「神様みたいなものを感じた…」當山奈央・6曲の歌詞が6篇のストーリーとなり映画化
アーティストとしても活動する當山奈央が紡いだ6曲の歌詞をもとに、永田琴が監督を務めて映画化した『わたしの、途切れない物語。』。
同作は、40歳を目前に彼氏と別れてしまったライターの栞が、悲しみや寂しさから目を背けるように、いつもと変わらない時間を過ごそうとするも、何気ない日常、何気ない出会いや再会が現実へと向き合わせることになり、「今、何を大切にすべきか」を見つめ始めるという物語。
ニュースクランチ編集部は、この映画に込められた「自分を大切にしてこそ、大切な人や環境を守れる」という想いを、主演の當山奈央、監督の永田琴、そして出演した岩井堂聖子、村川絵梨にインタビューした。
MVじゃなくて映画にしてみるのはどうだろう?
――まずは、この作品が作られた経緯についてお聞かせください。
當山 奈央(以下、當山):東京で20年以上、音楽活動をしていたんですが、コロナ禍をきっかけに早い段階で地元の大阪に活動拠点を移したんです。ちょうどその頃、世の中でも活発に多様性や、さまざまな愛の形について議論されるようになった印象がありました。
それと私自身、40歳になったばかりなんですけど、男性もそうだと思うんですが、30代後半から女性として思うことが増えてきて、結婚はどうする? 子どもは? とか。自分はそれを肌で感じて焦ったりもしたんですけど、ふと“なんで焦ってるんだろ、私”って思うこともあったんです。要するに、いろいろ考えすぎていたんですね。
そして、沖縄でミュージックビデオを撮影する機会があり、この映画のエピソード5に出てくる夫婦のモデルとなる方と知り合うことになったんです。その方々は東京から沖縄に移り住んでいたんですけど、話をしているうちに、自分の考えがどんどんシンプルものになってきた感覚があって。“本当に自分の大切にしたいものはなんだろう”というところから、曲を書き始めたのがきっかけです。
――なるほど、まず楽曲ありきだったんですね。當山さんと永田さんは旧知の仲だとお聞きしました。どのように映画につながっていくのでしょうか?
永田 琴(以下、永田):最初、彼女(當山)から歌詞のような、エッセイのような、詩のようなものが送られてきて「こういう曲を作るんです、これを60分くらいで1本のMVにしたいんです」と言われました。ただ「MVかあ、そんなに簡単じゃないよ」って伝えて。送られてきたストーリーが6編、1編を10分として考えても、それなりの撮影量と日数になるなと思って。
「それぞれが、なんとなくつながっていれば……」ということは最初に言われたんですけど、それも簡単なことではないし、出来上がったものをYouTubeに上げたところで、ファンの方はいいけど、他に誰が見るのって。そう考えたときに、自分が映画監督という立場を取っ払って、彼女の立場になって考えてみたんです。
もちろん、最初に言ったMVでもいいけど、それでは広がりがない。じゃあ、それぞれ独立したMVを6編作るってなったときも、それを1編だけ見た人からは“これって何?”って思われるだけかもしれない。じゃあ見る側には、6編通してお持ち帰りいただけるようなものにしよう。そう考えたときに「いっそ映画にしてみるのはどう?」って。
當山:そんなこと考えてもいなかったので、「できるんですか?」って聞きかえしちゃいました(笑)。
永田:「できるんですか?」じゃなくて、「それをやるんだよ!」みたいな(笑)。
當山:でも、初めは飲みながらの相談くらいの感じだったんですけど、すごい真剣にいろいろと考えてくださって、とってもうれしかったです。
サヤのような人生を歩んでいたかもしれない
――岩井堂さんは一見、幸せそうに見えるけど、じつは一人で子どもを育てていく決心をしたサヤ、村川さんは彼女への想いを断ち切れず、スタートを切れない男の思い出のなかの彼女、川越友梨役を演じました。それぞれ演じてみての感想を聞かせください。
岩井堂 聖子(以下、岩井堂):私自身、サヤを演じるにあたって、とても他人事には思えない、もしかするとどこかで違う道を選んでいたら、私もサヤのような人生を歩んでいたかもしれないと思いました。どうしても女性は、多くの方が20代後半から、結婚や出産を意識しつつも、もう少し仕事を頑張ってみたいということに直面するだろうし、この作品の栞とサヤのように、どこか探り合ったりもするだろうし。
このサヤって役は、弱い部分を見せたくないという人間だと思ったので、私が演じることで、物語のなかのサヤがもっと良い方向に進んでいってほしい、そう感じるくらい愛着のある役でした。
――うまくいっているように見える昔からの友人に会いたくない、と栞がサヤを避けようとするシーンは、同じような経験をしたことがある方の共感を呼ぶだろうと思いました。村川さんはいかがですか?
