【追悼】西田敏行さん 「ジャズがお好きなんですか」一般人に気さくに話しかけ「モノマネ指南」で若手と距離を縮めるコミュニケーション術
《西田さん 突然の訃報に接し、言葉もありません… 一昨日写真をのせるからね!と話したばかりなのに。悲しすぎて 悲しすぎて まだ信じられません》
そう自身のインスタグラムで大先輩・西田敏行さん(享年76)の早すぎる死を悼んだのは、ドラマ『ドクターX』(テレビ朝日系)で、のべ12年間共演した米倉涼子(49)だ。
10月17日正午すぎ、西田さんが東京・世田谷区内の自宅で亡くなっていたのが発見された。仕事のために訪れた付き人がベッドで冷たくなっている西田さんを発見。事件性がないか、捜査が入ったという。
西田さんは1980年のドラマ『池中玄太80キロ』(日本テレビ系)の主演に抜擢されブレイクを果たすと、1988年に始まった映画『釣りバカ日誌』シリーズや、2012年から放送されたドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)などの話題作に多数出演。10月8日に行われた映画『劇場版ドクターX FINAL』の完成報告会見に出席したばかりだった。
テレビ局関係者は、名優の死をこう悼んだ。
「とにかく端役でもいいから西田さんに出演してもらえると、作品に重みが出るし、格が一つ上がる。だからコメディでもやくざ映画でも、ジャンルを問わず引っ張りだこでした。本人は自分を俳優ではなく“役者”と呼び、役に自分を当てはめていくタイプ。しかし晩年は、本番で台本にはないアドリブを始終はさんで来るため、共演者たちは戦々恐々としていましたよ(笑)。場面の流れをきちんと把握し、内容をつかんでいないと対応できないため、台本に西田さんの名前があるときは、共演者たちは気を引き締めて撮影に臨んでいたと聞きます」
一方、単に共演者を気張らせるだけの役者ではなかったようだ。同業者にも一般人にも好かれる西田さんの素顔を、舞台関係者が明かした。
「彼が気をつかうのは、関係者だけではありません。ジャズを聞きにきた隣合わせの一般人に『お好きなんですか?』と自分から声をかけたり、とにかく場の雰囲気をつくるのがうまい。大御所になると周りは話しかけづらくなるものですが、若手に対しては『あの人のモノマネはこうやるんだよ』などと自分からコミュニケーションを取りにいき、相手の緊張をほぐしたりしていました。それに助けられた人も多かったと思います」
プライベートでは数々の大病を患っていた西田さん。2001年11月、西田さんは首の骨が変形し手足のしびれなどが起こる頸椎症性脊髄症を罹患。2003年3月には心筋梗塞で緊急入院し、生死の境をさまよった。
このときのことを、西田さんはこう回顧している。
《1日100本近くショートホープを吸ってました。今思えば、心筋梗塞になりますよね。それまでは「おれは絶対、死ぬなんてことはありえない」とどこかで思ったんですけど、心筋梗塞になって初めて「寿命はあるし、ちゃんと死ぬんだ」と教わりました。ICUで意識が戻ったときに、娘2人と女房が手を握ってました。これを見た時に「家族ってありがたいな」とつくづく思いました》
そんな西田さんを支え続けたのが寿子夫人だ。
「夫人はもともと西田さんのいた青年座の女優で、結婚後は潔く女優業から退き、西田さんを支えました。結婚から3年で念願のマイホームを手に入れ、娘さんたちと4人幸せに暮らしていました。
私があるとき自宅に呼ばれ、手土産にメロンを持参した。その後ご自宅を後にしたのですが、忘れ物をして引き返すと、『メロンだ! メロンだ!』と西田さんのお子さんたちが大騒ぎをしているんです(笑)。私が持って行ったメロンがよほどうれしかったのでしょうが、西田さんは恥ずかしかったのか、バツが悪そうに笑っていました」(前出・舞台関係者)
来年1月期からの連ドラ出演も決まっていたという西田さん。家族に支えられ、最後まで役者人生を貫いた一生だった――。
10/18 11:15
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