『燕は戻ってこない』原作者とプロデューサーが語る「日本はバイアグラに比べてピルの承認に時間がかった。〈買春〉も罰せられない不公平」

作家の桐野夏生さん(右)と、ドラマ『燕は戻ってこない』プロデューサーの板垣麻衣子さん(左)(撮影:洞澤佐智子)
2024年4月から放送された桐野夏生さん原作のドラマ『燕は戻ってこない』は、代理出産を軸に生殖医療ビジネスをめぐる倫理や女性の貧困等を描いた物語だ。ドラマのプロデューサーを板垣麻衣子さんが務めた。時代とともに女性の生き方は多様化したと言われる。しかしこと性と生殖に関しては、いまもままならぬと悩む人は多い。かつて過激な運動で、女性が自分の体を自分で管理する必要性を主張した女性がいた。新著の主人公に彼女を選んだ桐野さんが、板垣さんと語り合う(構成:篠藤ゆり 撮影:洞澤佐智子)

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【本】ピル解禁のため戦った女性を描いた桐野さんの新作

前編よりつづく

榎美沙子の問題提起はいまも続いている

板垣 『オパールの炎』は、あるライターに対してさまざまな人が塙玲衣子について回想するスタイルになっています。そのライターが私と同世代の女性だとわかったとき、私は「榎さんの問題提起はまだ解決していない」と突きつけられた気がして。

桐野 そういう感想は、はじめていただきました。

板垣 実際、中絶やピルをめぐる問題が亀の歩みであることにびっくりします。

桐野 アメリカでピルが承認されたのは1960年、日本は99年です。避妊に失敗したり性犯罪に巻き込まれたりした際に使用するアフターピル(緊急避妊薬)は2011年まで承認されず、多くの国では薬局で購入できるのに、日本では基本的に医師の処方がなければ入手もできません。

それなのにバイアグラは、98年のアメリカでの販売開始からわずか半年後に承認された。

板垣 異例のスピードですね。不妊治療目的のバイアグラは保険が適用されるのに、避妊目的のピルには保険が適用されない。

桐野 いまも日本は、生殖を国家が管理しているということです。ピルの解禁が遅れた結果、避妊法はコンドーム至上主義。避妊は男性にゆだねられているわけです。初期の人工妊娠中絶の約8割は子宮内を掻爬する手術法が採用され、女性に苦痛と罪悪感を与え続けている。

昨年、ようやく経口中絶薬が承認されましたが、薬代だけでなく検査費や入院費も必要になるので、結果的に10万円はかかるそうです。

板垣 アフターピルは病院に行かなければ処方されず、保険もきかない。望まぬ妊娠に至ったら中絶手術を受けるにもさまざまなハードルがある。若年層が親を頼れなかった場合、どうやって10万円を用意するんでしょう。

桐野 私には、男たちが女に罰を与えているようにしか見えないんですよね。新生児の殺人・遺棄事件が問題視されていますが、罰せられるのは女性だけ。

フランスでは16年に「買春処罰法」が成立しているのに、日本では買う側が罪に問われることはありません。売春する側には、経済的なことや騙されて斡旋された、といったさまざまな事情がありますよね。

これが、家父長制がもたらす性別役割分担を強いてきたこの国の仕組みなんだろうと思います。根が深いですよ。

板垣 性被害撲滅を訴える「#Me Too」運動は画期的でしたし、一定の成果をもたらしましたが、揺り戻しもあるでしょうか。

桐野 「伝統的な家族制度を見直そう」といった反動的な意見が出るようになったのも、揺り戻しのひとつでしょう。ミソジニー(女性嫌悪)の増加も感じますから。

板垣 榎さんを「早すぎた」と言う声はありそうですね。

桐野 かといって、いまの社会のままでは結局同じ人生を辿るだけのような気もします。残念なことですが。

「桐野さんの作品は、私のなかにある複雑な感情に言葉をつけてくれたり、感情そのものに気づかせてくれたりします」(板垣さん)

簡単に答えが出ないから考え続けたい

板垣 本もドラマも、みんなでこうして感想や自分の考えを話題にすることで「一時代を一緒に生きている仲間」になった気がして。そこが好きです。

桐野 そうですね。板垣さんはなぜドラマを作る道に進まれたんですか。

板垣 子どもの頃は自分の意見をはっきり言えるタイプではなかったので、読んだ本や観た映画を通して、「私と同じように思っている人、けっこういるんだなあ」「自分は一人じゃないんだ」と勇気をもらっていました。

本を作る仕事でもよかったんですけど、偶然が重なって入った映像の世界で、これからも物語を作っていきたいですね。桐野さんの作品は、私のなかにある複雑な感情に言葉をつけてくれたり、感情そのものに気づかせてくれたりします。登場する女性も、悩みながら力強いです。

桐野 『燕は戻ってこない』の主人公の理紀が代理母を引き受けたあと、そのことに悩んで故郷でやりたい放題するじゃないですか。私はそういうところが、けっこう好き(笑)。同化するより異化する人間をよく書きますね。傷があったりダメなところのある人が好きなんですよ。

板垣 私もどちらかというと同じで、いい人だけが出てくるドラマには個人的には共感できないんです。ダメだけど必死に生きている人を見ていると勇気づけられるし。

桐野 でも、どこかが欠けている人間を描くのは難しいですね。たとえば多くの人はこういう反応をするのに、この人だけは別のとんでもない反応をする。そこをどう説得力を持たせて具体的に描くか。

板垣 自分ではない人間がなぜそういう行動をとるのかを考えるのは、難しいですよね。

桐野 なぜ一線を越えたのか。越える前と後とで、どう世界は変わるのか。その一線に苦悩が詰まっているわけで、そういうことをぼんやり考えている時間って案外楽しかったりもして。

小説はそもそも正解を示すためのものではないし、わけのわからない状況を書いていくのが面白いところでもある。でもドラマだと、面白がってばかりもいかないでしょうし。

板垣 媒体の特徴として、やはり視聴者のカタルシスを考えざるをえないですけど、私もあまり「こうだ」と言い切りたくなくて。ドラマを観てどう感じるかは観る人に委ねたいし、答えが簡単に出るようなことは大事なことじゃない気がするので。

桐野 本当に大切なことは、答えが永遠に出ないのかもしれませんね。

板垣 考え続けることが大事なんだと思います。それを、物語を作ることで続けていきたいです。

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