青木さやか「ギャンブル依存症について考える。〈極度の興奮〉を求め、パチンコがやめられなかった。嘘をつくのも一つの癖だ」
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ギャンブル依存症は病気である
4年前、この『婦人公論.jp』の連載で「パチンコがなかなかやめられなかった過去があった」という内容のエッセイを書いたところ、翌日にはヤフーニュースで「ギャンブル依存症克服タレント!」となっていたことに驚いた。
依存症かどうかというのは自己判断はできない。医師の診断があってはじめてその病名がつくことになるので、正確にはわたしはギャンブル依存症ではないのだが、おかげさまでギャンブル依存症関連のイベントや取材が増え(どんな経験も仕事になるのだ)ギャンブル依存症とはどんなものなのか、おおまかに人に説明できるくらいまでは学習した。
まず、ギャンブル依存症というのは病気である、ということ。
やめられないのはだらしがないからだ、意志が弱い、とか言うことではないらしい。誰もがなる可能性があるというもの。
「花粉症になる人とならない人がいるようにね、ギャンブル依存症になる人とならない人がいるんだ」と説明されることもある。
ギャンブル依存症の癖
かつて、わたしはパートナーに嘘をついてパチンコに通っていた。
多分、娯楽の範疇をこえてやっているようにみえたのだと思う。
そもそもパートナーが、わたしにパチンコを教えてくれたのだ。
だが、彼は程よくパチンコと付き合い、わたしはその面白さに連日通い詰めた。
一緒に行くこともあったが、早く切り上げて帰ろうとするのを「もう少しで出るから!ここまでやって勿体ないから!」と、よくわからない理屈で、わたしだけ閉店まで粘ることもあった。
「30分で帰るから」「この一箱が終わったら帰る」「明日は行かない」「もう行かない」
これらの嘘をつきながら、しかし、あっという間にバレて、「ごめんごめん」で済ませていた。
嘘をつくのはパートナーを失いたくなかったからであり、心配させたくなかったからであり、またパチンコをやめる気もなかったからだ。
ギャンブル依存症の癖の一つに「嘘をつく」というものがあるようだが、こちらはわたしも然り、よく理解できる。
親にも嘘をついた
わたしは親にもお金を借りていたことがある。
最近のインタビューで
「ご両親には、ギャンブルでお金がなくなったから、ギャンブルで取り戻したいから貸してほしい、と頼んだんですか?」
と聞かれた。
「いやいや、そんなことを言って貸してくれる親はいないでしょう!ははは、まあ生活費だとか嘘をついて借りるわけですよ」
と答えると、
「なるほど、嘘をついて、親からお金を借りていたんですね」
と深刻にインタビュアーから言われてしまうと、まあ、はい、そういうことに、なります、と下を向くしかない。
嘘を一つつくと、次の嘘のハードルは、かなり下がる。それに一つ嘘をつくと、それを守るために嘘の上塗りをしていかなくてならないので、自分でも、何が嘘だったのかわからなくなったりして、嘘をついている、という罪悪感をあまり感じなくなっていたように思う。
ギャンブルから抜けられない理由
ギャンブルから抜けられない理由の一つは
「過度な興奮状態を感じたいから」
ということも学んだ。
たとえばパチンコでいえば、爆音と光、そして「大金が当たるかもしれない!」と感じたときの興奮、緊張感。
生活の中で幸せだと感じることは、ギャンブル以外にももちろんある。
子どもとの時間、いい景色、植物の成長、心地よい風…。
だが、それらは非常にしみじみとした幸せであり、ギャンブルで感じられる「極度の興奮」とは全く違うものなのだ。
だから、わたしはきっと、ギャンブルに行きたいな、と今も思っているのだと思う(行ってないけど)。
05/09 12:00
婦人公論.jp