《関係者が明かす「嵐」という社会現象》「オーラはあったが厳しい芸能界を生き抜くには“いい子”すぎる」華々しいデビューの後に待っていた低迷期
2020年に活動を休止してなお、いまだにその一挙手一投足がファンやメディアに注目される嵐。その名の通り、国民的アイドルグループとして圧倒的な人気の嵐を巻き起こすとともに、彼らには「親戚のお兄ちゃん」のような親しみやすさがあった。いかにして、5人は多くの人から愛される存在になったのか──25周年直前に関係者が明かす「Super Boy」たちの素顔と軌跡から、「嵐」という社会現象を読み解く。【全3回の第1回】
【貴重写真】デビュー時の1999年から2021年まで、嵐の軌跡をピックアップ!
あどけない少年たちが、ラップを盛り込んだ衝撃のデビュー曲『A・RA・SHI』をリリースしたのは1999年11月3日。デビュー25周年を迎える今年、活動休止中の彼らにはファンから祝福の声が殺到している。
その期待に応えるかのように、嵐は25周年を記念して過去のライブ映像を映画館で上映するなど6つの企画を発表した。大野智(43才)、櫻井翔(42才)、相葉雅紀(41才)、二宮和也(41才)、松本潤(41才)。40代を迎えても、メンバー全員が嵐に向ける思いは変わらない。2023年10月、個人事務所を設立することを発表した二宮はファンクラブサイトでこう明かした。
「嵐がなくなるんじゃないかとか不安に思われるかたもいらっしゃるかとは思いますけど、ぼくは明日からも嵐です。これはこの先ずっとぼくは嵐がある以上、嵐なのでそれは安心していただきたい。また嵐が再開をする、活動をするというときはもちろんメンバーとして活動を一緒にやっていく」
いまも抜群の存在感を誇り、活動再開を望む声が絶えない国民的アイドルグループ。彼らはどこから来て、どこへ向かうのか──。
“明るく元気で夢に向かって爆進するけど、斜に構えたやんちゃな少年たち”
5人が事務所に入所した1990年代後半は“ジュニアの黄金期”として知られ、滝沢秀明(42才)や今井翼(43才)、山下智久(39才)、生田斗真(40才)ら錚々たる顔ぶれが揃っていた。とはいえ、のちに嵐となるメンバーは全員が順風満帆とは言えなかった。
当時の社長から直接電話を受けて事務所に所属することになった「スーパーエリート」の松本、出待ちするファンの対応に1時間かかった相葉に対し、櫻井は学業を優先して高校を卒業したら退所しようと考えていた。大野も「芸能界はもういい」と退所する意向を持ち、二宮にいたってはデビュー前に「今年いっぱいで辞めます」と事務所に伝えていた。
それゆえ5人が1999年9月15日、ハワイ・ホノルルで嵐としてのデビュー会見を行ったのはファンや関係者の間では衝撃だった。当時を知る芸能関係者が振り返る。
「誰がデビューするか聞かされないまま、芸能担当の記者たちはハワイまで呼ばれました。タッキーか山Pの出番だと思ったら、聞いたこともない5人のグループで、正直“誰?”と感じた人もいました。5人とも不安そうな表情を浮かべて、のちに国民的アイドルグループになるなんて想像できませんでしたね」
デビュー当初から嵐の取材を重ねた芸能リポーターの駒井千佳子さんも、最初は戸惑ったという。
「当時のタレントはみんな“おれが、おれが”とガツガツしていたけど、嵐の5人は我が強くなく、見ていた私が不安になるほどでした。もちろんジュニアから選抜されたのだからカッコよくてオーラもあったけど、厳しい芸能界を生き抜くには“いい子”すぎる気がしました」(駒井さん)
二宮も本誌『女性セブン』2014年5月22日号のインタビューで当時の心境をこう振り返っている。
《嵐も期間限定のグループだと思ってたから、9月に結成してもワールドカップバレーボールが終わる頃には辞めようと思ってたの》
だがV6からワールドカップバレーのイメージキャラクターを引き継ぎ、1999年11月にリリースしたデビュー曲『A・RA・SHI』は96万枚を超える大ヒットとなりオリコンチャートで初登場1位を飾った。「スケスケ衣装」も話題を呼んだ、この曲を作詞したシンガーソングライターの菊池常利さんが語る。
「本人らのことは何も知らされず、“明るく元気で夢に向かって爆進するけど、斜に構えたやんちゃな少年たち”を勝手に想像してメロディーに詞をのせました。この曲を嵐が歌うのを初めて見たとき、想像と実物があまりに一致したのでうれしくて鳥肌が立ちました」
菊池さんの息子はアイドルグループtimeleszの菊池風磨(29才)。風磨がアイドルになったのは父が作詞した『A・RA・SHI』の影響だった。
「ぼくが作詞していたとき、幼稚園児だった風磨は嵐より先にこの曲を聴いていました(笑い)。その嵐のファンになり、憧れ、風磨は現在にいたります。“縁”とは不思議でおもしろく、ありがたいものです」(菊池さん)
華々しいデビューから一転、勢いは長く続かなかった。2002年にスタートした土曜昼の生放送『なまあらし LIVESTORM』(フジテレビ系)は視聴率1%台を記録したこともある。テレビ誌記者が語る。
「その頃の嵐はCDも売れずレコード会社を移籍した低迷期。音楽番組に出た際、5人は毎回番組終わりに出演シーンを振り返り、どうすればいいか真剣に話し合っていました」
2006年には事務所の後輩で、嵐の2年後に結成されたKAT-TUNが颯爽とデビューを飾り、社会現象ともいえる人気を博した。しかし、「すぐに辞めようと思っていた」はずの少年たちは決して腐らず、揺るがなかった。KAT-TUNのデビューが決まった頃、二宮、櫻井とテレビ局のスタジオで一緒になった駒井さんは2人の様子に驚いたと語る。
「ちょうどKAT-TUNの活躍を大々的に報じるスポーツ新聞があって、それを読んだニノが“すげえなあKAT-TUN、カッコいいよなぁ”と言ったんです。勢いのある後輩を見て素直にそう言えるなんて、嵐はすごいと思いました。彼らは売れない時期でも焦りはなく、自分たちのペースで歩いていて、地に足がついている感じがしました」(駒井さん)
その言葉通り、やがて嵐の歩みに世の中が追いつくことになる。
(第2回へ続く)
※女性セブン2024年11月7日号
10/24 16:12
NEWSポストセブン