流行りのデカ女グラドル・原つむぎの目標は「お笑い賞レースで爪痕を残すこと」

2020年からグラビアアイドルとして活動している原つむぎ。170cmという高身長に加えて、B101・W64・H100というスタイルでグラビア界を席巻している彼女には、もうひとつの顔がある。それは、お笑い芸人「ビキニクリエイター」のボケ担当なのだ。

聞くところによると、高校生の頃から今の相方とお笑いライブなどに出演しており、アイドルによる記念受験的な出場ではなく、小さなライブで調整をしてから賞レースに望んでいるという彼女。今もなお、お笑いを極める気持ちが強い理由とは? これまでの人生と見据える未来について、ニュースクランチ編集部がインタビューした。

▲原つむぎ【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

このサイズのビキニは海で着ない(笑)

原つむぎがグラビアアイドルを志したのは2020年。大学卒業のタイミングだったそう。昔から表に出る仕事を目指していたのだろうか。

「高校は演劇科に、大学は保育系の学校に行っていました。小学生の頃から、保育園の先生になりたい、子どもに携わる仕事がしたい、と思っていたこともあり、大学では保育士の免許と幼稚園の先生の免許を取ったんです。俳優など、演劇に携わる仕事もやりたかったんですけど、当時は仕事にする勇気がなくて」

演劇と保育、次に興味を持ったのはグラビアアイドルという職業。その理由を次のように語る。

「お笑いとかミュージカルとか、小劇場での公演とか舞台を見るのが好きで、やっぱり“出てみたいな”と思ったんです。それで、オーディションを探してみたんですけど、大学を卒業するタイミングがコロナ禍だったこともあって、舞台のオーディションが全然なかったんです。

そのときに、グラビアのオーディションを見つけたんです。周りの人からよく“おっぱい大きいね”って言われるし、自覚があったんで“やってみよう”と思いました。感覚で行動してしまうタイプというか、気持ちがちょっとでもあったら、やってみようって思っちゃうタイプなので(笑)」

▲周りの人からよく「おっぱい大きいね」って言われてました

高校の演劇科は40人中36人が女子、大学も女子大だったという。グラビアという仕事で、初めて男性の目に触れることになったというが、最初の心境はどうだったのだろうか。

「不安はあったんですが、意外と平気でした。“このサイズのビキニ、普通は海で着ないだろ……”というのはありましたけど(笑)、楽しいことのほうが多かったです。グラビアの仕事って、日常とかけ離れているんですよね。お仕事で沖縄に行くとか、非日常的で楽しいじゃないですか。

それから、初めての撮影のときは、私のためにメイクさんがいて、ほかにもスタッフさんたちがいて、“自分のために動いてくれるんだ!”と愛を感じてうれしかったです。男性ファンの方々が、撮影会とかイベントに来てくれるのも、最初は緊張していましたけど、徐々に慣れていきました。“私のことを撮りに来てくれるんだ!”っていう驚きが大きかったです」

感覚で志したグラビアの道。最初の頃は撮影現場で苦労したようだ。

「ぎこちなさすぎて、スタッフの方から“ロボットだね”と言われました(笑)。もともと、カワイイ女の子を見るのが好きで、写真集をいくつか持っていたので、それを“カワイイ!”ではなく、“どうやってポーズを撮っているんだろう……”という目線で見るようにしました。特にNMB48が好きだったので、NMB48さんの写真集で勉強しました」

デビューから早4年。スチールとムービー、それぞれの撮影をこなしていくうちに、自分の強みもわかったそう。

「自分では写真のほうが好きなんですが、見てくれている人に私が伝わりやすいのはムービーなのかなって。実際に、写真を見てイベントとかに来てくれた方から、“動いているのを見たら、思っていた印象と違った”“もっとクールで、きつい感じかと思った”って言われることが意外と多くて。でも、そういうカッコイイ感じもいいですよね」

初めて立った舞台で「藤崎マーケット賞」

原は現在、高校時代の幼なじみ、軟骨!とともに、ビキニクリエイターというコンビ名で『M-1グランプリ』や、若手芸人の登竜門『UNDER5 AWARD 2024』などの賞レースに挑戦中だ。

活動を始めたのは、グラビアを始めてからと聞いていた。しかし、「じつは高校生の頃、今の相方と違うコンビ名で、M-1に出たり、ライブに出たりしている時期もあって……」と告白。その経緯は、無類のお笑いファンだったからと話してくれた。

