東大生が自然とやってる「要するに」という考え方

考える力

生まれた段階で一生のスペックが固定化するものでもなく、後天的にスペックを引き上げていくことが可能です(写真:zon/PIXTA)
【相談】
中学3年の息子がいます。幼なじみの子がいて、小さいときから、一緒の学校、一緒の塾に行っていました。仲がいいので、勉強も一緒にやることが多かったです。しかし、小さいときはあまり気にならなかったのですが、中学になり、幼なじみの子と歴然とした差がついていることに戸惑っています。うちの子は真面目に勉強するほうですが、それでも、幼馴染の子は、はるかに勉強ができます。地頭の違いかと思いますが、同じような学びをしてきているのに、なぜこのように差がつくのかわかりません。どのような背景があるのでしょうか?
(仮名:木村さん)

「考える状態」にして後天的にスペックを引き上げる

記事(「同じ学校、同じ塾」でなぜ成績に差がつくのか)の続きをお届けします。

同じ勉強をしていて差がつく理由は、地頭(パソコンで言うOS)のスペックの違いというお話を前回しました。しかし単純に、生まれた段階で一生のスペックが固定化するものでもなく、後天的にスペックを引き上げていくことが可能です。

地頭の正体は「考える力」であり、その考える力を引き上げるための「問いかけ言葉」があります。筆者はそれを、マジックワードと呼んでいますが、そのマジックワードを使うことで、人を自然と「考える状態」に誘うことができます。

考える力を大きく因数分解すると次のようになります。

考える力=「疑問を持つ力」×「まとめる力」

この2つの力を合わせて使うことで、頭脳はほぼ間違いなく「考える状態」になります。つまり、地頭(OS)のスペックを上げていくことができるようになります。

「疑問を持つ力」を引き出すための問いかけ言葉は前回解説したので、今回は2つ目の「まとめる力」についてお話しします。

「まとめる」という言葉を別の言葉で表現すると「抽象度を上げる」になります。

抽象的、具体的という言葉があります。抽象とは簡単に言えば「ざっくり言うとこういう感じ」というものであり、具体とは「はっきりとしていてわかりやすいもの」というイメージです。

そこで「抽象度が上がる」とはどのようなことか、わかりやすくするために、次のような例え話をします。

見る視点によって、人は判断や認識が変わる

例えば、山田さんがチワワを飼っていました。石川さんもチワワを飼っていました。山田さんのチワワも石川さんのチワワも具体的ですね。具体的な世界というのは比較、争いが起こります。山田さんはこういいます。「石川さんのチワワは耳大きすぎない? うちのチワワのほうが断然可愛いわ〜」。しかし、山田さんのチワワも石川さんのチワワも、「チワワ」というカテゴリーに入っています。つまり同じですね(具体的世界は、違いばかりが目につくため、いじめ、差別が起こりやすい世界です)。

すると今度は、内田さんのトイプードルが登場します。すると今度はまた比較、争いが起こります。内田さんは「チワワなんてうるさい犬よく飼うわね〜。うちのトイプは全然吠えないし、お人形さんみたいで可愛いわ〜」と。しかし、チワワもトイプードルも一段上に上がって見れば「小型犬」というカテゴリーです。同じ部類になります。同じということがわかれば、争いは起こりません。

するとさらに、今度は木村さんのゴールデンレトリバーが登場します。すると、また比較すると争いが起こります。トイプの内田さんは「よくあんな大きな犬飼うわね〜。餌代かかるし、信じられない」と。しかし、トイプもゴールデンも一段上に上がって見れば、「犬」というカテゴリーになります。同じ部類です。

このように、「チワワ→小型犬→犬→哺乳類→脊椎動物→動物→生物」と上がっていくことを「抽象度が上がる」といいます。どの視点から見るかによって、人は判断や認識が変わってきます。

これを、算数に当てはめてみましょう。問題集1ページに10問の問題があったとします。抽象度の低い子は、すべて10問とも別々の問題と思っています。「これは、分数が出ている。これは小数があって、この問題は分数と小数があって」と。しかし、抽象度の高い子は、これらすべて10問の問題は“同じ”であることが見えています。ただ、違いも認識できています。この問題は分数、この問題は小数という表面的に形が違っているけど、「やっていることは同じ」であると“見えて”いるのです。

