吉田鋼太郎「『おっさんずラブ』は戸惑いはあったものの、演じていて非常に面白い作品だった。今3歳の娘の花嫁姿を見るまでは、とにかく頑張りたい」

「ここで頑張らないと、自分の人生変わんないなと思ったんで、演技プランを練りに練って出て行きました」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第28回は俳優の吉田鋼太郎さん。演出家・蜷川幸雄との出会いが第2の転機だったと語る吉田さん。その後、NHKの朝ドラ『花子とアン』、ドラマ『おっさんずラブ』などテレビドラマでの活躍も増え――。

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【写真】大学生の吉田さん

<前編よりつづく

演技プランを練りに練って

(演出家・蜷川幸雄との)本当の出会いはそれから約20年後、渋谷のシアターコクーンで上演されたギリシャ劇『グリークス』の時。この芝居は「戦争」「殺人」「神々」の3部から成る。私は3日に分けて渋谷へ通い、寺島しのぶと尾上菊之助姉弟が、劇中も姉弟の役で、激しく抱き合うシーンに衝撃を受けた。

――僕はその姉弟の母親、白石加代子さん演じるクリュタイムネストラの愛人の役でした。

3部作なんで、自分の出番までに2週間ぐらいあるわけですよ。すると蜷川さんがいろんな役者に怒鳴り、「お前なんかもう役者辞めちまえ」とかって、壮絶な稽古が目の前で繰り広げられている。

あそこへ僕も出て行かなきゃならないんだ、って思うと、もう心臓が口から飛び出すくらい緊張して。でもここで頑張らないと、自分の人生変わんないなと思ったんで、演技プランを練りに練って出て行きました。

それはですね、アガメムノン役の平幹二朗さんが、妻役の白石さんに殺されて、横たわってるところに僕が出て行って「とうとうやったな」と言うシーン。

その台詞を言う前に、僕は死体を蹴ったりして、その死を確認してから、初めて白石さんを抱き寄せて台詞、というのをやった。それで蜷川さんはびっくりして……最初はどうせ変なのが出てくるんだろうぐらいの態度で周りと喋ったりしていたのが、途中から口をポカーンと開けてじっと見てた、って。

あとで寺島しのぶさんが、「蜷川さん、これからもう鋼太郎のこと離さないと私は思った」って言ってくれましたね。稽古中に突然蹴られた平さんは「鋼太郎、痛い」って、小声で(笑)。あとからは「どんどんやって」って言ってくれました。

この時の蜷川さんとの出会いが、第2の転機ですね。

仕事の幅が大きく広がった

第3の転機は、2014年に放送された『花子とアン』の嘉納伝助役で大当たりを取ったことだろう。伝助の邸内で催した室内楽のコンサートにお煎餅を持ち込み、夫人の蓮子に注意されると、彼女もお煎餅が欲しいのかと勘違いするシーン。

蓮子の駆け落ち後に東京で巡り合い、元夫人との別れの挨拶に抱き寄せて額にキスするシーンなどが印象的だった。何より野卑に演じなかったのがいい。

――ああ、僕もその2つのシーン、好きでした。野卑を前面に出しちゃうともともとの人物像が歪むと思って、わりと背筋を伸ばして演じましたね。大好きな役だったし、やりどころ満載でした。

たとえば、おでこにキスの件は、伝助はコンサートでのマナーにしてもナイフとフォークの使い方にしても、西洋の文化を蓮子から学んだ。それで最後に何か一つでも彼女にお返しができないか。それが西洋式のキスだと僕は思ったんで、リハーサルの時に監督に相談もなく、それをやってしまったんです。

そしたらディレクターたちが集まって、会議ですよ(笑)。十分ほど話し合って、「OKですから本番でもやってください」ということになりました。

とにかくこのドラマ以来、道行く人からは声を掛けられるし、仕事の幅も大きく広がりましたから、これはやっぱり第3の転機ですね。

その後、〈おっさん〉同士の恋愛を描いたドラマ『おっさんずラブ』に出演。鋼太郎さんは、田中圭演じる同僚の春田創一を愛する部長・黒澤武蔵を演じ、その意外性もあってか人気を博し、ドラマはシリーズ化・映画化された。役柄への抵抗感はなかったのだろうか。

――放送当初は男同士の恋愛を真正面から取り上げたドラマがなかったので、世間はびっくりしたと思います。僕も脚本をもらった時は少し戸惑いましたけど、監督やプロデューサーの思考がはっきりしていたので、非常に面白いエンターテインメント作品になった。抵抗感どころか、演じていて非常に面白いし、大好きな作品のひとつです。

筆者の関容子さん(左)と

一から僕のシェイクスピアを

今後、彩の国さいたま芸術劇場の2代目芸術監督として、どんな活躍ぶりが見られるのだろうか。

――蜷川さんが演出なさってた「彩の国シェイクスピア・シリーズ」は、5本を残して亡くなられたんです。『アテネのタイモン』『ヘンリー五世』『ヘンリー八世』『終わりよければすべてよし』そして最後に『ジョン王』。これをすべて僕が演出してやり終えました。

蜷川さんのシェイクスピアに対する考え方は、晩年になるとだんだん変わっていくんですね。初期には装置もダイナミックで、役者も体格のいい、声の大きな者を使って、観客をあっと言わせるような演出。

それがだんだんといろんなことを省いていって、もっとお互いにちゃんと会話すること、そのことによってその場に起こる本当の出来事を大事に表現していきたいんだ。そうおっしゃっていた矢先に亡くなってしまった。僕はその蜷川さんの考え方に大賛成なんです。

最初に蜷川さんのシェイクスピアに出していただいた時、「鋼太郎の台詞は何を言ってるのか、誰に対して言ってるのかがよくわかる」と言われて、それまでは朗々と歌い上げるような台詞回しを好んでいらしたんだけど、「これからはちゃんと血と肉が伴った演技をしてほしい」ということになったんです。

僕は蜷川さんのやり残した5本をすべて演出、出演しましたから、これからはまた一から僕のシェイクスピアを上演していくつもりです。

さいたま芸術劇場で蜷川演出の『ハムレット』を観た時、高齢の平幹二朗演じるクローディアスが自らを責め、本水(本物の水)を使って水垢離(みずごり)をするのに驚かされた。するとその場面ばかりが強く印象に残って、本筋がぼやけるように思われる。

――あれは僕もびっくりしましたね。ただね、これは極論かもしれないけど、世界中に存在するあらゆる戯曲に対して『ハムレット』、という区分けができるくらい、すごい作品だと思うんです。

素晴らしく完成されていて、劇作家の最高峰と言われるシェイクスピアの渾身の一作じゃないかと僕は思う。

だから今回は丁寧に、極力奇をてらったことはせずに、柿澤勇人君のハムレットを始めとした、俳優の台詞と肉体だけで正面から勝負したいと思っています。

プライベートについても何か一言。

――3歳になった娘にデレデレ状態ですね(笑)。娘はテレビに映る自分を見て、「パパ、パパ」って言ってくれます。まだ役者という職業まではわかってないと思いますけどね。

62の時の子供なんで、娘が20歳になると僕82でしょ。今は娘の花嫁姿を見るまでは、とにかく頑張りたいなと思っているところです。

いえ、もっともっと長く、演劇の素敵な夢を見せてくださいませ。

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