村川 絵梨(以下、村川):私は、この作品が出来上がる前から「MVを作りたい」という話を聞いていたんです。(當山)奈央ちゃんとは、もう20年の付き合いになるのかな? だから私も、全てが他人事じゃなかったですね。
「絵梨にやってほしい役がある」と聞いていたので、役作りというよりも、奈央ちゃんが描いてくれたことをチャーミングに演じきろうと思いました。私の演じた川越友梨は、彼のなかの幻想ですよね。だから、とにかく良い思い出だっただろう彼のなかの彼女を、キラキラ演じることを意識しました。
沖縄で上映できたことに縁を感じた
――先ほど、この映画のきっかけが沖縄でMVを撮影したことだとありましたが、今回、「沖縄国際映画祭」で作品が上映されたことは、とても意義深いものだったのではないでしょうか?
當山:そうですね、運命的なものを感じています。私は大阪出身なのですが、父方のルーツが沖縄にあって、お墓参りのときに歌ったり踊ったりする風習も心地良くて。今回、こうして沖縄国際映画祭に来ても、皆さんすごく温かいし、自然に声を掛け合ったりしているのもステキだなって。
最初のきっかけとなったご夫婦もそうだと思うんですけど、都会に住んでいる人が、ゆったりした気分になりたくて沖縄を訪ねたり、移住したりするのもよくわかる。本当は都会のもう少し近くに、こういう場所があったらいいのかなとか思うんですけど、それだと違うのかなとも思うし。
永田:いま思い出したんですけど、最初、東京で撮ろうとしてたよね?
當山:そうそう、そうなんです。最初は東京で撮ろうとしてたし、栞役を自分でするつもりもなかった。もちろん、自分が歌うつもりだったので、途中で歌う人として出てくるって話で。
永田:でも、映画にするにあたって、歌う人が本筋とは別に出てくるのが気持ち悪いなと思って。でも、映画って言い始めちゃったしなあと思ったときに、「じゃあもう、あなたが栞をやれば?」ってなりました。19年前、彼女が主演の作品を私は監督したんで、できるっていうのもわかってたし、映画をやるってまでいったなら、思い切って主演もできるだろうなと思ったんです。
であれば、東京ではなく、彼女の出身である大阪で撮ったほうがいいだろうって。私も大阪出身なんですけど、大阪で作品を撮ったことがなかったし、コロナ禍で大阪に帰っていたという彼女自身の背景もありますし。「そもそも、東京で撮る意味ってあったっけ?」って聞いたら。「えっと、特に意味はないけど……」って(笑)。
當山:(笑)。
永田:「東京で撮るもんやと思ってた」って言うから、「展開とかを考えたら、絶対に大阪で撮ったほうがいい!」って、セリフも全て関西弁に書き直しました。
當山:それから「沖縄で撮りたい」ということは伝えていました。
永田:それね(笑)。そうなると当然、お金が必要になってくるわけですよ。「じゃあ何人で行くつもりなの? 撮影に必要な車両はどうするの?」って聞いたら、「車両…!?」みたいな。
岩井堂・村川:(笑)
當山:本当にいろいろなことを教えてもらいました(笑)。
自分で道路の使用許可を取りにいったんです
――話を聞いていると、お姫様の願いを監督が叶えていってるような見え方になってきました。
永田:でもね、最終的には彼女ひとりで道路使用許可をもらってきたんですよ。私がどうしても東京で仕事があって、大阪に居れなかったので、「警察署ではこうやって説明してな……」って。そしたら、彼女から電話がかかってきて「なんか駄目って言われました~」って言うから、「その書いたの見せてみい!」って。
當山・岩井堂・村川:(笑)。
永田:で、「この地図じゃおりひんわ」となって、その場で電話で指示しながら地図を書き直して、道路使用許可をもらいました。島の撮影でも、彼女にスタッフや演者のピックアップをお願いしたり、コンビニまで乾電池を買いに行って、速攻でリハして本番、みたいなスケジュールもこなしてもらって。
當山:本当、演者やスタッフの皆さんに助けていただいた撮影でした。
永田:でも、全員野球というか、最後のほうはメイクさんまでレフ板を持ったりして照明を手伝ってくれたり、みんなが一つになって作品を作っていて彼女もいい経験になったんじゃないかなと思います。
――印象的なシーンについても教えてください。
當山:たくさんあるんですけど。まずひとつは、私の好きな吉本新喜劇の浅香あき恵さんに出ていただけたことですね。
――「クッキーさん」というニックネームで、カフェに現れる女性役で出演されてますね。大阪にはこういう人がいるんだろうなって、そういうリアリティもすごかったです。
永田:撮影しているときも、通りすがりの人が「あ、あき恵さんや!」みたいな感じで、改めてすごいなと思いました。
當山:撮影中もすっごく可愛らしかったです。
永田:セリフのギャグの部分も毎回変えてくれるんですよ、贅沢な時間でした。
あの日あの時間でしか撮れなかった画
――當山さんが海に入るシーンも印象的でした。
當山:これに関しては、台本の段階で「やる!」って決めていたんで、大変というより、やり切るだけって感じだったんです……。
永田:でも、大変だったと思いますよ、撮影は11月だったし、上がったらガクガク震えていたし。
