『燕は戻ってこない』原作者とプロデューサーが語る「女であることで受ける理不尽」と「ラベリングされる不自由さ」

作家の桐野夏生さんと、プロデューサーの板垣麻衣子さん

作家の桐野夏生さん(右)と、ドラマ『燕は戻ってこない』プロデューサーの板垣麻衣子さん(左)(撮影:洞澤佐智子)
2024年4月から放送された桐野夏生さん原作のドラマ『燕は戻ってこない』は、代理出産を軸に生殖医療ビジネスをめぐる倫理や女性の貧困等を描いた物語だ。ドラマのプロデューサーを板垣麻衣子さんが務めた。時代とともに女性の生き方は多様化したと言われる。しかしこと性と生殖に関しては、いまもままならぬと悩む人は多い。かつて過激な運動で、女性が自分の体を自分で管理する必要性を主張した女性がいた。新著の主人公に彼女を選んだ桐野さんが、板垣さんと語り合う(構成:篠藤ゆり 撮影:洞澤佐智子)

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【本】桐野さんの最新作「ピル」をめぐる戦いを描いた「オパールの炎」

「こうなったら、すごいドラマを作ってやるぞ!」

桐野 2年前に上梓した『燕は戻ってこない』をドラマ化してくださることになって、板垣さんとは5回ほどお会いしていますね。

板垣 私は桐野さんの作品が好きでよく読んできましたので、『燕は戻ってこない』は絶対いいドラマにしたい、と思いました。

桐野 打ち合わせをするなかで、『燕は戻ってこない』に取り組む気持ちを「復讐心です」とおっしゃったことがありましたね。とても印象的でした。

板垣 そんな話をしましたね(笑)。私はドラマを作る際、プロとして「いい作品にしよう」というモチベーションを第一にしていますが、それとは別に、個人的なモチベーションも持つようにしていて。

小さいことで言えば、「今日頑張ったら、おいしいビール飲むぞ」とか「この撮影が終わったら、あの靴を買おう」とか。『燕は戻ってこない』に関しては、それが復讐心でした。

桐野 最近、ある新聞記者の方と話していたら、「映像の世界では、監督が女性だと、照明さんや音声さんが言うことをきかないということがまだある」と聞きました。

文芸もひとつの社会ですから、なんらかの差別やハラスメントはあります。なので、ふと板垣さんの口にした「復讐心」という言葉を思い出したんですよね。

板垣 20代の頃は女性というだけでからかわれることもありましたが、年齢とともに立場も変わって、そういうこととは無縁になったと思っていました。男性と遜色なく働いてきたという自負もありましたし。

でも『燕は戻ってこない』の企画を会議に出して通ったあと、男性の先輩が「あいつはフェミニストだから」と言っているのをたまたま聞いてしまって。

桐野 それは腹が立ちます。

板垣 最初、私はものすごくショックを受けたんです。そう見られていたんだ、と思って。ジェンダーに関係なく働いてきたつもりだったけど、周りの目はそうじゃなかったんだと悲しくなりました。

桐野 その気持ちはよくわかります。自分の書きたいものを書いてきただけなのに、私も「女性作家枠」とか「フェミニスト枠」とか、なにかしらの枠に勝手に入れられるのが常でした。作品ではなく、私個人がラベリングされる。これはとても腹立たしいことですよ。

板垣 どの仕事もそうだと思いますが、ドラマプロデューサーという仕事もけっこう大変で。私は器用なほうではないので、何度も何度も迷った末に結婚と出産は諦めました。実際、選択しなければならない状況に置かれたんですけれど……。

ここまで頑張っても、まだ「女だから」という目でしか見られないのか。その日、家に帰って泣きました。そうしたら、これまで見ないようにしてきたことがいろいろ思い出されてきて。

桐野 「実は、あれはイヤなことだったのだ」と?

板垣 はい。なんとも思わなかったのではなく、無意識に心に蓋をして、「イヤなことだった」と思わないようにしていただけなんだとわかったんです。それをひとつひとつ考えていたら、猛烈に怒りが湧いてきた。「こうなったらすごいドラマを作ってやるぞ!」って怒りが燃料になりました。これが復讐心です。

桐野 思い出したなかに、どんな「イヤなこと」があったんですか。

板垣 大小さまざまありますけど(笑)、小さなことで言えば、たとえば「板垣は気が強いから」としょっちゅう言われたな、とか。考えてみたら、「気が強い」って女性に対してしか言わない気がして。

桐野 確かに。男性に対してはほとんど使わない表現ですよね。そういえば私の兄弟は、私の夫に「こんな気の強い女をよくもらってくれた」ってすごく感謝するのが頭にきます。あんな変わった人と結婚してあげた私が感謝されたいくらいなのに(笑)。要は、もの申す女は男にとって都合が悪く、面倒くさい存在なんでしょう。

