原始の地球上に「土」が存在しなかったという驚き

農耕

土はこれまで目立たない存在でした。土そのものの理解が必要と気づき、その複雑さがわかってきたのは最近のことなのです(イラスト:rumka_vodki/PIXTA)
気候変動、パンデミック、格差、戦争……、私たち人類を襲う未曽有の危機を前に、20万年にわたる人類史が岐路に立たされている――。そのように言っても、大袈裟に感じる読者は少ないのではないでしょうか。
そんな今、40億年の生命誌からヒトの生き方を問い直そうとしているのが、レジェンド研究者・中村桂子さんです。
科学の知見をもとに古今東西の思想や実践活動に学び、「本来の道」を探った著書『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌』より一部抜粋・編集して、生き方を見つめ直すヒントをお届けします。

「土」を知るところから始めよう

農耕は定住を不可欠なものとし、そこには自ずと住居が集まり、お互いに助け合う小型の集落ができました。

つまり農耕文明の始まりは食べものづくり(現在の農業)、暮らしの場づくり(現在の言葉にするなら村づくり、街づくりであり、土木・建設)の始まりであり、「自然に手を加える」ことの始まりです。

「生きものとしての農業」としては、農耕を、土に注目して考えていくのですが、実は暮らしの場づくりはすべて土から始まります。

農耕の場合と同じく、現代社会の中での土木・建設という作業が自然破壊につながっていることに疑問を抱いた人々が、もう一度土を見ようという活動を始めていることを最近知りました。「生きものとしての農業」と同じように「生きものとしての土木」と呼べる活動です。生活の基本に土があることを示す動きです。

有機農業への関心が高まるなかで、世界の流れとして、土への関心が近年大きく浮かび上がっているのは、本質に迫っている気がします。

土はこれまで目立たない存在でした。土そのものの理解が必要と気づき、その複雑さがわかってきたのは最近のことなのです。そして今、土壌革命という言葉が生まれるほどに、土の重要性が注目されています。

その理由には、土にあまり目を向けず、農作物の生産性を上げることだけに注目して農耕を行ってきたために、土の質が落ちてきた危険性に気づいたことと、複雑な土の実態の研究が進んだこととの両面があります。

私たちは今、農耕を考えるなら土から始めなければならないという知見を得たのです。生きものも土も複雑な自然であり、科学もやっとこれに注目するところまできたというのが実情です。

そこで、狩猟採集から農耕への移行を「土を知るところから始めよう」というのが、生命誌の提案です。1万年前の人がそこに気づかずに農耕を始めたのは仕方のないことですが、今なら「土」から始められるはずです。

ここでまず土とは何かを確認します。土は、1人の人間としては子どもの頃から、人類としては古代から接してきたものなので、土ってなあにと考えることはほとんどありません。

しかし、今や土を知ることが大事なので基本をまとめましょう。

原始の地球には「土」はなかった?

原始の地球は岩石(地殻)と水(海)とでできており、土壌はありませんでした。意外に気づいていない人の多い事実です。

地表地殻の岩石は少しずつ破砕されていきます。これを「風化」といい、地表の温度変化に伴う膨張・収縮や、雨・氷雪に長期間さらされて起きる「物理的風化」と、化学反応によって岩石の成分が水に溶けたり分解したりして起きる「化学的風化」があります。いずれにしても地表に小さな石ができ、さらには砂になっていきます。

これだけでは土にはなりません。

地球に、あるとき生きものが生まれます。40億年ほど前の海には、現存の生きものの祖先となる細胞が存在したことは確かですので、ここを出発点にします。

海中での進化によって多様な生きものが誕生し、5億年ほど前になってやっと上陸が始まります。なぜ地球に生きものが存在するのかと考えると、そこに水があったからという答えになるでしょう。

日常私たちは、水は必要なものと思って過ごしていますが、水の意味はそれ以上であり、水があってこそ生きものがいるという関係なのです。

ですから、生命誕生から35億年近くの時間、生きものたちが海で暮らしていたのは当然です。

しかし、どうも生きものには冒険心があるらしく(浅瀬が混雑し始めて追いやられたという考えもあります)、上陸大作戦が始まります。まず植物、次いで昆虫たち、さらに動物が上陸し、それとともに土がつくられていくのです。

