“女・尾崎豊”と呼ばれた和(橘いずみ)、今も忘れられない「本人とのたった一度の会話」の中身

「『失格』は、ライブで一緒に歌った人の何か違う部分を引き出しちゃう曲なんです」(写真・木村哲夫)

 

 1993年、3枚めとなるシングル『失格』は、それまでの橘いずみのイメージを一掃した。歌のメッセージ性の強さから“女・尾崎豊”と評された。言葉が持つ力強さは、30年以上経った今でも、まったく色褪せない。彼女はいったいどんな音楽に育まれてきたのか、『告白』までのルーツを辿ってみた。

 

――初めて音楽にふれた体験から教えてください

 

 

「音楽ってすばらしいと思ったのは『ゴダイゴ』なんですね。小学4年生のころ。ドラマ『西遊記』(日テレ系)を観たんだと思います。『ガンダーラ』『モンキー・マジック』とか最高でしたね。叔父がレコード会社のコロムビアに勤めていたので、サンプル盤をよく家に持って帰って聴いていて。そのサンプル盤のなかにゴダイゴを見つけて、『叔父さん、これ、私がすごい好きなバンド』と言ったら、ゴダイゴのアルバムを全部持ってきてくれて。だから、ずっとアルバムを聴いてたんです。歌詞が英語なのですごいと思って、そこから英語を習いに行ったりとか。タケカワ(ユキヒデ)さんみたいに、英語でしゃべりたいと思ったんです」

 

――バンド活動はいつごろから?

 

「中学のとき時はバスケットボール部だったんですけど、高校に入ったら音楽をやりたいと思っていたので、16歳でバンド『開戦前夜』を組みました」

 

――「開戦前夜」ってすごいバンド名ですね。

 

「『開戦前夜』は、THE MODSのコピーバンドでした。私がキーボードが弾けるということで誘われたんです。そのころ、ジャパニーズヘヴィメタルがすごく流行っていて、ラウドネスはちょっと難しかったので、アースシェイカー、浜田麻里さん、プレゼンスとかコピーをしてましたね」

 

――ジャパメタのコピーバンドを!?

 

「明るいメロディアスなハードロックがいちばんかっこよかったんですよね。ボーカルをやりたくてガールズバンド『ハイヒール』を結成して。44マグナム、アクション、ノヴェラ、ラジャス…。歌というか、叫んでましたね。ずーっと。大学に入ると、もっとテクニカルなものを歌いたくなって、ブラコンにハマって。チャカ・カーンを歌ってました」

 

――バンドでオーディションなど、受けていましたか?

 

「高校時代、『ハイヒール』で、ヤマハの『ティーンズ・ミュージック・フェスティバル』という10代のためのコンテストに出場しました。そこで、ボーカルの私がおもしろいって言われて、円広志さんのバンドのコーラスをやらせていただいたことがありました」

 

――22歳のときに、ソニーオーディションで優勝。村下孝蔵さん、浜田省吾さん、杉真理さん、尾崎豊さんのプロデューサーとして有名な須藤晃さんが担当されることになりました。

 

「須藤さんのことは、知らなかったんです。まわりの人が『須藤さんなの!?』って驚いてましたけど。目つきが尋常じゃくて(笑)、すごく怖そうな人でした。ミーティングのときに、『あなたは何が歌いたいの?』と訊かれて、『そんなの考えたことないです』って返事をしたら、須藤さんは想定外の回答だったみたいで。『歌詞を書こうとしなくていいから、ノートに自分が思ってることとか、自分の歴史だったり、毎週そういうことを書いて、持ってきてくれない?』って言われて。1年ほど、キャンパスノートに書いたものを須藤さんに持っていく生活でした」

 

――須藤さんは、いずみさんに、最初から詩を書かせようとしていたんですね?

