シンガーソングライター片平里菜「最近は土地と結びついた歌に変化してます」

2023年にデビュー10周年を迎えた片平里菜。そんな彼女が最新アルバム『Redemption』をリリースした。今回のアルバムは、新たな表現者としての片平里菜を象徴する11曲で構成されている。この10年間、歩みを共にしてきたOAUや、おおはた雄一などの先輩アーティストたちに楽曲制作を直接オファーし、緻密な楽曲制作に向き合ってきた。

自身のnoteで「わたしの人生をいろんな角度から見つめたドキュメンタリーのようなアルバム」という言葉を残しているが、まさに自分自身、そして他者の2つの視点を融合させた“片平里菜”を感じさせる作品でもある。『Redemption』というタイトルは、救済や償還といった意味合いを持つ。ニュースクランチのインタビューでは、アルバムを通して片平が歌い上げる“救済”について迫る。

▲片平里菜【WANI BOOKS-NewsCrunch-Interview】

楽曲を選ぶ基準は「自分の心が動くかどうか」

――今年の夏には猪苗代野外音楽堂でデビュー10周年イベントを開催されました。改めて、デビュー10周年を迎えての率直な感想から教えてください。

片平里菜(以下、片平):この10年間、本当にたくさんの経験をして、いろんな人に出会えました。今は本来の自分に立ち返ったような心のうちです。でもそれは、ただ単に巻き戻ったわけじゃなくて。ここまでの経験のなかで、大切な思想や価値観をしっかり得たうえで、本来の自分になったみたいな感じです。

――今回のアルバム『Redemption』に収録されている楽曲は、祈りや神様というワードが数多く登場します。このような“Redemption”の世界観への構想は、はじめから決められてたんですか?

片平:じつは決めていなかったんです。10周年の節目に曲を書いて、アルバムを作ることだけが決まっていて。その曲たちのなかで、 アルバムとして世に出したいって思う曲の基準、それがテーマにつながってると思ってます。

――ちなみに、その基準とは…?

片平:自分が作った曲に、自分の心が動くかどうか、自分が救われるかどうか。Highじゃなくても、愉快な気持ちになれるもの。そういう基準を満たした曲たちが、このアルバムになっているんじゃないかと思います。レコーディングして11曲がそろって、いよいよタイトルを決めるときに、“これはRedemptionだな”と思いました。

――先に片平さんから生まれた曲があって、結果的にそれらをつなぐものがタイトルだったんですね。

片平:そうですね。たぶん、これまでの作品にもそういう要素はあって。でも今回は、今まで以上に、自分が本当に歌いたいこと、伝えたいことに向き合って作った曲たちです。表現したいことがはっきりと出たから、このタイトルがカチッとハマった気がしています。

――今回のアルバムでは、10年間の歩みを見守ってきたOAUの皆さん、おおはた雄一さんに直接オファーして楽曲を制作したとのことですが、他のアーティストと一緒にアルバムを作ろうと思ったのはなぜですか?

片平:そもそも、今回のアルバムって完全に自主制作なんです。今までは事務所とかレコード会社に所属していたので、プロデューサーさんやディレクターさん、アレンジャーさんたちとアルバムを作っていくやり方だったんです。今回は、どこにも所属せずに、自分の意志で作っていく感じだったんですね。

初めてだったので、それが本当にできるのか不安で……。先輩からは「1人でもできるよ」と後押しをいただきましたが、客観的に自分の歌をディレクションしてくれる人、アドバイスしてくれる人がいたほうが、より正しく自分を見つめられるなと思ったんです。

――なるほど。では、さまざまなアーティストがいるなかで、OAU、おおはたさんにお願いしたいと思ったのは?

