【さくらももこさんとTARAKOさん】坂本冬美「2人に背中を押していただいた」“熱意あるけど自然体な生き方”はバブル崩壊後のモデルケースとなった

周囲の多くの人にもパワーを与えたさくらももこさんとTARAKOさん

 国民的人気アニメ『ちびまる子ちゃん』の“生みの親”がさくらももこさん(享年53)なら、“育ての親”は声優のTARAKOさん(享年63)。唯一無二の作品を作り上げた2人は、周囲の多くの人にもパワーを与えた。【全3回の第3回。第1回から読む

【写真】さくらさんと親交のあった坂本冬美の着物姿。他、『ちびまる子ちゃん』の名シーンの数々

 周囲が驚くほどの情熱とパワーで唯一無二の仕事を成し遂げた2人の生き方は下の世代の背中をも押した。さくらさんの家に何度か訪ねて交歓したという歌手の坂本冬美もそのひとり。

「お酒が強かったさくら先生におつきあいして、何度朝を迎えたことか……(笑い)。『まだ帰らないで、一緒に飲もうよ』とかわいらしいお声でおっしゃる女性なのに、思うまま生きる強いパワーがあった。

 演歌という枠の中にいた私は、新しい価値観を持って時代を駆け抜けたさくら先生とTARAKOさんには背中を押していただいた気持ちがあるんです。いま演歌という1つのジャンルを飛び出して、さまざまな曲を歌っているのは、おふたりの影響が大きいと思っています」(坂本)

 マーケティングライターの牛窪恵さんも「2人の生き方は後進に大きな影響を与えた」と語る。

「『ちびまる子ちゃん』の大ヒットにとどまらず、さくらさんは漫画『コジコジ』など、次々に新しい作品を生み出し、エッセイストとしても大活躍した。TARAKOさんはナレーションの現場でも人気者になりました。常に新しい仕事に貪欲だった2人ですが、決して高圧的だったりギスギスした感じは与えない。2人の熱意ある、けれど自然体の生き方はバブル崩壊後、競争から癒しへと移る社会の中で、次世代の新たなモデルケースとなったはずです」

 情熱を傾けられる仕事に出会えた幸せは、生きる力に直結する。TARAKOさんは《まる子がもたらしてくれたものは本当に大きかった》として、声優としての知名度が上がったことや、それに伴いバラエティー番組や映画、ドラマなど仕事の幅が広がったこととともに、大きな変化として《まる子をやらせていただいたことで、ようやく自信が持てるようになって性格もポジティブになりました》と語っている。

 編集者時代から公私にわたってさくらさんに寄り添った、作家の山口ミルコさんもこう話す。

「ももこさんも、それに併走させてもらった私も、ただ目の前にある自分の好きなことを夢中で追い求めたら、世界が開けていった感じです。ももこさんは離婚して小さなお子さんをひとりで育てたりと大変な時期があったと思うけれど、漫画を描く喜びがそれ以外の苦しみすべてに勝るパワーを持っていた。

 原稿ができると『できた!』と連絡があって、私が取りに行って読み始めるまでワクワクで待っている。自分が生み出したもので誰かが楽しんでくれることが、何よりもうれしかったのだと思います」

 漫画にエッセイ、作詞に脚本、マルチな才能で確固たる地位を築きつつ、その暮らしぶりは極めて内向きだった。自分の会いたい人ややりたいこと、好きな食べ物をひたすら大事にしていたと山口さんは続ける。

「多くの人と交流するのではなく、ごく限られた人とつきあっていました。地元の静岡市清水区のことも大切に思っていた。ももこさんはよく“作品がすべて”と言っていて、自分が生み出したまる子をしっかりと表現してくれたTARAKOさんの仕事にはすごく信頼感を置いていたと思います」

 自分が好きなもの、人、趣味、旅、カラオケなど“心地よく暮らす”生活においてTARAKOさんもまた信頼のおけるパートナーであり、気の置けない大切な存在だった。「ちびまる子ちゃんランド」を運営するドリームプラザ直営事業部次長の坪井充さんは言う。

「おふたりとも、お忍びでちびまる子ちゃんランドに来てくださっていました。ファンのかたが描いたまる子ちゃんの絵を熱心にご覧になっているご婦人にスタッフが声をかけたら、“実は私、さくらです”なんてことも(笑い)。さくら先生もTARAKOさんもファンのかたが楽しんでいらっしゃるのを見守りながら、気さくにお話ししてくださったと聞いています」(坪井さん)

 TARAKOさんはさくらさんが乳がんでこの世を去った2018年に、「こんな恩人に何にもできなかった」と涙ぐみながら“まる子”として弔辞を読んでいる。

《大人になった私へ。まずは何を言うにもまずはコレだね。よくぞ夢をかなえてくれました。あんた本当にえらいよ。おめでとう。大人になった私へ。プライベートは色々あったみたいだね〜。でも、あんたもあんたの作品もたくさん人に愛されたんだから人生バランスなのかもしれないね。大人になって天使になった私へ。そっちはどうだい?》

 さくらさんは10年近く闘病していることをごく近しい人を除いては明かさず、穏やかなユーモアに満ちた作品を生み出し続け、静かに旅立った。その姿は、息を引き取る直前まで、元気でかわいらしいまる子で居続けたTARAKOさんと大きく重なる。さくらさんと交流のあったお茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二さんが言う。

「離婚当時『いまの快適な暮らしと引き換えにしてまで再婚したくない』と語り、夏休み明け、学校に行きたくないと言う息子に『いいよ、行かないと罰金がくるかもしれないけど、払うから』とサボることを率先して手助けするなど、自分の欲や弱さを自覚してさらけ出していたかた。その一方で自分の人生に対する責任は他人ではなく自分が負うこともはっきりと自覚していました。

 ちゃらんぽらんのようでいて、情熱をもって一生懸命に生きていたんです。彼女が信頼したTARAKOさんも、きっとそんな女性だったのだと思います」(土屋さん)

 あんたとまた会えて、あたしゃうれしいよ──いま頃2人は空の上でそっくりな声でそう言い合いながら、何度も乾杯していることだろう。

(了。第1回から読む

※女性セブン2024年4月25日号

ジャンルで探す