キリンHD副社長坪井純子氏に聞く 「なりキリンママ・パパ」で試した誰かが抜けても回る仕組みとは?

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 人的資本経営、女性活躍推進・ダイバーシティ推進は、経営者にとって喫緊に対応すべき課題だが、日本では近年なぜここまで女性活躍がクローズアップされるようになってきたのだろうか。そしてこうした取り組みは、企業にとってどのような価値を生み出すのか。本連載では『女性活躍から始める人的資本経営 多様性を活かす組織マネジメント』(堀江敦子著/日本能率協会マネジメントセンター)から、内容の一部を抜粋・再編集。女性活躍やダイバーシティと経営戦略をどのように紐づけ、取り組んでいくべきか、先進企業の経営層と著者との対談からヒントを探る。

 第7回では、第4回からに続きキリンホールディングスの事例を紹介。同社が全社展開している疑似体験プログラム「なりキリンママ・パパ」を取り上げ、女性活躍・DEI推進が、いかにして強い組織の構築へとつながるかを学ぶ。

【社内外コミュニケーション】
なりキリンママ・パパの全社展開で、DEIの意義が全体に浸透

女性活躍から始める人的資本経営』(日本能率協会マネジメントセンター)

堀江:営業職女性の活躍推進を目指すプロジェクトで取り組まれた、パパやママの立場を1ヶ月間、擬似体験するという「なりキリンママ・パパ」も話題になりましたね。弊社スリールでも「体験」を主眼に研修を行っており、管理職に育児体験を行ってもらう「育ボスブートキャンプ」というプログラムも行っています。改めて、御社にとって自分ごと化するような効果はどれ位あったのでしょうか。

坪井:「なりキリンママ・パパ」は、子どもがいない若手社員が1ヶ月間ママになりきり、時間制約のある働き方にトライするという実証実験でした。時間の制約、子どもの保育園への送迎、突発的な対応などが発生するというリアルな想定の上で実施し、労働生産性を向上させるために奔走するというものだったのですが、「新世代エイジョカレッジ」で大賞をいただきました。

堀江:実証実験プログラムをそのまま全社展開されたのですね。

坪井:はい。実証実験で終わらせるのではなく、2019年には全社展開を始めました。擬似体験するシチュエーションを「育児」だけでなく、「親の介護」「パートナーの病気」の中から選び、時間の制約や突発事態に対応しながら1カ月間体験してもらいました。本人だけでなく周りも含め、仕事の棚卸しをして効率的に考えるという体験ができて、「こうすればチームは回る。育児中の人がいても大丈夫だ」と確信が持てたなど、成果を上げていると思います。また、全社の中で「なりキリン」を知らない人はいないと思います。

堀江:凄いですね。浸透しているという現れですね。つまりは、誰かが休んでも回るような働き方や仕組みを創っていくという意識は高まっているのですね。

坪井:そうですね。もちろんまだまだ課題はありますが、「そうあらねばならない」という意識は高まっていると思います。

堀江:広報もご専門かと思いますが、なりキリンのように、社外に取り上げられて外部から言われるようになったことで、社内に意識が浸透したなと感じる事もありますでしょうか。

坪井:それはとてもあると思います。社内だけで実施しただけでは、実施している意義や価値が理解できなかったりすることもあると思います。また他社が行っている事が「自分達にもできそう」と思えることもあると思います。また、人事の施策は競合であっても情報交換を行うことができるなと感じます。だからこそ、人を育てていく事は社会課題であり、社会で行っていく必要があると思います。

堀江:最後に、坪井様ご自身が経営層として、経営に多様性が入ることの意義をどう捉えていらっしゃるのかを教えてください。

坪井:経営には女性に限らずDEIが必要だと思っています。現在当社は中途採用も増やしていますが、そのような多様なメンバーから多様な意見が出ないと、企業は意思決定を間違ってしまいます。多様な人がいてこそ、企業は強くなる。ただ、男性役員の中に女性役員が1人というようなあまりにマイノリティな存在だと、発言しにくいのも事実です。これについては、経営層が取り組んでいく必要がありますね。

