尾崎世界観「ミュージシャンが、カリスマ“転売ヤー(転売屋)”にとらわれていく心裏を描いて。登場人物の名前が個性的な理由は…」
(構成◎かわむらあみり)
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興味をそそられた「転売ヤー」の存在
『転の声』では、喉の不調に悩むロックバンド「GiCCHO」のボーカリスト・以内右手が、カリスマ“転売ヤー(転売屋)”にとらわれていく心裏を描きました。そもそも転売という行為や、転売をする人自体にとても興味があって。自分自身でもバンドをやったり、小説を書いたり、誰かに認めてもらいたいと思う中で、作ったその作品の値段が転売ヤーによって上がったり下がったりするという経験をしました。評価されなければ悔しいし、評価されたら嬉しい。実際、自分に関わるものの価値が上がったり下がったりする、そんな世界が衝撃的でした。
お客さん側も、好きなアーティストのチケットが売れたり、売れなかったりするのを目の当たりにして、どういう気持ちなのか。ただ売れればいいというわけではなく、ずっとインディーズの頃から応援していたアーティストがメジャーデビューして、レコード会社によって路線を変えられたと憤る方もいる。よくわかる感情なんですよね。それらは全部、自分発信で感情が動いている。
でも、転売ヤーに関しては、自分というものがほとんどない。ただ売れているものを情報として受け取って、それを仕入れて、どのくらいの儲けになるかということしか考えていない。自分は、いろいろなものに対する興味があるし、誰かの好意によって初めて成立する仕事をしているので、「自分」がない人の感覚が面白いと感じて。本来ならその作品に対して何かしらを感じてもいいはずなのに、転売ヤーはいちいち心を揺さぶられたりしない。そんな存在がすごく不思議でもありました。
自分では絶対にやらないことをやっているそんな人たちが気になって、『転の声』を書き始めた3年半ほど前から、「転売ヤー」のことをずっと調べていて。転売がニュースになると全部ブックマークしながら、転売ヤーの情報を集めていきました。転売ヤーにもいろいろな種類があって、それだけでやっている人と、副業として半分趣味でやっている人がいたり。悪いことをしていると思っていない人もいれば、悪いことだと自覚しながら転売している人もいて、一括りにできないところにも興味をそそられましたね。
小説は“自分だけが世界を見ている”視点で書く
転売ヤーといえば、自分の本のサイン会にも来ることがあるようです。あるようです、というのは、直接「転売ヤーですか?」と聞いたことはないから(苦笑)。ただ、本当のファンの方だと、こちらに対する緊張や敬意を感じるからわかるんですが、転売ヤーはまったく興味がないからこそ自然体。本人を前にしても緊張すらしないんです。断言はできませんが、サイン会で目の前にそういう人が来て、多分そうだなと思いながら「宛て名は?」と聞くと、必ず「いらない」と言われる。転売する時は、為書きがあると邪魔になるんですよね。
登場人物には、転売ヤーのカリスマ・エセケンの他にも、カップル系転売ヤーのウリ☆モリ、売倍×カンガルーなどもいて。ちなみにウリ☆モリは、「売る」と「盛る」から名前を付けました。書きながら登場人物にその場で変な名前を付けるのが好きなんです。今回に限らず、あえてふざけているのがわかるような名前にすることが多いですね。そもそも自分の名前がふざけているので(笑)。小説の主人公の名前を決める時も、普通の名前にすることに照れがあるんです。なんか真面目に書こうとしているぞ、と自分で思ってしまって。だからいつも突っ込みどころのある名前を付けています。
登場人物の顔は、一切思い浮かべて書いていません。それはどの小説でも同じです。セリフも少ないし、自分の書き方の癖なんです。いずれ逆のこともやってみたいけれど、自分が普段見られている立場なので、仕事を通して小説を書く時はどうしても、誰にも見られないまま、“自分だけが世界を見ている”という視点で物語を書きたくなるんだと思います。
