2万人の従業員にソフトバンク版AIチャットを導入、全社員を巻き込んだ生成AI活用コンテストとは?

写真提供:共同通信社

 日本を代表する通信キャリアの一つ、ソフトバンク。だが、同社の事業は通信だけではない。日本の企業、そして日本社会の変革を側面から支援するエンタープライズ事業(法人事業)が成長を続けている。本連載では、『ソフトバンク もう一つの顔 成長をけん引する課題解決のプロ集団』(中村建助著/日経BP)から内容の一部を抜粋・再編集。多くの関係者への取材に基づき、ソフトバンクの次世代の成長の原動力となる法人事業の概要、目指す未来、企業文化に迫る。

 第7回は、生成AIの領域に全力で取り組むソフトバンクの意気込みと実例を紹介する。
(文中敬称略。社長、CEO/COOに関しては代表取締役を、所属部門が複数階層に及ぶ場合は一部を省略したケースがあります。本書は、役職、組織名などに関して、予定を含め2024年2月末時点で公開された情報を基にしています)

 

 AI(人工知能)はソフトバンクが過去10年以上にわたって前のめりでかかわってきた領域だ。1990年代後半から2000年代前半のインターネット、2000年代後半から2010年代前半のモバイルに続く大きな波だと位置付ける。企業、さらには社会課題の解決に不可欠な技術として、生成AIにも全力で取り組む。

 2023年10月に開かれたソフトバンクの企業向けイベント「SoftBank World 2023」はAI、なかでも生成AIの決起集会さながらの様相を見せた。皮切りはソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義のAIをテーマにした特別講演だ。続く基調講演ではソフトバンク社長兼CEOの宮川潤一が、AIを「第4次産業革命の主役」としたうえでこう話した。

「第4次産業革命は今始まったばかりで、まだほとんどの人はAIが主役だと理解できていません。ここに大きなチャンスがあります。主役になるのは生成AIです。生成AIを使うと、これまでとは比較にならないスピードで世の中が進化するでしょう。数カ月単位で世界が変わっていくはずです。第1次産業革命から第3次産業革命までがもたらした経済効果とは、比較にならない影響があると思っています」

 さらに翌日の基調講演では今井が畳みかけるようにこう企業に呼びかける。

「数年後の生成AIは想像を絶するほどの進化をとげます。一度使って、『この程度のものか』と感じて使うのをやめている方も多いでしょうが、日本企業にとっては今が選択の時です。使うか使わないかで、企業が成長するか衰退するかの差が出ます。私が一番お伝えしたいのはこの点です」

 トップが立て続けに講演するだけではない。生成AIに関してソフトバンク全社で臨戦態勢ともいえる状態に突入している。

■ 全社員が生成AIを利用

 2023年2月ころから一部の部署で生成AIの業務利用を開始し、5月には全社での活用をスタートさせた。営業やカスタマーサポート、IT、人事・総務などの全ての部署を対象に、約2万人の従業員にソフトバンク版AIチャット「Smart AI-Chat」を導入。各部署で利用法を検証中だ。ITヘルプデスクに関しては、過去の膨大なQ&Aデータを学習した生成AIサービスを利用している。生成AIが優れているのは、データの形式を選ばないことだ。Word文書でもPDFファイルでもいい。

648個のキャッチコピーのアイデアを予選・本選で絞り込んだ
ソフトバンクの資料を基に作成
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 カスタマーサポート部門であれば、自社固有のサービスに対する問い合わせ対応を生成AIで自動化するといったことを検証しているという。筆者も取材の過程で、ソフトバンクの社員が生成AIを使っているところを何度も目にしている。例えばSoftBank World 2023の運営を手がけた社員は、同イベントのキャッチコピーを決める過程で生成AIによるアイデア出しを繰り返した。講演のスライド作成に生成AIを使ったという社員もいた。

 全社員向け、ITヘルプデスク専用、法人事業の営業向けなど、生成AIを使うための複数の社内ポータルが用意されている。法人事業の営業向けでは、「文章の内容を要約して」など頻繁に使われるものに関しては、ボタンを一度押せば生成AIが回答する。ChatGPTのように必ず会話を経なければ答えが返ってこないわけではない。

