【ちびまる子ちゃん】さくらももこさんが「私の声にそっくり!」と惚れ込んだTARAKOさん 収録はあえて“ぶっつけ本番”だった

声も似ていたというさくらももこさんとTARAKOさん(所属事務所HPより)

 日曜夜放送の国民的アニメ『ちびまる子ちゃん』。2018年に原作者のさくらももこさん今年3月には、34年にわたってまる子を演じてきた声優のTARAKOさん(享年63)が亡くなり、多くのファンが言葉を失った。原作者のさくらももこさん(享年53)とは、生まれ年も近ければ、家族構成も似ていたTARAKOさん。2人の軌跡を振り返る。【全3回の第2回。第1回から読む

【写真】ちびまる子ちゃんランドにあるTARAKOさん直筆の絵馬。まる子のイラストも!

 1986年、会社を辞めて漫画一本で生きていく決意をしたさくらさんは、同年ついに『りぼん』8月号誌上で『ちびまる子ちゃん』の連載をスタートさせる。かわいらしさにブラックユーモアを交えたタッチで、昭和40年代の小学3年生の女の子の日常を描いた同作はじわじわと人気を集め、アニメ化の計画が持ち上がる。

「そんな人気作品の主役ともなればオーディションも競争率が非常に高く、25倍もの倍率だったそうです」(テレビ局関係者・以下同)

 数多の志願者の中から白羽の矢が立ったのが、当時声優デビューから9年が経つもオーディションに落ち続け、本人が後に《いつ辞めようかと何度も思った》《自分の声も大嫌いでした。きっと周囲に嫌なオーラを出していたんじゃないかと思います》と振り返ったほど「どん底」の状態にいたTARAKOさんだった。

「大抜擢のいちばんの理由は、さくら先生が『私の声とそっくり!』と惚れ込んだことにあったそうです」

 さくらさんと交流のあったお茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二さんが語る。

「初めてお目にかかったときのさくらさんの印象は、“アニメのまるちゃんがそのまま大人になった人”。ぼくも“TARAKOさんと声がそっくり”と感じましたし、ご本人も『やっぱり顔が似ていると声も似るみたい』とおっしゃっていたのが印象的でした」

 よく似た「2人の母」によって生み出されたアニメ版『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)は1990年に放送がスタート。まる子の日常はアニメによって瞬く間に人気が沸騰。同年10月には番組平均視聴率39.9%を記録した。これは1977年以降に放送されたアニメ番組の最高記録で、いまなお破られていない。当時、女子大生の前で講義をしていた土屋さんは、その人気ぶりをこう振り返る。

「それまでのアニメが描く子供は純真無垢で活発で正直なキャラクターばかり。だけど『ちびまる子ちゃん』に出てくる子供たちは屁理屈ばかり言うし、嫌なことからも逃げようとする。従来あった子供のイメージを打ち破り、愚かな大人に対する風刺になっていたところが新鮮で面白くて、幅広い世代に支持されたのだと思います。

 実際、学生たちからも絶大な人気があった。教授室に『哲学書よりもさくらさんの本を読みたい』と大勢の学生が尋ねてきたり、それまでぼくに対してどうも尊敬の念を感じられないと思っていた助手たちが、さくらさんから『ツチヤ先生はエライのだから大事にしなさい』という助手宛てのFAXを見て目の色を変えたり(笑い)。それはもうすごい人気でした」

 第1話の放送時から現在まで35年にわたって制作に携わり続けるアニメ監督の高木淳さんは「アニメ作品としての『ちびまる子ちゃん』を牽引したのは、間違いなくTARAKOさんだった」と振り返る。

「『ちびまる子ちゃん』がここまで長く愛されてきた大きな理由は、さくら先生の漫画が持つ“決して優等生ではない、ごく普通の女の子が一生懸命生きることで日常にささやかなドラマが生まれる”という唯一無二の魅力を忠実にアニメで再現しようとしてきたことにあると思っています。

 声優の世界において“普通の女の子”という役柄を演じることは簡単なことではありません。しかしTARAKOさんは、“ちょっとズルくて怠け者だけど、それも含めてみんなから愛される”まる子という女の子に没入し、完璧に演じきってくれました」

 自分が生み出したまる子がしゃべって動くアニメ作品にさくらさんは深い愛を注ぎ、自らシナリオ制作を担当することもあった。

「アニメは1990〜1992年まで2年間放送した後、一時休止を挟んで1995年以降に再開しましたが、さくら先生は第1期の終わりと第2期のスタート時はひとりでシナリオを担当していました。

 現在の『まる子』は、10人以上のシナリオライターがついて何とか回っていくのに、先生はほかの仕事もしながらひとりで書いていた。尋常ではない恐ろしいほどのパワーで、われわれには思いつかないエピソードや展開が次々に飛び出して驚きました。先生はまる子をとても大切にされていたので、自分で書きたいという思いが強かったのでしょう」(高木さん)

 土屋さんも、さくらさんとの対談本『ツチケンモモコラーゲン』の編集現場で、そのエネルギーを目の当たりにしたと続ける。

「さくらさんは嫌なことから逃げ出すこともあったし、健康志向がありながらたばこをやめられず、プロポリスを塗りながら吸っているような意志が薄弱で矛盾したところがあったけれど、その半面でとにかく“自分がやりたいこと”を実現するときの集中力と懸命さがものすごかった。

 原稿を書くときはガッと集中して、モーツァルトが楽譜を書くように迷いも修正もなしにスラスラと書いていく。仕事はもちろん、自宅のインテリアも凝りに凝って妥協しませんでした。

 もっともその集中力は1時間しか続かない。『だからドラマも長いものは見られないし、サザンオールスターズが大好きだけど、コンサートには行けないんだ』と当時語っていたのを、さくらさんらしいと思いながら聞いていたことをよく覚えています」

 そんなさくらさんの渾身を、TARAKOさんは全身全霊で受け止めた。高木さんが語る。

「TARAKOさんがまる子というキャラクターを心から愛し、いつも優しく明るく振る舞ってくださったことで、制作現場は常にとてもいい雰囲気でした」

 通常、声優は事前に台本を読み込んでからアフレコに臨むが、TARAKOさんは収録当日に台本を受け取り、ぶっつけ本番で臨んでいた。

「現場で初めて台本を読み、そこで初めて演じるスタイルです。映像の中のまる子は事件や出来事に初めて遭遇しているのに、あらかじめ練習していると芝居の新鮮さが失われる。自分がまる子になり切るために、あえてぶっつけ本番を選んでいたのでしょう。『ちびまる子ちゃん』の現場でそうしたスタイルを取っていたのはTARAKOさんだけでしたが、彼女はいつもスーッと自然にアフレコ用の映像に溶け込んでいました」(高木さん)

(第3回へ続く。第1回から読む

※女性セブン2024年4月25日号

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