高畑充希『光る君へ』中宮・定子、ついに天に召される…塩野瑛久さん、ウイカさんに愛され、吉高さんには心配されて
(取材・文=かわむらあみり)
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藤原定子として「生き切った」という気持ち
藤原定子を演じるにあたって、あらためて『枕草子』を読んで、定子は明るくてユーモアがあって魅力的という情報を得ていました。そんな定子に魅力を感じると同時に、プレッシャーも感じながら、物語の中盤ぐらいまでは、どちらかというと強くてハンサムな部分もある人という印象が強かったんです。
ただ、次から次へとつらい出来事が起こっていく役柄でもあって……。演じ始めた時は明るくて、清少納言らが集う才気にあふれたサロンを作り上げていたけれど、だんだんとその頃の華やかな定子ではなくなっていくにつれて、最初に想定していた印象とは変わっていきました。実際に現場に入ってみて、みなさんとお芝居を作っていく中でも役柄が形作られていった感覚はあります。
定子の15歳から25歳ぐらいまでを演じさせてもらって、約10年間を生き抜かせてもらうような役柄はそんなに多くはありません。これだけいろいろなことが起こって周りの環境も変わって、短いながらもドラマチックな人生を歩んだ女性です。今、私はもう「生き切った」という気持ちがあって、最後までゴールテープを切ってバターンと力尽きた感覚で現場をあとにしました(笑)。すごくシリアスだったり、大変だったりしたシーンは多かったのですが、現場自体は穏やかでとても楽しかったです。
定子は壮絶な人生を送りましたが、それは時代の影響もあり、位が高すぎたゆえの状況もあり。さらに物事をすぐ理解できてしまう人だったからこそ、苦しんだ部分も多かったのかなと。なので、定子と自分を重ね合わせる瞬間はなく、私が今まで関わることがなかった人物を、この現代で素敵に実体化したい思いが強かったです。
でも、昨年末頃は本当につらいシーンばかりを撮っていて、どうやら顔色が良くなかったみたいで、吉高さんに「大丈夫? 体調でも悪いの?」と心配されました(苦笑)。それだけ定子役に心血を注いでいたから、気力を持っていかれていたんだと思います。
吉高さんは、先輩でもあり、友人でもあるような関係性。明るい人柄で、すごく周りを楽にしてくれる印象があります。一緒にいるとふざけてしまうんですが、すごくハードな現場の中では、それが息抜きになることも。寛大な人なので、そこに救ってもらえることが多いですね。
『枕草子』の誕生は一番好きなシーン
清少納言が定子のために書いた『枕草子』が誕生するシーンは、台本を読んだ時点で、私が一番好きなシーンでした。というのも、セリフがなく、情景だけで『枕草子』の誕生という大きな出来事を描いているから。さらに、意識の流れではなく、映像として四季を見せてくれる点はドラマだからこそ描ける手法ですし、大石静さんは本当に素敵な作家さんだと思いました。このシーンのオンエアを見た時に、「こういう守り方があるんだな」と、清少納言はかっこいい女性だと感じて。
「春はあけぼの」というくだりは学生時代に習っていましたし、空で言えるぐらいのはずなのに、その意味を感覚としては受け取ってはこなかった。それが学んだ時間から何年も経って自分が定子役をやることで、「日本文学って素晴らしい」とあらためて感じられたことはすごくいい経験になりました。そして清少納言役のファーストサマーウイカさんは、撮影の中でも外でも私を推してくれるので、それに救われた部分も大きかったです。
自分自身、これまでにさまざまな役をしてきて、何かに憧れる、何かに対してエネルギーを持つほうの役が圧倒的に多かったんです。当初、推される役の不安がすごくあって、憧れの目で見てもらえる人物像にしなければならない。こんな人間だと推せないと思われないように頑張らなきゃいけないと、すごくプレッシャーを感じていて。その点でウイカさんはいつも私を憧れの存在であるというふうに扱ってくれたことが、現場において私を楽にしてくれました。
定子は能動的な部分もありながら、清少納言や一条天皇、家族のみんなから、何かを受け取ることも多い役。いろいろな方のエネルギーをもらって引き出してもらえた表情もあります。家族からは罵倒されるシーンも多く、「皇子(みこ)を産め」とずっと言われるなどもうやっていられないですが(苦笑)、こういうシーンも父・道隆役の井浦新さんや兄・伊周役の三浦翔平さんのエネルギーをもらって生まれた感情がたくさんありました。
とても愛される役はずっと不安だった
一条天皇役の塩野瑛久さんとは、再共演になります。塩野さんもウイカさんのように「すごく定子さんが好きです」と持ち上げてくださって、言葉で表現してくださる方だったので、それに対してもすごく救われた感覚は強いですね。とても愛される役は、「自分で大丈夫なのかな?」と、どこかずっと不安だから。このおふたりは、セリフの上だけではなく、気持ちもケアしてくれたと思っています。