 

「須藤さんは『僕は詩を書く人じゃないと出来ないから』って言ってました。詩を持参しても、とくにコメントはないんですよ。今思うと、私自身がどんなことを考えているのか、どんなことに心が弾んで、何に対して落ち込むのか、そういうことを共有するためだったんじゃないかなと思いますね」

 

――生まれたときから言葉が溢れているのかと思ってました(笑)

 

「最初のころは恥ずかしいし、思いつかないし。でも、須藤さんに見せるためのものだったのが、だんだんと“自分対自分”で書いていくようになっていって、『こんなことを須藤さんに見せるのか……』と思うようなものを持っていくと『おぉ』って言われましたけど。夢中になっていきましたね。それまで向き合うことなんてなかったし、人にも見せないタイプだったので。今でも恥ずかしいですけど」

 

――デビューは、杉真理さん作曲の『君なら大丈夫だよ』でした

 

「まだ自分のやりたいことがぼんやりしていたんですね。須藤さんに『どんな曲がいい?』と訊かれて、聴く人を元気づけるような、竹内まりやさんの『元気を出して』を挙げたんです。須藤さんのなかで『だったら杉くんだろう』みたいな。杉さんがピアノを弾きながら鼻歌っぽく歌を歌っているデモテープをもらって、大喜びしました。そのカセットテープは、今でも持ってます」

 

――なるほど。竹内まりやさん、杉真理さんとたしかに、音楽的に繋がりますね。

 

「私のなかでは、杉さんの曲を歌うのは自然な流れだったんですけど、アマチュア時代に大阪で私を応援してくれた皆さんは『あれ?』みたいな感じで。昔とぜんぜん違うじゃないかと。ジャパメタ時代は叫んでいたのに、叫んでないと。当時、タワーレコードにキャンペーンで行ったときに、バイトしてたウルフルケイスケさんが、『いずみちゃん、感じちがうなぁ』って。いい曲だし、私も大好きな曲なんですけど、自分の全部を表現しているのかというと、ちょっと違うというか。ブラコンを聴いてシャウトしている一面はないわけです」

 

――『君なら大丈夫だよ』の世界だけではないと。

 

「1stアルバムに『のぞみ』という曲があって、《誰かを殺す 夢を見たんだ》って歌詞を書いたときに、ちょっとみんなが『おや?』って感じだったので。須藤さんに『この曲をもっと進化させたものを作っていきたい』って言ったんですね。自分のもっと激しいところをわかりやすく伝えたいと。そしたら、『そういう音楽が好きな人は数%しかいない。でもその人たちは、ものすごく強く、君のことを支持してくれるようになると思う』と前置きして、『どっちがいいの?』って訊かれて『なんだかわからないです』って答えました」

 

――自分のなかで伝えたい言葉が、世界が出てきた

 

「『エグい』部分ですね。今までぜったい人には言えなかったことを、言えるようになってきたんです。須藤さんには1年間、自分の内面を見せてきたので、歌を作るのも恥ずかしくなくなってたんですね。音楽も2人で作ってたから。だから、『失格』という曲も、清水の舞台から飛び降りるような気持ちではなくて、自然な気持ちのまま作ったんです」

 

――『失格』の言葉はどんなふうに生まれたものですか?

 

「歌詞を作るというより、“五・七・五”みたいな。リズムのある文章をとにかくいっぱい書いたんです。私が書いたものを、須藤さんが入れ替えたりして、すごく編集されているんです。だから、この歌詞の順番に書いたものではなかったんです」

 

《自分の言いたいことを私は何も言わない自分にやりたいことを私は何もできない自分の為に泣いても人の為には泣けない主義・主張を叫んで外を歩く勇気なんかない》

 

 橘いずみの「もっと激しいところ」が露わになった曲が生まれた。

 

――『君なら大丈夫だよ』の世界観から大きく離れます。きっかけになったのは?