 多様性については、以前は、女性に対して「いてもいい」というような捉え方がなされていました。これは、男性がマジョリティで女性がマイノリティという捉え方だったから、女性は能力不足だけれども「いてもいい」だった。でも、今はそうではありません。多様な人材は「いた方がいい」のです。これからの企業は、専門性やジェンダー、国籍など、異なる強みや軸を持つ人が集まった経営チームでなければ存続できないのですから。

【解説】
 キリンホールディングスの取組みを、3つの視点7つのポイントで解説していきます。

 キリンホールディングス株式会社は、特に「①企業のビジョン・目標の明確化、③現場と経営を繋げる推進体制の構築、④管理職パイプラインを意識して、段階ごとに着実に継続して行う⑤マネジャー層のアンコンシャスバイアスの払拭⑦社内外コミュニケーションを強め、社員に浸透させる/外部環境の変化を捉え、対話を行う」の5点が素晴らしいと感じました。

 まず、CSV経営を打ち出し、3つの軸にダイバーシティを据えており、経営者自らが現場に赴き対話を行い、浸透させていることが基礎になっていると感じます。『なぜ多様性に取り組むべきか』を、理解し、社会の変遷に応じて、常に変わっていく姿勢の本気度が伝わります。またその体現として「なりキリンママ・パパ」を全社で展開し体感させるところまで行っているという点が正に、「①企業のビジョン・目標の明確化」と「⑦社内外コミュニケーションを強め、社員に浸透させる」であると感じます。

 また女性管理職パイプライン構築において、とても重要であるプール人材の構築も含めて進めていくことで、強固なパイプラインが創られています。昭和型の人事制度の場合、どうしてもライフイベントがある女性は育休ペナルティが起こり、昇格が遅れてしまう構造になっています。そこを解消するのは、昇格に関わる制度の変更と共に、早期に経験を積むことです。

 5年までにリーダー経験や一皮むける経験を行うことが、本人の昇進意欲にも、実際の昇進にも影響します。キリンホールディングスの場合は、性別関係なく、早回しで経験を積ませることを意識させるということを上司層に伝えていますが、この施策自体が、早期に上司のジェンダーバイアスを解消する機会にも繋がります。

「女性だから無理だと思ってアサインしていなかったが、実際はそんな事がなかった」等の気づきが起こります。これを育児期以降にタフアサインメントを行うと、時間的体力的な制約もあり難しい部分も出てきます。だからこそ、早回しで育成することは、様々な方向でメリットがあるのです。

 女性管理職を増やすとなると、どうしても「まずは管理職に上げることから…」ということで、その施策に集中しがちです。しかしそうなると、数年後に蓋を開けてみたら「対象になるような社員がいない…」とプール人材が育成されていないと焦る企業もいます。プール人材構築の意識を持ちながら施策を行うと、強固なパイプラインが構築できるのです。

 最後に、やはり「なりキリンママ・パパ」の有効性についてです。前述では、ダイバーシティの意識浸透に役立っている点について述べていますが、この施策は働き方改革という側面でも大変有効です。

 このプログラムは、お迎え要請が来た場合15時でも退社をしていくという内容になっています。つまり「指定された2週間のうち、上司も含めていつ誰が15時に帰るか分からない」中で仕事をすることになるのです。その為、その危機を乗り切るために、チームで仕事を持ってみたり、情報共有を行えるようにしてみたりと組織が動くようになります。

 また実際に上司が15時に帰っても、意外に大丈夫! という成功体験も得られることで「誰が帰っても大丈夫なような仕組みを創れば、強固な組織になる」という意識が生まれていきます。そうなると、通常の業務自体にも改善をしていくという動きが出てきます。これが本質的な組織改革に繋がるのです(弊社で行っている「育ボスブートキャンプ」は、更に実際に育児体験していただいています)。

 なりキリンママ・パパも含めて「管理職が体験をすること」が大きな影響があると感じます。社員は全員(自分も含めて)、プライベートがある中で仕事に来ていて、仕事は生活の一部でしかない。だからこそ、仕事の質を高めながら、効率的に行い、従業員の生活の質を高めるにはどうすれば良いのか? これを考えられる会社が、強い組織に繋がり、選ばれる会社になるのだと考えます。

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