片平:おおはた雄一さんは、ハナレグミの(永積)タカシさんとお会いしたときに「アルバムを自主制作するんですけど、誰かディレクターさんいないですかね?」って聞いたら、数日後にメールで「おおはたくん、いいと思うよ!」と連絡くださって。

ちょうど、おおはたさんとライブでご一緒するタイミングがあったので、直談判しました。そこでOKをいただいた感じですね。OAUさんは、 音楽の先輩でもあり、私の人生のいろんな場面でお世話になっている先輩でもあるのですが……。

私は地元が福島なんですけど、東日本大震災があったときも、福島に住んでいたんです。震災直後、全国からいろんな人が支援活動に来てくれていたなかで、真っ先に来てくださったのが、BRAHMANのTOSHI-LOWさんたちだったんですよ。

音楽の先輩として出会う前から、かっこいい背中を見せてくれたと言いますか。一人の大人としての先輩ですね。あとは、今回のアルバムはメッセージ性が強いので、OAUさんとの親和性があった気がします。それにサウンド面でも、アコースティック主軸の牧歌的な雰囲気があるので、どっちの意味でもぴったり合う気がしてお願いしました。

▲今回のアルバムに収録された楽曲の基準を語ってくれた

「大切な人が無事であってほしい」という祈り

――制作は年明けから取り掛かったとお伺いしていますが、他のアーティストの方々と、これだけの曲を一緒に仕上げていくのは、スケジュール的にかなり忙しそうなイメージです。

片平:一応、余裕をもって計画していたので。曲のタネになるレコーディング前の弾き語りのデモ曲は、以前から作りためていたものもあったし、めちゃくちゃ大変だったわけではなかったかも。でも、周りのスタッフさんが大変そうでした。ミュージシャン側は呑気というか(笑)。こういう創作って、時間の制限があったほうがいいこともあって。今回はまさにそうだったんじゃないかな。

――アルバムリリース時のインスタライブで、今回のリード曲「ロックバンドがやってきた」は、BRAHMANっぽさを模索しながらブラッシュアップしたとのお話がありましたが、具体的にどのような“BRAHMAN”っぽさを取り入れたのでしょうか?

片平:パワーですかね。音楽的なこと言うと、この曲はコード進行やギターのリフは、そんなにBRAHMANっぽくはなくて。どっちかというとメジャーなコード進行で、ポップス寄りな爽やかな楽曲になっていると思います。

だから、メンバーの皆さんが、この楽曲に合うようなサウンドやリズム、ギターのリフとかに寄り添って、考えてくださった感じがあるんですよね。パワーはBRAHMANだけど、楽曲に寄り添ってくれる優しさもある、みたいな感じに思ってます。

――デモ音源から変わったと思われる部分は、どんなところでしょうか?

片平:歌自体はそんなに変わってないですね。でも、サビからバンドインしてから展開される高揚感とアグレッシブさは、もう本当に大変貌を遂げたと思います。

▲「予兆」に込めたメッセージを多くの人に届けたい

――1曲目の「予兆」も印象的ですよね。この曲は53ヶ所ツアーで必ず歌っていた曲でもあり、その理由を「今の自分と世界に必要なメッセージだと思う」とお話しされていましたが、さらに言語化してもらってもいいですか?

片平:「予兆」は命について歌っている曲なのですが、2つの捉え方があると感じています。私は、東日本大震災で津波を含めた災害の恐ろしさを知ったんです。そこから12年経った今も、全国各地で自然災害は起きています。まずは、そういった自然の猛威を感じる歌として。一方で、今この瞬間も遠くない国で戦争が起きていて、戦争の火の手から逃れる人たちを思い浮かべる人もいると思うんです。

だから、そういったことが差し迫っている今の時代で、本当に大切にしたいものに立ち帰ったとき、思い浮かぶものって、やっぱり目の前の命なんですよね。どんな場所や国でも、きっと全ての人に共通するのは「大切な人が無事であってほしい」という祈りだから。そこに共鳴するように、いつも歌ってます。

片平里菜が考える「音楽と土地のつながり」

――今回も感謝巡礼ツアーと同様に、どこの会場でも地元のミュージシャンを招待しているそうですね。先ほど地元・福島のお話しもありましたが、片平さんは“土地と音楽の結びつき”を大切にされているように感じました。

片平:今まではそれほどでもなかったんですけど、最近は強く実感しますね。私はただ単に、音楽だけをして生きていきたいっていうタイプじゃないので。自分が“生きている実感”そのものに興味があるんです。

生きることを突き詰めると、住んでいる環境があって、その場所で取れたものを食べて、自分の体になっていくことだと思うし。そう思ったときに、人と場所……もっと言うなら人と土って、離れてはいけないと思ったんです。こういうことを考え続けているから、最近は土地と結びついた歌やメッセージに変化しているのかもしれません。

――アルバムのジャケットを撮影されていた場所は、福島県の浜辺とお聞きしていますが、やはりこれもご自身の故郷で、という意味なのでしょうか?