植物の枝や葉が落ち、それをミミズやシロアリなどの動物がさまざまな微生物とともに分解して、土ができていくという作業は今も続いており、その土が植物の生育を支え、多様で複雑な陸上生態系ができ上がっているのです。

土は生きものなしには存在しない

大さじ1杯の土には1万種類、100億個の微生物がいるといわれます。土は生きものなしには存在しませんし、生きものは土に支えられて存在しているという関係に注目すると、土の力の活用こそ陸地での生活の基本と考えられます。

土の役割を改めて確認します。

1 陸上の生産者である植物を支え、育てます。農耕は植物を栽培し、家畜を飼育する行為であり、土の力に支えられています。

2 土の粒子の間隙には水と空気が貯えられ、それが植物の根から吸収されます。土中の水は地球上の水循環の重要な経路です。近年、「森は海の恋人」という言葉に代表されるように、この水循環への関心は高まっています。

3 土中にいる無数の微生物や小動物が、生物の遺骸や排泄物、さらには生ゴミも分解して植物の栄養として使われるのですが、生きもののはたらきを土の中の空気が助けます。

植物たちを支え、水や養分を送り込むという誰もが知っている土の役割ですが、ここに書いたことから土の様子をまとめると、下の図のようになります(※外部配信先では図を閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)。

『人類はどこで間違えたのか-土とヒトの生命誌』より

土と聞くと固相の無機物を思い浮かべますが、農耕にとっての土として重要なのは、有機物、水、空気です。

生きものを支えるのは水と空気と有機物であることは、誰もが知っています。これらを上手に生かせるように、土の状態を整えることが基本の基本です。

落ち葉、動物の死骸、ふんなどにある有機物を土中の微生物が分解し、植物に吸収される形にします。具体的な元素として窒素、リン、カリウムが最も重要です。そのほかもちろん炭素、水素、酸素が必要ですし、鉄、硫黄、マグネシウム、カルシウムも不可欠です。

これらの含まれ方は地域によって違います。土の多様性は、色にも現れます。黒、茶、灰、赤、白など……日本列島は黒や茶の、先にあげた成分を比較的豊かに含む土に恵まれており、幸せです。もっとも酸性という問題点はありますが。

土の中でのはたらきは直接目には見えませんので、目に見える作物や家畜をいかに思い通りのものにしていくかということが、よりよい農耕を求めての行動になりました。

農耕が生産性を高めるために、化学薬品を活用して自然を思うがままに動かそうとしたのはそのためです。これは正解ではなく、土に戻ることが不可欠ということにやっと気づいたのが、今なのです。

この方向で進めば、拡大志向の中で一律な大量生産を求める農業ではなく、地域性を重視する姿ができてくるだろうと期待します。

土は私たちの生活を支える基本

土は農耕だけでなく、生活全体に結びついていることはすでに述べました。狩猟採集から農耕への転換は定住を求め、住居が必要になりました。

まず穴を掘るところから始まる、土とのつき合いです。住居も土、現在も土木という言葉を使うように、日本の住居は長い間、木と土、それに紙を加えてつくってきました。

日常の道具も石器から土器へと移ります。農耕に必要なのは、生きものがつくる腐植土のほうですが、家や土器に用いる粘土は鉱物です。腐植土から養分をもらって育った作物たちの実りを調理して、粘土でつくった土器(今は陶器や磁器)に載せ、みんなで美味しくいただくのが人間の日常であり、共食を楽しみます。

作物を育ててくれた土を含め、自然に対する感謝を込めて器に盛った食べものをカミさまに供えることもあります。

自然の霊たちとの共食であり、生活の中の大事な行事になってきました。こうして木とともに土は、私たちの生活を支える基本なのです。

今、住居や街づくりの土木も土から離れてコンクリートの世界になっていますが、これも土と木を意識した「生きものとしての土木」になる必要があることは先に触れました。コンピュータに不可欠な半導体を構成するシリコンは砂が原料といわれ、どこまでいっても土だなと思います。

(中村 桂子 : JT生命誌研究館名誉館長)

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