「試されている気分だった」島田珠代のギャグ“パンティーテックス”誕生秘話
新喜劇での型破りなキャラクターとは裏腹に、島田珠代は深い孤独と戦い続けてきた。娘との別離、母としての葛藤、芸人として笑いを提供しながらも、心の奥底では涙を流す日々。多くの人が彼女のギャグに救われた一方で、彼女自身も笑いに逃げ込むことでしか自分を保てなかったという。
舞台の上では決して見せることのなかった弱さ、悲しみ、そしてその先に見出した希望――「今だからこそ、自分の全てをさらけ出してもいい」と決意した島田珠代が、芸人として、そして母として歩んできた54年の人生を振り返る。
自分を語る転機となった『徹子の部屋』への出演
新喜劇では奇抜なキャラを演じることが多い島田。そんな島田が、今回、自身初となるエッセイ『悲しみは笑い飛ばせ! 島田珠代の幸福論』(KADOKAWA)を発売した。素顔をさらけ出そうと思ったのは、どういった理由からだったのだろうか。
「お笑い芸人には喜怒哀楽がつきものだと思うんですけど、哀とか楽とかっていうのを表に見せるのは小っ恥ずかしかったんです。苦労したとか、泣いたとか。私、泣き虫だから、泣いてしまったら“しまった…!”と思っちゃう、それで笑いが減ると思ってました。
でも『徹子の部屋』に出させてもらって、赤裸々に話したとき、周りの方たちからは“おもしろかった”と言ってもらえたんです。滑稽な役の三枚目キャラが、プライベートな一面を見せてもいいんだと思えたのが大きいです」
島田は複雑な過去を抱えている。それゆえに、素を知ってもらいたいとも思った。
「娘が小さい頃は、一緒にいることが少なかったんです。別れた前の旦那さんがガンになってしまい、娘と一緒にいさせてほしいと言われて、離れて暮らしていたので。それから10年弱は、娘といつでも会える状況ではなく、その時期はツラかったですね。舞台に上がっているときだけ、全て忘れることができたんです。
でも、舞台を降りたら、やっぱり考えるのは娘のこと。毎日毎日、身の切れるような気持ちで、思い出しては“ウワーッ!”と一人で泣くというのを繰り返していました。そこからまた、舞台に上がる前にグッと気持ちを盛り上げる作業がすごくしんどかった。そのときのことを知ってもらいたい、というのもありました」
さらに、SNSが普及したことで素を出すようになった芸人も多い。そんな風潮も後押しした。
「もう54歳のおばちゃんで、半世紀過ぎてるし、皆さんに私自身のことを知ってもらってもいいかなっていうのはありますね。昔はSNSもなくて、プライベートは見せずに、おもしろい部分しか見せてなかったけど、今はそういう時代でもなくなってきましたし」
そして、容姿いじりをネタにしている島田珠代、という役を演じていたからこその理由もある。
「ファンレターのなかには“自殺しようと思っていたけどやめました”とか、“不細工って言われても、珠代さんのように生きていきます”とか、そういう内容も多いんです。そういう人たちが本を読んで、楽な方向になっていけばうれしいですね」
「すごい時代だった」ダウンタウンの人気ぶり
芸歴36年、現在では新喜劇の看板として活躍している島田。彼女の芸風の確立は、心斎橋筋2丁目劇場の芸歴スタートまで遡る。
「当時は男性芸人さんの人気がすごくて、お客さんは女子高生だらけ。印象に残っているのが、ダウンタウンさんが『4時ですよ〜だ』〔※ダウンタウンの知名度を一気に押し上げた関西ローカルの平日夕方帯番組〕の出演終わりに東京へ向かうとき。劇場を出たら、二人が乗る予定のタクシーにファンの方たちが群がっていて近づけない。
そこで、スタッフの人が網にバレーボールを入れてブンブン振り回して、ファンの方たちを散らして、その振り回した網の下に二人を入れてタクシーまで行くんですよ! 今じゃ考えられない(笑)。それでもファンの方たちは二人に触りたいからグングン前に来て、バレーボールがバンバン顔に当たりながらも触ろうとしていた。すごい時代ですよね」
そんな環境のなかで、島田は“可愛い”と言われることを嫌うようになっていった。
「女性芸人は劇場のトイレではなく、劇場が入ってるビルの、一般の人も使用するトイレを使っていたんです。そしたらある日、ライブが終わってトイレに行ったら、ある女性芸人の方が20人ぐらいの女子高生に“あんた! 今田さんに触りたいから芸人になったんじゃないの?”と囲まれて詰め寄られていて。あれを見た日から、私は“可愛くなかったら敵として見られないだろう”と、あえて“可愛い”を嫌うようになっていきました」
そんな島田を慕う後輩芸人も多い。唯一無二の芸風はどのように確立してきたのだろうか。
「ありがたいことに“どうしたら珠代姉さんにみたいになれますか?”とよく聞かれるんですけど、そこで言うのは勇気の2文字だけ。迷ったときにグッと前に出る勇気。そのあとにやるギャグがウケるかは知りませんけど、ただスベるにしても、怖がらず前に出る勇気から笑いは生まれるものだ、と思っています」
新喜劇というチームで作り上げる空間。その独特の空気のなかで一歩前に出るのは、かなり勇気が必要なのだろう。
