってどうしようもない男の役を、あの明るい、好人物の小泉が演じるギャップがすごい。彼が初めて画面に登場した時、誰だかわからないほどだ。顔立ちまで違って見える。

桃子の周囲に起きる不穏なできごと、夫の浮気、神経を逆なでするいくつかのアクシデント……。単純な“伏線回収”というより、いくつもの“仕掛け”が紛れていて、「あっそうか、あれはこういう意味だったか!」とあとで発見することになる。観終わって、将棋の感想戦じゃないけれど、ああじゃこうじゃ反芻して、気づけば共感する部分がいくつもあったりする。

「行き過ぎたものは全て、暴力と表裏一体だと思います。愛の裏には暴力があり、暴力の裏には愛がある。あらゆる事物も人間性も表裏一体で存在していることを、今回のタイトルから学びました。そこに気づかされた作品でもあります」と森ガキ監督は語っている。

ラストシーンの桃子の表情が不思議と印象的。観る人によって、いかようにも取れるその余韻は、人間の複雑な孤独感の象徴のようにも思える。

文=坂口英明(ぴあ編集部)

【ぴあ水先案内から】

伊藤さとりさん(映画パーソナリティ)
「……ロケで見つけた家をもうひとつの登場人物にすることも成功​​……」

伊藤さとりさんの水先案内をもっと見る

(C)2013 吉田修一/新潮社 (C)2024 「愛に乱暴」製作委員会

ジャンルで探す