當山:ただ、この撮影に関しては1発で決めないといけない、という気持ちがあったんです。というのも、スケジュール的にその日しかなかったし、光の加減、太陽の動きを考えると、1発で決めないと、その日は撮れなくなっちゃう。多くの人に迷惑をかけてしまうことになるので、そこは気合いが入りました。
永田:あれは、なんか神様みたいなものを感じたというか、何かの助けを感じました。
當山:出来上がったものを見たときに、あまりにも美しくて涙が止まらなくて……本当にすごいなって。
永田:あのシーンは、あの日のあの時間でしか撮れなかった画だからね。
――『わたしの、途切れない物語。』が大きく広がっていけばいいですね。
永田:本当にそうです。こうして舞台挨拶や取材で感想を聞けるのもとてもありがたいし、さっきも偶然見てくれた知り合いのプロデューサーに「良かったよ」って声をかけてもらいました。個人的には、男性にそう言ってもらえるとホッとしています。じつは、彼女を傷つけたくなくて、言ってなかったんですけど、「これは誰に向けて、どういう気持ちで作ったの?」っていう感想をもらったこともあって。
當山:え、そうなんですね……。
永田:そういう表情になると思ったから(笑)。でも、沖縄国際映画祭に来て、大勢の人に迎えてもらって、全員に好意的な感想をもらって、“ああ本当に良かったな”って。私は映画監督として、映画祭にはパワーがあると思ってますし、先ほどの知り合いのプロデューサーみたいに、たくさんの人に見てもらって、どんどんつながっていくのがうれしいです。
――男性として、とても響くシーンが多くありました。
永田:そう言っていただけるとありがたいです。じつは、4章目の「ある男」は、私の中でモデルになっている方がいるんです。物語では、彼女への思いを手放せずに新しいスタートを切れないでいるという設定なんですけど、実は、知人は彼女を不慮の事故で亡くしてしまって。その後、周りから「大丈夫?」って気遣われすぎて、“もしかして自分は立ち直っちゃいけないのか?”と身動きできなくなってしまった…そんなエピソードに対する私の思いをあの役には込めたつもりなんです。
大きな絶望を前にしても、意外と小さなきっかけで新しいスタートが切れるものなんじゃないかなって。あのシーンは、特に男性に向けて描いたつもりだったんですが、全体を通して共感してくださる方が多くてうれしいです。
この映画を持って全国を回っていきたい
――では最後に、この作品に込めた想いを順番に聞かせてください。
村川:私は今日、改めてこの映画を見終わったあとに、奈央ちゃんのライブが聞きたい、これで全国を回ってほしいって思いました。
岩井堂:私も映画を見て、言葉に形容できないけど、それぞれ抱えていることってあるんだよなって改めて思いましたし、映画を見たあとに彼女が歌を披露してくださったときに、すぐ近くで聞いていて優しく包まれたような気持ちになったんですね。
今はすぐに答えを求める時代のような気がしているんですが、生きていくなかで答えなんてすぐに出なくてもいいし、生きているだけで一生懸命ってことでいい、と私は思ってるんです。この映画はそう言ってくれてる気がしたし、皆さんも見ていただいて、私のように優しく包まれたような気持ちになってほしいです。
永田:この作品の英題が「Almost 40」ということで、40代の女性の悩みをメインに作り始めているんですけど、彼女が40になったばかりで、私は10年くらい先にいってるんですが、最初にこのアイデアを聞いたとき、“ああ、私もそうだったなあ”と懐かしくなったんです。私は超えてしまったけど、超えたからこそ、こういう人もいたよね、と冷静に見えたのもあって。
なので、渦中の人も、そうじゃない人も、周りから見たら小さなことでも、その人にとっては大事なこともある。その本当に大事なものを見つけて、大切にすることで、もっとこの先の人生が良くなっていくんじゃないかなって。この映画を見て、そう思ってもらえたらと思います。
當山:私は10代から芸能活動をしていて、1999年デビューで25年経つんですけど、これまで言われたことで、一番グサッときたのが「運に恵まれない歌姫」だったんです(笑)。でも、この作品を通してかなり幸せだなって思いました。
こうして、琴さんが自分より女性として先輩で、しかも常にチャレンジしてることとか、近くにいる(岩井堂)聖子とか、(村川)絵梨も、私に刺激をくれる。監督も役者さんも、もちろんプロとして信頼しているから出ていただいたんですけど、友達や先輩に囲まれて良い作品ができたことをうれしく思います。
だから、そういう身近な人たちの何気ない言葉とか存在が、私がこれまで何を言われても歌うことを続けてこれた理由なんだと思ったし、まさか自分自身、40歳になって映画として作品を残せる人生なんて思ってなかったし、しかも明日はレッドカーペットを歩けるなんて!
この作品の楽曲もさらにブラッシュアップされてリリースされますし、いろいろな場所をこの映画を携えてライブに行きたいと思ってます。この作品を見て、自分の中の大切なものを見つめ直して大切にしてほしいし、もし一つなくなっても、大切なものはたくさんあるよ、ということを伝えたいです。あと、やはり自分自身の根は大阪人なので、笑いを大切に。ひとつでも多く笑えることがあればいいなと思います。
06/09 12:00
WANI BOOKS NewsCrunch