宮川花子「介護施設に入る」と大助に伝えようとしたことに猛省。「こんなに尽くしてくれているのに、肝心の私が逃げてどうする」

(写真提供:Photo AC)
夫婦漫才コンビの宮川大助・花子さんは、2024年11月にコンビ結成から45年を迎えます。妻・花子さんは2019年、血液のがん「多発性骨髄腫」と診断され、現在も闘病中。夫・大助さんは、ご自身も腰の痛みを抱えながら、花子さんを懸命に支え続けています。そんな大助さんに対し、花子さんは「どれだけ深刻なときでも、あの人といると笑ってしまう」と語っていて――。今回は、お二人の闘病・介護の日々が綴られた著書『なにわ介護男子』から一部引用、再編集してお届けします。

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【写真】宮川花子「血圧測定でもおしめ替えでも、どんなときもおもしろすぎる大助くんに助けられている」

私、もう介護施設に入るから

いつも楽しく笑っているわけではないんですよ。

私たちもどこにでもいる普通の夫婦ですから、ちょっとしたことで二人の間がぎくしゃくすることもあるんです。

ある夜のことでした。

私の尿道にバルーンカテーテルを挿入したら、大助くんの一日の介護は終わり。ようやくほっとひと息つける時間になるんです。

でも、その日は私が続けざまに「白内障の目薬お願いしていい?」と言ったもんだから、うんざりしたんでしょうね。

いつになくいらついた口調で「ちょっと待ってくれるか? バルーンのあとに目薬さそうと思ったら、もう一回、手を洗ってきれいにせなあかんから」と不機嫌さを隠そうともしない口調で言うんです。

今は自分で目薬をさせていますが、その頃は大助くんに一日3回さしてもらっていたんです。

ああ、大助くん、しんどいんやな。

そら、そうや。大助くんだって腰が痛いのに、こんなに無理させて。

悪かったと思うと同時に、いたたまれない気持ちになりました。

「私、もう介護施設に入るな」

もう少しで、この言葉が口から出そうになりました。

この家から離れようとしている自分

94歳になった母も、ちょうど施設に入ったところでした。

姉が「お母さん、介護施設に入ったよ」と連絡してくれたので、「うん、ありがとう。それでええよ」と答えていたんです。

『なにわ介護男子』(著:宮川大助・花子/主婦の友社)

病気をするまでは私が母と同居していましたが、最近はずっと姉たちが大変な思いをしながら面倒を見てくれていましたから。

母は施設に入るのが一番いい。

じゃあ、私は? 私もそうしたほうがええんちゃうか?

そしたら大助くんにこれ以上負担をかけることもないし、私も大助くんの疲れた顔を見なくてすむ。みんながラクになる。

今度ケアマネージャーさんが介護認定調査に来てくれたとき、施設を探してもらうようお願いしよう。

じっと天井を見つめながら、この家から離れようとしている自分がせつなくて悲しくて、心は重く沈んでいきました。

でも言葉にはせず、「ごめん」とだけ言ったんです。

また少し強く、前向きに

20分ほどたった頃でしょうか。

大助くんが「僕もなんかちょっと、しんどくてな。いらんことばっかり言うてしもて、悪かったな」と言うんです。

私、何も言っていないんですよ。

怒った顔も見せていません。

ただ黙って横になっていただけです。

それなのに「ほんまにごめん。僕もちょっとイライラしてて、つらい思いさせた。許してな」って。

大助くんに背中を向けて、ちょっとだけ泣きました。

そしてものすごく反省したんです。

私はなんてことを考えていたんだろうって。

「介護施設に入る」なんて言わなくて本当によかった。

そんなことを言ったら、大助くんはどんなに悲しむだろう。

こんなに一生懸命に尽くしてくれているのに、肝心の私が逃げてどうするんだ。

自分から介護施設に入るなんて絶対に言っちゃいけない。

この夜、私はまた少し強く、前向きになったと思います。

わが子のように

大助くんは、ずっとリビングで寝ているんです。私の介護用ベッドのすぐそばに布団を敷いて。

「一人で大丈夫やから、2階のベッドで寝て」と何度言っても聞きません。

2階には温かくて腰に負担のかからない、上質なベッドがあるのにね。

最近は耳が遠くなってきたと嘆いているくせに、私がちょっと咳をしたり、何か音を立てたりすると、ガバッと起き上がって「何かあったんか」「どうした?」とベッドに駆け寄ってきます。

大助くん、夜中に何度もトイレに起きるんですが、そのたびに「寒くないか」と布団を直してくれるのも習慣になっているみたい。

私のことをわが子のように思っているのかもしれません。

2023年は、なんばグランド花月に漫才で復帰するという夢がかなった半面、形質細胞腫で放射線治療を受け、原因不明のまま右足がまったく動かなくなるなど、試練も多い1年でした。

でも、発病以来、最も仕事をした年でもあります。

病気と闘いながら、自分なりに全力を尽くした1年の締めくくりは、12月23日、私たちの地元、奈良県生駒市にある南コミュニティセンターせせらぎホールで開くイベント「大助・花子のクリスマス2023」でした。

これは、2019年に地元の皆さんに楽しいクリスマスを届けようと大助くんと二人で企画したもの。

ところが、私の病気やコロナ禍で中止になっていたんです。

この日は、満員のお客さまを前に何組もの芸人さんと、漫才あり、歌謡ショーあり、トークコーナーありの盛りだくさんのステージを披露しました。

ステージから見えるお客さまは、みんなニコニコとうれしそう。その笑顔と歓声に私もたくさんのエネルギーをもらいました。

応援してくださる皆さんへの感謝を胸に、来年もがんばるぞ!と誓ったのです。

※本稿は、『なにわ介護男子』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。

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