吉田鋼太郎「高校の時初めて見た舞台、橋爪功さんのシェイクスピア喜劇『十二夜』に衝撃を受けて。劇団四季の研究生は方向性の違いから早々に辞め」

「高校2年の時、英語の先生が劇団〈雲〉のシェイクスピア喜劇『十二夜』の切符をくれたんです」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第28回は俳優の吉田鋼太郎さん。高校生の時に初めて舞台を観て夢中になったという吉田さん。大学入学後、劇団四季の研究生をはじめ、いくつかの劇団を渡り歩いたそうで――。

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【写真】高校時代の吉田さん

読むと観るでは大違い

卓抜した指折りのシェイクスピア役者としての渋い認識を、2014年の連続テレビ小説『花子とアン』で演じた九州の石炭王・嘉納伝助役で、一気に人気俳優のイメージに塗り替えた吉田鋼太郎さん。その名の通り鋼のように剛毅でいながらほんのり男の色気を漂わせて、映像に舞台に大活躍。

特にこの5月からは彩の国さいたま芸術劇場で、故・蜷川幸雄芸術監督の後継者として、満を持しての『ハムレット』の上演台本と演出、クローディアス役に全力を注いでいる。

――少年時代、僕は演劇とはほぼ関係なかったですねぇ。大阪で育ちましたから、小学校3年生の時に母に連れられて宝塚を観た記憶はあるんです。それはそれでとてもびっくりして、踊る真似なんかしてたらしいですけどね。

テレビは大好きで、中学校の頃は『時間ですよ』とか『2丁目3番地』とかよく観てました。それが高校2年の時、英語の先生が劇団「雲」のシェイクスピア喜劇『十二夜』の切符をくれたんです。

それでまず戯曲を読んでみたんですが、言葉は難しいし、架空の国の架空の出来事なんて、全然頭に入ってこない。暗澹たる気持ちで観に行ったら、まぁ読むと観るでは大違い。面白くって、素晴らしくって、本当にびっくりしましたね。

それまで演劇体験が白紙に近い状態だった鋼太郎さんにとって、いきなり「雲」の橋爪功・岸田今日子など、名優揃いの舞台は強烈な衝撃だったに違いない。

――そう。だからこれが第1の転機と言えるでしょうね。橋爪功さんは本当にうまいですよね。それ以来、橋爪さんの追っかけみたいになって、演劇集団「円」に移られてからもほとんど観てます。

大学は上智の独文で、シェイクスピア研究会に入り、そこで3本シェイクスピア劇に出たんですが、その中の1本は『十二夜』でした。

それから大学を一年間休学して、劇団四季の研究生になりました。もうその頃の四季はミュージカルが主な演目になっていて、僕たちは朝8時半に行って大きな稽古場を掃除して、それから1時間半みっちりクラシックバレエのレッスン。

自分の目指したストレートプレイの方向とはまったく違うと思ったんで、早々に辞めさせていただきました。

多分第2の転機となる、蜷川さんに出会うのはいつ頃なのか。

――まだちょっと先ですね。

四季を辞めた後、シェイクスピアシアターという劇団に入って、そこに2年半いるうちに『ハムレット』を始めとしてずいぶんいろんな役をやらせていただきました。その時の演出家、出口典雄さんの指導というのが今でもかなり身についてます。

その後、劇団を辞めた有志で自分たちの劇団を作ったり、そのうちにバブルが来てグローブ座カンパニーみたいなものができて、そこでもシェイクスピアをやったりして、30代の頃は主に小劇場で芝居ばっかりやってましたね。

その頃の蜷川さんとの出会いとも言えない最初の出会いが、おかしいんですよ。

僕が劇団四季を辞めてシェイクスピアシアターに入るまでの間に、渋谷のパルコ劇場のこけら落とし公演・『下谷万年町物語』(唐十郎・作)のオーディションがあったんです。

ずいぶん大勢が応募して、結局主役は渡辺謙さんが受かって、僕は落ちたんです(笑)。

でも後にパルコから連絡があって、その他大勢のゲイの役で出ないか、って。それで年明け早々に晴海の特設稽古場で稽古が始まって、僕たちは色とりどりの長襦袢みたいなものを着せられて、ゲイの乱舞が始まるわけですよ。みんな奇妙奇天烈に踊ってる。

そしたら蜷川さんが僕を指さして、「そこのお前、お前だよ。もっとちゃんと気合い入れてやれよ、馬鹿野郎」って。すっかりやる気をなくして、翌日からはもう行かなかったですね。

それが蜷川さんとの最初の、出会いにならない出会いでした。(笑)

<後編につづく

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