一条天皇と定子のシーンは多いですが、総じてすごく複雑だなと。最初は可愛い弟分で、そこから男性として見るようになって、そして愛し合うようになって。その後はただ好きなだけではなく、この人に見放されたら自分と子どもの行く場所がなくなる、終わってしまう、という保身的な意味も加わってきます。一方で、一条天皇は愛一本勝負で来てくれるキャラクター。その温度差みたいなものは、ものすごく男性と女性の考え方の違いとしても見えていました。
愛情をもらうのも嬉しいし、全力で応えたいけれど、それだけじゃないことも考えなくてはいけないというもどかしさ。とくに後半は、混沌とした感情が定子の中にあって。さまざまな状況によって、どんどん真綿で首を絞められるような息苦しさが、後半はずっとありました。
でも、一貫して塩野さんが愛情を持ってお芝居してくださったので、不安な気持ちは少なかったです。塩野さんは、ものすごく平安の衣装が似合うんですよ。顔が彫刻のように奇麗だから、同じ画面に並びたくないな、と毎日思っていましたね。(笑)
最初に一条天皇とお会いしたシーンでは、柊木陽太くんが演じていたので20歳ぐらい下で、どう見ても同世代には見えないとわかっていたので、変に若作りするよりは、感情が複雑ではないようにしようと心がけていました。簡単に言うと、ピュアでいるということかもしれないですが、そこから嫌でも複雑になってしまう役柄なので、最初はまっさらな状態で入りました。変化を考えながら進んでいった感じです。
出家のシーンは家族みんなで頑張った
演じていて一番悩んだのは、定子が政治的な考えを持ち始める時です。出家する前にそういうくだりがあるのですが、もちろん自分の家族を守らなくてはいけない立場なので、父や兄が悪いほうに行かないように力を使いたいし、それは定子の中では芯の通っているところ。同時に、そこに夢中になると、一条天皇への愛情も嘘に見えてしまう。すごくそのシーソーが難しくて、あざとく見えてしまうのではないかと、けっこう悩みました。
家族のことも考えなくてはいけないけれど、一条天皇との愛も嘘じゃない。お互いにちゃんと愛し合っていたというようにしたくて、監督ともよく相談していました。そのシーンのあたりは、針の穴に糸を通すといいますか。ご覧になっているとさらっと流れていくシーンかもしれないのですが、一条天皇との関係性が政治のために仲良くしている印象になると、そこから先が全部そう見えてしまう恐怖がありました。
定子が自ら髪を切って出家するシーンは、台本で読むと、驚きで終わる印象がすごく強かったんです。実際には、ものすごく感情のテンションやエネルギーが高い幕切れにしたいと思っていました。ただ、現代の感覚だと、髪を切ること自体はあまり大事(おおごと)ではないですよね。当時は、出家することはみんなの前で自殺するぐらいの感覚だったそうです。だから、髪を切っただけなのにどうしたの? というふうに映らないといいなと思いながら演じていました。
そうして定子が髪を切るのはあらゆることの結果で、そこに至るまでに兄が駄々をこねてくれたり、母が号泣したり、いろいろな方がお芝居をつないでくださった。あのシーンは緊張感を持って撮影に挑みましたが、みなさんが一段ずつお芝居を構築してくださって、家族みんなで頑張りました。
なかでも伊周には、最初「この人がしっかりしていたらこんなことにならなかったのに」と思っていたんですが(苦笑)、三浦翔平さんがどこまでも不恰好に伊周を演じてくださって。三浦さんはもともと美しい方ですし、ちょっとでもかっこつけたい気持ちが出てもおかしくないですが、ご本人が全力でダサさ、哀れさのようなものを表現されていた。それを見ていると、怒りよりも、1周回って愛せてしまうといいますか。私は三浦さんの伊周をすごく素敵だなと感じました。
まひろの行く末を見守りたい
『光る君へ』は平安時代が舞台なので、お着物を何枚も重ねて着るため、衣装がとにかく重かったです。あまり動ける衣装ではなかったので、足や手がちょっと出るだけでも、当時は品がなく見えていたらしくて。動くスピードもゆっくりするように心がけていました。
“定子ウィーク”みたいなものがあって、火曜日から金曜日まで、ずっと定子が朝から晩までスタジオにいるような週が月に1回あって。1日中、同じセットでずっと撮影することが多くて、水曜日ぐらいになってくるとお着物がお布団みたいでぽかぽかして、眠くなることも。(苦笑)
定子にも注目していただきたいですが、個人的には、まひろの行く末もやっぱり気になります。
どんなふうに物書きとして変わっていくのか、ご覧になってくださっているみなさんと一緒に、見守っていきたいと思います。
07/21 20:45
婦人公論.jp