横山ひろし「師匠である横山やすしの言葉〈勝てよ!負けるな!〉の意味がわかってきた。相方を喪い、嫁・春けいこと再スタートを切る」

インタビューを受ける横山ひろしさん

(撮影◎中西正男)

大金持ちキャラなどの“ホラ吹き漫才”で一時代を築いた松竹芸能の漫才コンビ「横山たかし・ひろし」。2019年にたかしさんが70歳で逝去した後、ひろしさん(77)は漫才コンビ「春やすこ・けいこ」として活躍した妻のけいこさんとコンビを結成しました。新たな1歩を踏み出す中で感じる漫才の奥深さ。そして、今になって噛みしめるたかしさんへの思いと師匠・横山やすしさんへの思いとは。(取材・文・撮影◎中西正男)

【写真】真っ赤なスーツの内側にある文字は…

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最後のほうはお客さんに対して心苦しい漫才になった

相方が亡くなって5年経ちました。どう言うんかな、正直、やり残したという意識はあります。まだ完結していないというかね。「たかし・ひろし」としても、自分としても。

これはね、もうどうしようもないことなんです。そして、口では説明しにくいところでもあるんですけど、もっとおじいさんになっての漫才を相方としたかった。そんな思いがあるんです。

杖をついて出てきて、そこで「笑えよ」とか「生きぃよ」とか、そういうフレーズを言うと、より一層味が出たんやろうなと。「夢路いとし・喜味こいし」先生みたいに、長くやれていたらなぁというのはあります。

それこそ、そこまでいけば相方のホラも味がさらに味が出たでしょうし、本人がもう85歳になってるのに「金持ちの息子じゃ」って言うてたら、親はいったい何歳やねんと(笑)。そんな漫才をやってみたかったなとは思います。こればっかりは、本当にどうしようもないことなんですけどね。

これも正直な話、相方も、最後のほうはお客さんに対して心苦しい漫才になってました。

車いすに乗っていても“金持ちキャラ”が勝ってくれた

晩年は腰の具合が悪くて車いす生活になってたんですけど、いずれ体調が戻っていったらまた立てるだろうという意識があった。

そして、これはありがたいばかりのことなんですけど、これまでやってきた漫才が印象の強いホラ吹き漫才やったからか、車いすに乗っていても“金持ちキャラ”が勝ってくれていたんです。笑いは繊細ですから、普通、車いすに乗って出てきた時点で「え?」となって笑いが起きにくくなる。でも、金ピカの車いすに乗って出てきたらキャラクターの力でお客さんが笑ってくださる。

笑顔でインタビューに答える横山ひろしさん

(撮影◎中西正男)

ただ、それでも、以前のように立って漫才をやっていた時とは違う。お客さんは笑ってくださっているけど、やっている側からすると、それがベストではないことは分かっている。相方も口には出さなかったですけど、なんというのかな、寂しかったと思います。いつか立てると思っていた体もなかなか言うことを聞いてくれない。

そうなると、元気にやっていた時の舞台のパワーを何かで補おうともなり、僕の口数が増えたりもしていました。何かの間を埋めるように。そうなってる時点で、元気な時の漫才とは違ってたんでしょうね。

本当にね、体のことやし、どうしようもないんです。でも、いろいろ考えもします。

今になって相方のことをアレコレ考えることもあります。まず、コンビ仲は良かったと思います。若い頃はケンカをしたこともありましたけど、ある程度の歳になってきたらケンカはなかったですしね。

常に最大のライバルでもあった

営業先に行く時でも、僕が迎えに行って相方が助手席に座って。コンビの中ではほとんど普段は会話しないという人たちが多いですけど、僕らはよくしゃべってましたね。

ただ、常に最大のライバルでもあったと思います。情はあるけど、こいつには負けないという思いもしっかりありました。だからこそ、自分が前に進めたんだと思いますし、今から思うと、本当に特殊で特別な関係やったと思いますね。

その相方がいなくなって、1人で漫談もしてたんですけど、これがなかなか難しい。というのはね、やっぱり笑いの量的にも漫才をやっていた時には達しない。1人で、あのドーンという笑いを起こすのは簡単なことではない。逆に言うと、相方との漫才ではしっかりと笑いをいただいていたんだなとも感じました。

またコンビを組んで漫才をすることを考えても、どこまでいっても僕の相方としたら、たかしのイメージが強い。それなら、性別も違うし、立場も全く違う嫁(松竹芸能の後輩にあたる漫才師の春けいこさん)と組む。会社(松竹芸能)からの打診もあって、その選択肢を取ることにしました。

それまでも何年かに1回ぐらいは“いい夫婦の日”とかにイベント的に嫁と漫才をやったりはしていたんですけど、きちんとコンビとして松竹芸能にプロフィール写真が載る。これはイベント的にやることとはトーンがまるで違います。

漫才を長いことやってきましたけど、改めて、漫才はやればやるほど奥が深いなと思います。夫婦と言えども芸の話をすることはない。すんなりと漫才なんてできるものではない。1歩ずつ進むしかないんですけど、難しい芸やなと今になって感じてもいます。

相方とあっちの世界で会った時に

それとね、今になって師匠である横山やすしの言葉が今一度頭の中に響いています。昔から技術的なことは一切言わないんです。「勝てよ!負けるな!」だけです。若い頃はその意味が分からないというか「もう少しヒントとか、具体的なことをちょっとだけでも言ってくれたらいいのに…」とも思ってましたけど、今になったらね、意味が分かってきたんです。

勝つということは、たくさんいる中から抜けるということ。となると、人と同じことをやっていたらダメ。結局、追い求めるのはオリジナリティーなんですよね。人とどれだけ違うか。そして、それがきちんと面白いか。そこなんですよね。それを極めていけば、自ずと勝てる。ホラ吹き漫才もそうかもしれませんけど、人と違うことをやって認めてもらう。だからこそ、車いすになってもお客さんが笑ってくださったのかなとも思いますし、やっといろいろな意味が分かってきた気がします。

また、相方とあっちの世界で会った時に話せるよう、あれこれ今のうちにやっておかないといけないとも思いますけど、あれこれやる歳でもないし、とにかく今いただいている仕事を全力でやる。元気よく暮らす。それしかないのかなとも思っています。

特に、晩年は相方がなかなか動けなかったので、舞台の上ではこれでもかと動く。そんなことも考えています。

あとね、これは良いことなんですけど、舞台に立つようになってから嫁が家でも今まで以上に主張するようになってきまして。家の勢力図が明らかに変わってきてもいますけど(笑)、ま、それはそれで楽しみながらやっていきたいと思っています。

■横山ひろし(よこやま・ひろし)
1947年1月19日生まれ。愛媛県出身。本名・小林秀光(こばやし ひでみつ)。妻は松竹芸能の後輩にあたる漫才師の春けいこ。故横山やすしさんに師事し、68年に横山たかしとコンビ結成。71年、NHK上方漫才コンテスト新人賞受賞。94年に上方漫才大賞で大賞受賞。たかしさんの大金持ちキャラを活かしたホラ吹き漫才で人気に。2019年、たかしさんが逝去。その後、妻の春けいことコンビを結成する。

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