次に国語に当てはめてみるとこうなります。例えば国語の説明文。1つの段落で言いたいことは1つしかありません。抽象度の低い子は、書かれている文章の用語が違っているし、構造が違っているから、すべて違っていることが書いてあると錯覚をしています。だから字ズラを追い、設問では答え探しが始まります。しかし、抽象度の高い子は、表面的な形は違っていても、「言っていることは同じ」ことが“見えて”います。

抽象度が高い子は、俯瞰的に物事が見える

どのように子どもが見ているのか、感じているのかは、周囲から見てもわかりません。ただ問題を解いている様子、文章を読んでいる様子としてしか見えないからです。しかし、実態は、まったく異なります。抽象度が高い子は、俯瞰的に物事が見えるので、ポイントを即つかんでしまいますが、そうでない子は、大変です。何しろ、すべての問題や文章が違って見えているのですから、いくら勉強しても無限にある問題としてしか認識できず、そうなると勉強のやる気など出るはずがありません。

筆者は、東京大学の修士課程、博士課程に通学していたときに多くの東大生と話をしました。そのとき感じたこと。その1つが、彼らの「抽象度の高さ」です。1を聞いて10を知るというのがまさにそうで、彼らは具体的な話を聞くと、それを抽象化させて、理解し、一般化させていくという特徴を持っています。

東大生は、センター試験(現共通テスト)でも全教科で高得点をとり、さらに2次試験でも難解な問題を多教科、多分野にわたって点数を取っていくという離れ業をやってきた人たちです。もちろん受験勉強は相当したでしょうが、科目数が多く、しかもハイレベルな問題が解けるのは、数限りない問題を解いていったのではなく、いくつかの具体的問題から抽象化させて、ルール化する、パターン化するということが自然とできていたということが背景にあります。

社会人であれば、部署が変わっても、なぜ同じように高いパフォーマンスが発揮できるのかという理由もここから説明できます。

つまり、はじめの部署で高いパフォーマンスを出している人は、その「具体的仕事」から抽象度を挙げて、一般化、ルール化しているのです。そして、新しい部署に着任したら、その新しい具体的な仕事に適用しているだけの話なのです。

抽象度の低い人は、一般化、ルール化できないため、すべてが具体的仕事と考えてしまい、一からやり直しという発想しか持ち合わせていません。これは、まさにすべての数学の問題をマスターしないと受験では高得点は取れないと考えている受験生と同じで苦労するパターンなのです。

では、次に気になるのは「抽象度を引き上げるためにはどうしたらいいか」ということです。

そのためには、次のような問いかけ言葉を子どもに使ってみてください。

「要するにどういうこと?」

人は「要するにどういうこと?」と問われると、枝葉をそぎ落として、幹だけを選択するようになります。つまり、まとめる作業を自動的に行うようになります。

先ほどの犬の例で言えば、「チワワって要するに何?」と問われれば、「犬」となります。「犬って要するに何?」と問われれば、「哺乳類」となりますね。つまり、「要するに?」と問われると抽象度は自然と上がっていきます。

できる子は、自分で「要するに何?」とまとめることを“自動的”にやっています。文章を読んでも、「要するに何を言っているの、この文章は?」とか、数学の問題をやっていても、「要するにどういうこと?」「要するにどういうパターン?」と自問自答を無意識にしています。

雑談の中でマジックワードを織り交ぜる

『同じ勉強をしていて、なぜ差がつくのか?』書影

木村さんのお子さんは中学生なので、親が子どもに勉強を教えることは容易ではないと思います。ですから、日常生活の中での雑談の中で、このマジックワードを織り交ぜることをお勧めします。すると、頭脳は「考えるモード」に切り替わっていきます。または、この記事を子どもに紹介してもらってもいいですし、次のようなことを子どもに教えて伝えてみるのも効果的です。

「勉強しているときに『要するにどういうこと?』『簡単に言うとどういうこと?』『コツは何?』と自問自答すると、大切な部分(ポイント)が見えてくるみたいよ。ポイント(幹)がつかめると、その他の部分(枝葉)も理解できるようになるようだから、試してみるのもいいかもよ」

実践するかどうかわかりませんが、少なくとも、子どもの頭には、「要するに」という言葉が残ると思います。もしそれが機能すれば、これまでとはまったく異なる“景色”が見えてくることに子どもは驚くと思います。

(石田 勝紀 : 教育デザインラボ代表理事、教育評論家)

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