「前に出ないと自分の立ち位置を確立しづらいんです。そして私は“珠代姉さんみたいになりたい!”と入ってきてくれる子がいると燃えるんですよ。“私のほうがやれるぞ!”って(笑)。“ずっとプレイヤーとして戦っていくぞ”という気持ちがないと、生き残っていけない世界だと思います」
芸歴や年齢は関係ない。おもしろいものを作っていきたいという島田珠代らしい言葉だった。
『相席食堂』で関西以外の認知度が爆上がり
新喜劇の看板として活躍してきた島田珠代。そんな彼女もテレビの露出が増えていく。そこで生まれたのが、今では島田珠代の代名詞にもなっているギャグ「パンティーテックス」。このギャグが生まれたのは千鳥がMCを務める『相席食堂』(朝日放送)だ。
「あまり言ってない話なんですけど、 パンティーテックスが誕生したのは相席食堂のディレクターさんのおかげなんです。収録がスタートしても、そのディレクターさんは何も言わずムスッとしていて、“こうしてください”とか何も言わないんです。
私としたら“何か面白いことできるんですか?”と試されている気分だった。そうなったら、こっちも“なにくそ! やってやる!”って気持ちになって。そこから一発目に出てきたのが、パンティーテックスだったんです」
まさに笑いを求めるプロ同士の空気を感じる。
「この前、『マルコポロリ!』(関西テレビ)という番組に出たとき、本番前に打ち合わせしたんです。そのとき、スタッフさんに“はじめまして”と挨拶したら、“はじめましてじゃないんです”と、それが相席食堂のディレクターさんだったんです。
なんで気づかなかったかというと、当時と雰囲気が違いすぎて“こんなに笑う人だった?”ってくらいニコニコしていて。今ではあの空気にも感謝ですね。パンティーテックスのおかげで、関西以外でも声をかけられることが増えましたから」
島田珠代は、ひろしさんという男性と一緒に過ごしている。エッセイではパートナーと紹介されているが、おそらくその一言では語れない関係性があるように思える。
「ひろしさんとは、もう7年ぐらい一緒にいるんですけど、いわゆる夜の営みはなくて。ひろしさんはすごく潔癖症で、そういった行為が苦手なんです。試みようと思ったことはあるんですけど“珠代ちゃん、やっぱり無理や。あなたのことを愛しているけど、これだけが愛の形ではないから”って。もちろん、最初は“どうしてよ!”って喧嘩したりもしましたけど(笑)」
恋人でもなく友達でもない、特別な関係だと明かす。
「ひろしさんは私の魂をすごく磨いてくれました。“人の悪口を言うと人間の器が小さくなる”とか。ひろしさんと出会ってから、何かを考えるときは魂で考えるようになりました。男とか女とかではなく、島田珠代として考えることが大切なんだと。
『かまいたちの机上の空論城』(関西テレビ)で、“おばちゃんダンス”がバズった当時、じつは自分が“おばちゃんである”ということは受け入れにくかったんです。でも、魂で考えるようになって、鏡で自分を見たときに別物として考えられるようになりました。着ぐるみじゃないけど、髪の毛と肌は別物で、大切なのは魂やなって。魂が腐らなければいいんだ、と気づけたんです」
新喜劇のメンバーと下北沢スズナリの舞台に立ちたい
これまでの人生で一番大きなターニングポイントを聞くと、小学生の頃だと語る。
「幼稚園の頃、 家では喋ることはあったんですけど、いざ幼稚園に行くと本当に喋らない子でした。 そんな内気な性格だったんですけど、小学2年生のときに習字を先生が褒めてくれたんです。それから解放されたように、学校でもワーッとおもしろおかしいことができるようになって、目立つようになっていきました。それが私の原点だし、そのときのことはすごく覚えています。子どもを褒めることは大事だなって」
芸人になってからの島田珠代に大きな影響を与えたのは、「T&T」というユニットも組んでいた藤井隆。父が亡くなった際には、わざわざ駆けつけてくれたという。
「新喜劇での振る舞い方や上下関係で悩んだことがあったんですけど、そのときは藤井隆くんをマネるというか、学ばさせてもらいました。彼からはすごく影響を受けてます。藤井くんの振る舞いを見ていなかったら、私はダメになっていたかもしれないと思うくらい。本当に凛としていて、あんな人に私もなりたい! と思っていました」
最後に、今後やりたいことについて聞いてみた。
「新喜劇の好きなメンバー3人くらいと一緒に、ザ・スズナリで何かしてみたいですね」
ザ・スズナリとは、下北沢が“演劇の街”と呼ばれる起源となった歴史的な小劇場である。
「公演するなら2年待ちとかなんですけど、悲劇のヒロインというか、悲しみを背負った役とかを、スズナリでいつか演じてみたい。今までツラいことがいっぱいあり、いつでも涙が流せるので、それを有効活用したいですね!」
これまで彼女が見せてきたのは、観客を笑顔にするための姿だった。その裏では、涙をこらえ、苦しみを抱えながらも立ち続けてきた島田珠代。しかし今、彼女はその強さだけでなく、弱さや痛みさえもさらけ出し、新たな一歩を踏み出そうとしている。
(取材・撮影:TATSUYA ITO)
10/27 12:00
WANI BOOKS NewsCrunch