 

「須藤さんから、井上陽水さんの『氷の世界』のような曲を作ろう、と言われんです。私は曲を知らず、聴いてみたらかっこよくて。私は尾崎豊さんや浜田省吾さんの影響を受けていると言われることが多いけれど、この曲のロールモデルは、陽水さんの『氷の世界』なんです。オリジナルの言葉で、自分の曲になったという確信はありました。あと言葉が持つリズムですね」

 

――ラップのような試みをやったわけですね。

 

「大瀧詠一さん、杉さん、佐野元春さんのアルバム『ナイアガラ・トライアングルVol.2』をよく聴いていて。なかでも、佐野さんが大好きだったんですね。ちょっと洋楽っぽいニュアンスを持った音楽で。その佐野さんの遺伝子ですね(笑)。言葉にリズムを乗せる音楽といえば、そうですね。

 

――曲が出来たとき、手応えはありましたか?

 

「ありましたね。レコーディングで、リズム録り(ドラムとベース)のときに、私が一緒に歌ったんです。そのとき、震えちゃって。武者震いみたいなものかもしれなけど。自分でも何かわからない。震えて歌えないテイクがあったんですけど、まわりのスタッフもちょっと驚いて何も言えない、みたいな雰囲気があって。スタジオ中が、ちょっと鳥肌立ったみたいな感じになったんですよね。それを見て、自分はこれなんだ!って思いましたね」

 

――覚醒したんですね

 

「憑依した。何かが降りてきたみたいな曲だったので。《あなたは失格 そうはっきり言われたい》。ダメだったらはっきりダメだって言ってほしかったんですね。ぼんやりすることが多かったので。なんでもはっきりさせたほうが楽なんじゃないかと思って」

 

――『失格』の反響はいかがでしたか?

 

「ものすごくパワーのある曲だなと思いますね。ライブなどで、一緒に歌った人の何か違う部分を引き出しちゃう曲なんです。それを見るのも楽しみのひとつで。これはもう、神様からもらったギフトだなとすごく思いますね」

 

――“女・尾崎”と呼ばれていたことはどう感じていましたか?

 

「嬉しかったですね。ここまでエネルギッシュに自分も歌えたらすごいなと思いました。私がデビューする前に、一度、ライブに行って、お話させてもらったことがあるんです」

 

《私、これから須藤さんと一緒に仕事します、橘いずみといいます》

 

《どんな音楽なの?》

 

《今、作ってるところです》

 

《じゃ、虚勢を張らないようにね》

 

「そのあと、尾崎さんはスタッフに呼ばれて、控室を出て行っちゃったんですけど。その『虚勢を張らないように』という言葉は、自分をジャッジするときのポイントになっています。尾崎さん、キラキラしててかっこよかったです」

 

――サウンド作りで影響を受けたのは?

 

「当時、ソニーの信濃町スタジオに行くと、奥田民生さんがレコーディングをしていて。いろんな楽器を自分で演奏して、自由に音を作っていたんです。それを見ていて、編曲家に頼むのではなく、ミュージシャンを呼ぶわけでもなく、須藤さんと2人で音を作っていくようになったんです。ユニコーン、とくに民生さんの影響は大きいですね。踏襲しています」

 

――今の年齢で歌う『失格』は何か違うところがありますか?

 

「違いますね。20代のときは前のめりに歌ってたと思うんですけど、50代だと、腹が座るというか」

 

――今でも「失格と言われたい」気持ちはありますか?

 

「あります、めちゃくちゃあります。でも、褒められたいもあります。なので、ちょっといやらしい『失格』になってると思います(笑)」

 

和-IZUMI-(橘いずみ)
1968年12月11日生まれ 兵庫県出身 1992年6月21日、シングル『君なら大丈夫だよ』でデビュー。『バニラ』『サルの歌』など、数々の名曲をリリース。2007年からは、映画・ドラマのサウンドトラック、主題歌なども担当。2020年8月、和-IZUMI-に改名。4月26日、公式オンラインストアで、新曲『エール』を発売した

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