謝ることを負けと考えてしまう人がおちいる悲劇
「ごめんなさい」が不足している日本の社会
私は、高校時代をアメリカで過ごしました。また、コーチングの世界に入るときもアメリカで修業を積みました。
そのため、アメリカの「簡単に謝ってはいけない」文化の影響を受けていて、かつては「自分が間違っていないと思ったら絶対に謝らない」どころか、「自分が少しくらい悪くても簡単に謝るべきではない」と本気で思っていました。
日本とアメリカ両方の社会を見てきて感じるのは、今の日本には「ごめんなさい」が、かなり不足しているということです。「日本人は、すぐに謝る」などと言われてきましたが、それも過去のものになりつつあります。
「日本人は、自分の意見がない」
これも、長らく海外の人からそう思われ、また日本人自身も自覚してきたことですが、グローバル化が進み、さらにSNSが私たちの日常の一部になっていったこの十数年で、日本人の「自己主張のスキル」は格段にレベルアップしています。
とてもすばらしいことですが、その結果、日本の社会には、あちこちで対立の構図が生まれるようになりました。
インターネットの世界は、その最たるものです。自分の正しさを主張して反対の意見を全力でつぶしあい、炎上騒ぎも日常茶飯事。はやりの「はい、論破」というフレーズを、子どもたちまでがおもしろがって使っています。
これは、自己主張のスキルだけが発達して、相手とぎくしゃくしたときの「関係修復のスキル」が追いついていないことを意味しています。
アメリカ人がエレベーターで笑顔を見せる理由
たしかに、アメリカには「簡単に謝ってはいけない」文化がありますが、実は、それを補うコミュニケーションの技術もたくさんあります。それらを、自己主張のスキルとセットで身につけていくのです。
たとえば、エレベーターで他人と乗りあわせたとき、彼らは必ずニコッと小さく笑顔を見せます。あれは「私は危険人物ではない」というメッセージです。
少し一般化しすぎかもしれませんが、狩猟民族の子孫である彼らは「武装」が通常モードというか、彼らの生き方の根底には「自分の行動で領土や権利を獲得してきた」という強い思いがあるように思います。
だからこそ、仲よくしたい相手や、関係を続けていきたい人には、「私は危害を加えない人間ですよ」というメッセージを、おたがいに、こまめに送りあうのです。
また、「人種のサラダボウル」と言われるように、さまざまな文化的背景を持つ人たちが集まる国なので、「私は賛同できないけど理解はできるよ」「そういう見方もあるんだね」といったフレーズが、日常会話にたくさん出てきます。
日本人より、ずっと自己主張の強い人たちですが、それとセットで「おたがいにメッセージを送りあう」「違いを認める」といった考え方も社会に根づいています。
「謝る」=「負け」ではない
今の日本では、自己主張のスキルだけが急速に発達して、その結果、相手と意見が食いちがったり、反論されたりしたら、必要以上に相手を敵視して、全力で叩きのめそうとする。そんな悲しいことが起こっています。身近な人間関係で、そうなってしまうのは、あきらかに不幸です。
そんな状況を回避したいなら、ぜひ、「ごめんなさい」の技術、つまり関係修復のスキルを身につけてください。そして、身近な人との関係がうまくまわっていけば、あなたの人生の満足度は確実にアップしていきます。
なお、誤解のないようにお伝えしておくと、「ごめんなさい」を言うことは、妥協することでも、卑屈になることでも、相手に負けることでもありません。「ごめんなさい」を伝えるかどうかは、あなた自身が決められます。
もし、あなたが「この関係は切れてもいい」と思うなら、「ごめんなさい」を言わない選択もできるということです。そのうえで、もし伝えることを選ぶなら「技術」が必要です。
多様性社会で相手と関係を結んでいく技術
これからの社会は、どんどん多様化が進んでいきます。そのときに、「ごめんなさい」の技術の重要性は高まっていくはずです。
日本は島国ということもあり、これまで「均質性が高くて、多様性は低い」と指摘されてきましたが、そうとも言えなくなってきています。
多様性とは、性別、人種、国籍などの違いだけではありません。1人ひとりのライフスタイルの変化も、多様性の1つです。会社勤めの人、フリーランスの人、1つの会社で働きつづける人、転職する人、独身の人、子育てをしながら仕事をする人、夫婦2人の暮らしをしている人、親の介護をしている人……そうした違いも多様性といえます。
数十年前のライフスタイルは、たとえば男性なら、会社勤めをして、結婚して、子どもができて、家を買って、定年まで働く……といったコースを多くの人が選んだように、とてもよく似ていました。
そのような均質性の高い社会なら、日本の「察する文化」も、それほど難しいことではなかったでしょう。隣の人と自分の生活がほぼ同じなので、悩んでいること、うれしいこと、感じていることも共有しやすかったはずです。また、「ごめんなさい」が必要な場面でも、「まあ、おたがいさまだから」と穏便にすんでいたのだと思います。
ですが、これからの時代は違います。同じ学校にいても、会社で隣に座っていても、そして同じ家に住んでいても、相手は自分と違う背景、価値観を持っていることが当たり前になります。
そのときに、「ごめんなさい」の技術、つまり相手とぎくしゃくしたときの「関係修復のスキル」が必ず必要になるはずです。
(林 健太郎 : リーダー育成家 合同会社ナンバーツー エグゼクティブ・コーチ)
09/20 17:00
東洋経済オンライン