「一番のきっかけは、高校2年生のときに8.6秒バズーカーさんがすごい流行って。それで“大阪で見れるらしいで”って劇場に見に行ったら、8.6秒バズーカーさん以外にも、おもしろい人をたくさん見つけてしまって。しかも、さっきまで舞台に出てた人が、手売りでチケットの販売とかをしてるんですよ。“また見に来てください!”って。そんなん行くじゃないですか(笑)。

それで、気づいたら週に5〜6回ぐらい劇場に通うようになっていました。特に、からし蓮根さんのことは、かなり追いかけていましたね。電気屋さんの営業とか、当時やっていたファミリーマート店内でのライブも行っていましたから(笑)」

ただ、いくら好きでも「自分も芸人になりたい」とは思わない。なぜ「やってみよう」と思えたのか。そのきっかけは、吉本の養成所「NSC」のオープンスクールだったそう。

「当時の私は『Kakeru翔LIVE』っていう、1000円でチケットが買える若手中心のライブに通っていたんです。ただ、NSCのオープンスクールには、和牛さん、かまいたちさん、藤崎マーケットさんが来ると知って。

“大金を出さないと見れない人たちが、ゲストに来るみたいやで!”って、今の相方と盛り上がって(笑)、軽い気持ちでオープンスクールに参加したんです。そしたら、実技形式の体験授業があって、漫才のネタが穴埋めになってて、それを披露するというものだったんですが、私たちは演劇科だったんで、そこで歌って踊ってみたんですよ。

いま思うと、女の子二人がいきなり歌って踊るって、かなりおかしいし、目立ってたからだと思うんですけど、藤崎マーケットさんから『藤崎マーケット賞』をもらったんです。それで“え、すごい! うちらお笑いできるんじゃない?”って調子に乗っちゃって」

その後も、まさかの順風満帆だった。試しに大阪のお笑いライブ『キタイ花ん』のオーディションを受けると、一発合格。

「いま思うと、おもしろくないんですけど、歌って踊る変な女子学生で珍しかったから、でしょうね。でも、そのときに“キタイ花んのオーディションは、からし蓮根も1回は落ちてるらしいよ”って、どっかから聞いて。“うちらって、すごいのかも!”って盛り上がっちゃいました(笑)。

ライブでは、全然ウケなかったです。ただ、演劇科って“スベる”に似たことを体験することが多かったんですよ。授業も座学、声楽、モダンダンス、クラシックバレエ、狂言、日本舞踊……変わったことだと、鬼ごっこを全力でするみたいなこともあって。それでメンタルが鍛えられていたんだと思います。

あと、相方がすごくポジティブなんです。何かの賞レースに落ちても“審査員が見る目なかったな”って言っちゃうくらい(笑)。だから、ウケないことが気にならなかったんですよね」

▲女の子二人がいきなり歌って踊るっておかしいですよね

お笑いとグラビアを掛け合わせた存在になりたい

今後、お笑いとグラビアの仕事はどのように両立したいのか。それについて原に聞くと、ある肩書が欲しいと笑顔で話してくれた。

「グラビアをめっちゃ頑張りたいという気持ちがある一方で、お笑いを本気でやりたいとも思っています。ただ、お笑いに関しては、やればやるほどプロとの差を感じてしまうことが多くて、もどかしいんですよね。

今年は『キングオブコント』に出ようと思っているのですが、4本のネタをライブで試していて、どれで挑もうかと考えているところです。相方とも、定期的にZoomで打ち合わせをしています。もちろんグラビアが主軸ではあるんですけど、お笑いに割く時間はどんどん増えていっています

ズルい言い方かもしれないですけど、お笑い一本では勝てる感じがしないし、グラビアでもスゴい人がいっぱいいる。でも、お笑いとグラビアを掛け合わせた存在では私しかいない、という状況になれたら強いなと思ったんです。

なので、直近で目指している肩書きは“やたら賞レースに出て、やたら結果を残しているグラビアアイドル”。出てるだけじゃなくて、結果を残してるっていうところを目指したいです!」

ちなみに、その肩書きを引っ提げてやりたいことは「写真集とフォトブックをもう一度出したい」そう。

「私、去年の今頃から今年までに、10キロ弱も痩せたんです。もともとはインフルエンザがきっかけで、3キロぐらい一気に落ちたのですが、それをキープしようと思って、ジムに通ったりしていくうちに、1年間かけて痩せられました。今までは撮影に行くと“おっぱい大きい”と言われてたんですけど、最近は“スタイルいいね!”って言われるようになったんです。

なので、今の体の状態で、写真集とフォトブックをもう一度出させていただきたいなって。今はデカ女ブームらしいので、おっぱいが大きいだけじゃなくて、スタイルよくなりましたよって、世間にアピールしたいです!」

(取材:於 ありさ)


全ての写真をみる

ジャンルで探す