だから、主人公の以内右手はバンドを組んでいますが、他のメンバーはあまり出てきません。あえて詳しくメンバーを書かないことによって、関係が冷え切っているのかなとか、この主人公は必要なところしか見ない癖があるなとか、本当に見なきゃいけないことからいつも目を背けてしまう人間なんだなということが伝わるはずだと思いました。歌の歌詞と違って小説はいくらでも文字が書けます。だからこそ、「何を書かないか」がすごく大事だと思っています。
落ち込んだ時に「プロとしてやっている」と実感
歌詞も小説も自分から生まれる作品ですが、やっぱり違うものです。歌詞は、たとえ伝えたいことが全部言い切れていなくても、音に乗れば届いてしまうもので、そこに対する罪悪感もあります。まだちゃんと言いきれていないのに、伝わってしまっていると思うことがあるんですよね。でもだからこそ、言葉だけでは伝わりきらないものが、音を通して届く。一方で、小説を書く時は音がないので難しいですが、ミュージシャンだからこそ、そこにやりがいを感じています。
小説の題材は、誰かと話をしたり、何かを見たりした時、「なんかこの感じいいな」と思ったら、直接物語に影響がなさそうなものでも必ずメモして集めています。感情が動いたその波形というか、心に引っかかる何かは、きっといろいろなことに置きかえられると思うので。
ただ、歌でも小説でも、スランプに陥ることは必ずあります。プロとしてある一定のプレッシャーの中で活動していれば、失敗はつきものなんですよね。成功ばかりではなく、時にはミスすることも大事です。自分は、ある一定のプレッシャーの中で初めてミスをした時、「これでやっと一人前になった」と思いました。歌詞が飛んだり、演奏を間違えたり。落ち込んだ時にこそ「プロとしてやれているんだな」と実感します。
完璧なものを提供し続けられる、それができて当たり前だと期待される立場にあるからこそ、ミスを指摘される。そういう意味では、熱狂的なファンの方は何をしても「良い」と思ってくれるので、プロとしてステージに立っているはずなのに、急にアマチュアに引き戻される瞬間がある。そういったもどかしさも、この小説には書いています。だからといって、熱狂的になることを否定しているのではなく、そういう方々に助けられて今があるのを十分に理解した上で。
まだないものに興味がある
もともと自分は不器用な人間なので、ずっと悔しい思いをしてきました。でも、「何かまだこの世にないものを作りたい」という気持ちは人一倍強くて。絵もうまく描けないんですが、子どもの頃、まわりがアニメのキャラクターを一生懸命練習している時に、自分はもしかしたら天才かもしれないと思って架空の何かを描いてみたり。やっぱり全然描けないんですけど(苦笑)。でもそういうふうに、まだこの世にないものにずっと興味がありました。だから、バンドを始めてからも、誰かの曲をコピーして演奏したことがないんです。
ただ技術がなくて上手くコピーできなかったのもありますが。コピーしたところで絶対本物と同じ音にはならないし、上手く演奏できたとしても、その人には絶対に勝てない。それなら、その時間を使って、完全なオリジナル曲を作ろうと思いました。
小説は、音楽活動が落ち着いて時間に余裕がある時に、スマートフォンか(デジタルメモの)ポメラで書くことが多いですね。書くこと自体、ストレスがたまる作業です。たとえばこうして取材をしていただいて、調子のいいことを口では言えますが、いざ書くとなるとやっぱり本当に難しい。インタビューを通して、声にしながら気づくことも多いんですが、いつも話すことと書くことの違いに打ちのめされています。
そして、8月31日に放送された、NHK Eテレ ハートネットTV『#8月31日の夜に。』に、昨年に続いてMCとして出演させていただきました。10代のみなさんの声を受け止められる貴重な機会なので、本当に勉強になります。悩みに答える時、声にして、言葉にしてみることで、自分自身の考えも変わってくるんですよね。切実な悩みを打ち明けてもらっているからこそ、こちらからもまた新たな気持ちが引き出される。自分でも考えたり言葉にしたりするきっかけをもらえるので、すごくありがたいです。
09/21 12:30
婦人公論.jp