片平:ジャケットに関しては結果論でした(笑)。このアルバムのアートワークのテーマは自主制作。DIYとか、パンク的な要素をアートワークで示せたらと思ったんです。それで、私なりのコラージュ作品を作ろうと思いました。

自分が救われるためにやってきたこと、例えば絵を書くことや日記を書くこと、旅にまつわるものなどをコラージュ作品として並べようと思って。ジャケットの撮影場所については、東北に移動する……この日しか時間がないみたいな感じでした。「この場所だったら撮れる!」っていうのが、福島だったというか。

――片平さん自身の“救い”や“魂の解放”を手伝ってくれたモノたちで構成したコラージュ作品を砂で埋める、という物語性にも感動しました。いずれ誰かに忘れられたり風化することもある、というのは全ての芸術の共通点でもあると感じたのですが、片平さんが「歌い続けたいと思う理由」を教えてください。

片平:それが今でもわかんないんです。来年、歌いたいと思ってるかな? でも少なからず、今は歌いたいと思っています。このツアーをしっかりやり遂げたいと思っているし、明日のライブも次のライブも歌おうと思ってるけど、先のことはいつもわからないです。でも、きっとその繰り返しなので、1つのプロジェクトが終わったり、ツアーが終わったときに“あ、また歌いたいな”と思ってるのかな。

このアルバムの3曲目「いつの日か」は、私の心に残っている景色を描いていて、2番の歌詞で福島県の農家さんのことを歌っているんです。福島県の農家さんって、原発の放射能の影響で、葛藤しながら農家を続けることを決めた方が多いんです。

その話を聞いて、農家の⽅が言っていた「来年百姓」って言葉を思い出しました。毎年ベストを尽くして「来年は辞めるぞ!」って思うんだけど、収穫後には次の年の種まきや肥料について考えちゃって、辞められないみたいな。それを聞いて、“私自身もそうだろうな”って思ったんですよ。

――ツアーFINALでは、デビューのきっかけとなった日比谷野外音楽堂が会場に決定しています。これは最後には「原点(始まりの場所)に帰る」という思いがあっての計らいなのでしょうか?

片平:これも、結果的にそうなった感じなんです(笑)。でも確かに、日比谷野外音楽堂は12年前の「閃光ライオット2011」のステージとなった、私にとって思い入れのある場所です。そのときに見た景色とか、目の前のたくさんの人に初めて自分の歌が届いた感覚とか、それを追いかけるようにこれまで活動していた節はあります。

いつか自分の力で、また日比谷野外音楽堂のステージに立ちたい思いで活動していたんですけど……。でも正直、それはどのタイミングでも良かったんです。日比谷野外音楽堂って、抽選なので運の要素が大きいんですよ(笑)。今回、たまたま当たったのは、もはや奇跡。1年前に抽選をするんですけど、特に土日だと倍率が30〜100倍だって、マネージャーさんに聞きました。

――本当に縁ですね!

片平:決まったときはうれしかったです! でも、難しいのはわかっていて、期待していたわけではなかったから、驚きのほうが強かったかも(笑)。

▲ツアーFINALの場所が日比谷野外音楽堂に決まったことを奇跡と語る

――最後に、10周年を迎えた今、次の10年後に向けての目標を教えてください。

片平:10年後って40代!? わかんないですね(笑)。どうなってるんだろう。もしかすると、結婚とか……もしてたりするのかな。今回のアルバムって、今の私の目線で書いた曲もあれば、子どもたちの目線にぐーっと下がったり、幼少期の記憶に遡って書いた曲とかも多くて。子どもの未来っていうのもテーマになってるんですよ。だから、少しよぎったというか。10年後がどんな形であっても、自由でありたいですね。

(取材:すなくじら)


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