 業務利用を考えた場合、多くの企業が気にかけるのはデータの安全性。生成AIに入力した社外秘のデータが社外に漏れたり、外部への生成AIの回答結果として用いられたりするようなことがあれば一大事だ。ソフトバンクでは、ChatGPTをはじめとした外部のクラウドサービスの利用に関するルールを定めている。さらに社内で安全に利用できるソフトバンク版AIチャットを用意した。

 突然、生成AIの利用環境だけを全社員に提供しているわけではない。2021年度に「AI Campus from SBU Tech」というAI人材育成プログラムをスタートさせ、基礎的な知識に関しては約2万人の全社員に学ばせた。実務にAIを活用する場合にトラブルの原因になりがちなAI倫理も学ばせている。基本的な考え方に加え、10以上の実際のAI倫理に関する事件・事例などを伝えた。技術系部門ではAIの活用、実践が可能な人材の育成を進める。

■社内コンテストへの応募は10万件

 2023年5月から開催された生成AI活用コンテスト。初回コンテストでは10日間で約5万2000件の応募があった。その後も継続して開催されており、アイデアは10月の時点で累計10万件を超えている。

盛り上がる生成AI活用コンテスト
ソフトバンクの資料を基に作成
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 全社員を巻き込んだアイデア合戦はソフトバンクの伝統といっていい。ただし、生成AIが話題だからといって、漫然とアイデアを募集しても社員が活発に応募するわけではない。実はコンテストには大きなニンジンがぶら下げられている。

 最も優秀だと認められたアイデアには毎回1000万円の賞金が贈られる。1回の賞金総額は2500万円。1位だけではない。上位には相応の賞金が与えられるし、数千位までPayPayのポイントが付与される。社内コンテストの規模としては破格だ。

 出来のいいアイデアに関しては、特許出願を進めている。孫がSoftBank World 2023の基調講演に立った10月4日の時点で、生成AIに関する特許出願の数は1万件を超えたという。重要なものに関しては特許出願で情報が公開されるリスクを考慮して、あえて取りやめるケースもあるという。

 自らもグループ内で最多の890件の特許を申請したという孫は、ソフトバンクによる特許出願数が日本企業で最多になる可能性を指摘し「生成AIというテーマだけで1万件を突破した企業はおそらく世界一ではないか」とぶち上げた。

■ LLMを自社グループで開発

 スピードを重視して世界中からいち早く優れたソリューションを探し出し、顧客に提供するのが法人事業で基本の進め方だが、生成AIに関しては一歩も二歩も踏み込む。

 どう踏み込んでいるかを理解しやすくするため、少し生成AIについて説明する。ChatGPTのような生成AIのサービスを実現するのに必要な要素は2つある。LLM(大規模言語モデル)と呼ばれる膨大なパラメーターを含むソフトウエアプログラムと、LLMを構築し稼働させるハードウエア基盤だ。双方の進化が相まって現在の生成AIが可能になった。

 ソフトバンクはLLMとハードウエアの双方で手を打つ。LLMは子会社を設立して開発する。2023年8月に本格始動を表明したSB Intuitions(エスビーインテュイッションズ)がそうだ。同社は独自LLMの研究開発と生成AIサービスの開発、販売、提供を目的に設立された。

 2023年度第3四半期の決算説明会に登壇した宮川は「3900億パラメーターの達成に向けて順調に進捗しています」と話した。ここでいうパラメーターはLLMの性能を示す一つの目安になる数値だ。開発元のOpenAIはChatGPTで用いるLLMのGPT-3.5やGPT-4のパラメーター数は公表していないが、2020年に発表され、あたかも人間が書いたような文章が作成できるとして話題を呼んだGPT-3のパラメーター数は1750億だ。3900億パラメーターはGPT-3の2倍強に相当する。

 日本企業で独自にLLMの開発を表明したのは、NECや富士通などのコンピューターメーカー、強力な研究機関を持つNTT、AI関連のスタートアップ企業などに限られる。LINEヤフーのような子会社を持つとはいえ、自社で作るよりもいいものを売るイメージの強い同社からすると意外とも思える決断だ。

 独自のLLMを開発するのは簡単ではない。しかもその規模は3900億パラメーターと国内最大級だが、宮川は「やれるチャンスがあって、やれる人材がいて、資金も何とかなるソフトバンクだからこそ今やるべき存在ではないかということです」と意気込む。

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