板垣 女性には従順でやさしく、気が弱くあってほしいというのが多くの男性の願望だから、この表現が一般的に使われているんじゃないか。

……そんなふうにいろいろ考え出すと、思考が徐々に先鋭化していきますよね。もしかしたら、桐野さんの新著『オパールの炎』の主人公・塙玲衣子(はなわれいこ)も同じだったんじゃないかと思ったんです。

「社会運動はいろいろな立場の人が手を携えることが理想ですが、分断が生じやすい場でもありますね」(桐野さん)

彼女を復権させてあげたい気持ちがあった

桐野 塙玲衣子のモデルは、1970年代に「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)の代表だった榎美沙子(えのき みさこ)さんです。

板垣 実は『オパールの炎』を読むまで、榎さんのことを知りませんでした。

桐野 板垣さんの世代なら、知らない方のほうが多いでしょうね。彼女が中絶の自由化とピルの解禁を訴えたのは、自分の体を自分で管理し、管理する方法を自ら選び取ることでしか女性の真の解放はない、と考えていたから。

京都大学薬学部を卒業した薬剤師として、その主張をしていました。私は少し年が下ですが、20代の初め頃に彼女の存在を知り、「いいこと言ってるなあ」と共感したんですよ。

板垣 桐野さんは、同時代に彼女を見てきたんですね。

桐野 そうしたら、いつのまにか不倫をした男性の会社に行って弾劾する、といった派手なパフォーマンスをするようになっていった。政界進出まで目指して。ピエロのような扱いをされて、あっという間に世間から忘れ去られました。

板垣 榎さんは優秀なうえ、美人だったそうですね。それは武器でもあったけど、逆に弱点でもあったのかな、と感じてしまいました。

男性も彼女を敵視しただろうけれど、周囲の女性からも「私たちとは違う」と一線を引かれたんじゃないかって。むしろ女性を味方につけるためにピエロにならざるをえなかったのかもしれませんね。

桐野 そう思います。私は高校から大学にかけて学生運動が盛んな時代を過ごしています。学生時代、貧困と闘って連帯しているシングルマザーのコミューンを訪れたことがあるんです。みんなすっぴんで、皆の赤ん坊を全員で育てていました。

私を見るなり、「あなた、なんで口紅つけてるの? どうせ親から買ってもらったんでしょ」って。話もしてもらえなかった。社会運動はいろいろな立場の人が手を携えることが理想ですが、分断が生じやすい場でもありますね。

板垣 桐野さんは、なぜこのタイミングで榎さんをモデルに小説を書こうと思ったんですか。

桐野 彼女が訴えていた中絶の自由化もピルの解禁も正しいことだったのに、あんなふうに揶揄され、世間から葬り去られ、気の毒でした。その気持ちがずっとどこかにあったんだと思います。

板垣さんの復讐心じゃないけれど、私のモチベーションとして復権させてあげたい気持ちがありました。

でも、彼女はやり方を誤ったかもしれない。政党をつくり、女性党員たちを参議院選挙に出馬させるも惨敗。「専業主婦になる」と言って引退し、消息が掴めなくなってしまったんです。

板垣 それから半世紀近く経っている。実際に取材できた関係者はどういう方だったんでしょう。

桐野 ひとりは、高校時代からの恋人であり、学生結婚した元夫です。船医をしていた人で、逡巡なく取材に応じてくださいました。面白い方でしたよ。

ほかに好きな方ができて離婚に至ったわけですが、そのことについても「僕が有責ですから。結局普通の男だった、ということでしょうね」と話しておられました。

あとは榎さんの幼馴染の方。それからとても大きな情報だったのは、『婦人公論』の連載を読んだ読者が連絡をくださったことです。

板垣 連載中に、ですか。

桐野 そう。お話をうかがったら、中ピ連を結成する前の榎さんを知る方で、しかも2000年に入ってからも榎さんに会っている。結果的にその方の知る榎さんの姿が最新のものになったんですよ。直筆のメモも見せてもらいました。

板垣 それがそのまま小説になっている。雑誌ならではの出来事ですね。ほかの登場人物は桐野さんが産みだしたものだと思うと、また面白いです。

桐野 小説ですからね。それに榎さんのことで苦労された親族もいらっしゃるでしょうから、誰もが積極的に語れるわけではないのは仕方ないことです。

板垣 彼女の足取りが掴めなくなったのはなぜか。ここでネタバレはしませんが(笑)、桐野さんの解釈は興味深いです。

桐野 姿を消すしかない状態に追い込まれた、というのは私の推測です。でも、きっとそうだと思う。男たちを罰した彼女を、男たちはそのままにはしなかった。彼女は男たちに復讐され、世間から消えざるをえなかった。

板垣 後半はミステリーのようでした。

桐野 私自身、謎を追って旅するような気分で書いていたので、それが自ずと小説に表れたような気がしますね。

後編につづく

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