2作品で100万円!「アート委嘱」の絶大なる潜在力

「インスパイアの事業内容からイメージすること」がテーマの委嘱作品。第1期生5人のうち、「白 haku」さんの油絵を持つ高槻亮輔社長。右は山本恵理さんの油絵。宅配便で送られてきたばかりの作品の梱包を解いて撮影(記者撮影)

「毎年5人のアーティストの卵に2つずつ作品を委嘱。5年で50作品を集めて、創立30周年を迎える2030年には作品展を開催する」

そんなアートプロジェクトを始動させたベンチャーキャピタルがある。ユーグレナ、ABEJA、雨風太陽などへの出資で知られるインスパイアだ。第1期に当たる2024年に選ばれたアーティストの卵は、東京芸術大学と武蔵野美術大学の在学生、卒業生たちだ。

インスパイアの高槻亮輔社長は次のように、このプロジェクトの経緯を説明する。

「創業25周年を記念してインスパイアのウェブサイトを刷新しようと考えました。インスパイアの出資先の商品デザインなどクリエイティブディレクションをお願いしているエディングポストの加藤智啓さんに相談をして、浮上したのがこのアイデアです」

5年かけて計25人を選出する

プロジェクトの概要は以下のようなものだ。

・すでに世の中から評価されているアーティストではなく、これから世に出るアーティストの卵にお願いする
・5年かけて、毎年5人ずつ選出する。インスパイアの事業内容からイメージする作品を発注。その作品をウェブサイトに掲載する
・1人にお願いするのは2作品。1人当たり100万円を支払うが、1作品で100万円だと減価償却が必要な資産になるため、2作品をお願いする形に
・1作品は、インスパイアの事業内容から思い浮かぶものを自由に。もう1作品は、インスパイア社員のポートレート
・5年後の30周年では展覧会を行う。東京で行うかもしれないが、ひょっとしてインドネシアのジャカルタなど、インスパイアの事業展開と関連のある場所で行う可能性もある

高槻社長は言う。「ものづくりを行っている企業はプロダクトがあるので、そこで企業をイメージできる。それに対し、インスパイアのような金融に関連した事業は、どうしても直感的にイメージしにくいものがある。アートを通じて、自分たちの進めている事業を表現できれば素敵だな、と思っています」

1期生5人の作品はインスパイアのホームページに掲載されている

5人が「インスパイアの事業内容からイメージして制作した作品」は同社のホームページに掲載されているのでご覧いただきたい。

忖度などないポートレート作品

ここでは、5人が制作したインスパイア社員のポートレート作品のうち、その一部を紹介しよう。

まず高槻社長のポートレート。作者は、東京芸術大学油画第1研究室在学中の原ナビィさんだ。ワイナリーでの記念写真、ダイビングスーツでの写真、サングラスを掛けてポーズを決めた写真などを材料として渡し、あとは自由に書いてもらったという。

高槻社長のポートレート(作:原ナビィ)

感じた印象をそのまま作品に込めているわけだが、なかなか刺激的。そこには、”忖度”のようなものなどないことがよくわかる。

続いて、インスパイアの清水俊樹取締役のポートレート。色本藍さん(東京芸術大学大学院美術研究科在学中)が制作した。日常生活を撮影した数枚の写真を基に描いた作品である。

清水取締役のポートレート(作:色本藍さん)

こちらはインスパイア・インベストメントの藤本学取締役のポートレートを描いた山本恵理さんの作品。インスパイアにて面談のうえ、数枚の写真を渡して、そこから作品が生まれた。山本さんは東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻の卒業生だ。

藤本学さんのポートレート(作:山本恵理)

第1期生に選ばれた”アーティストの卵”には、このほかに武蔵野美術大学を2024年3月に卒業した「白 haku」さんと、東京芸術大学日本画専攻卒の杉本岳久さんがいる。

悩ましい企業とアートの関わり

企業とアートの関わりをめぐっては、不祥事や経営効率上の問題が話題になることも多い。

最近では、化学メーカーのDICが、現代アートを集めた秀逸な美術館「DIC川村記念美術館」(千葉県佐倉市)を2025年1月から休館することを明らかに。外部株主からの指摘を受けて、規模の縮小、外部への売却などを検討するようだ。

これまでは「美術館をつくる」「美術展に協賛する」「財団を通じて寄付」といった活動が企業とアートとの付き合い方の定番だったが、業績との兼ね合いで何かと批判されることも多い。そうであれば、アートからは距離を置いたほうが無難、という考え方をする経営者が多数派かもしれない。

しかし、今回のインスパイアのプロジェクトは、企業とアーティストの新しい関わり方を示すものといえる。まとめると以下の3点だ。

1点目は、期間限定の周年イベントとしたこと。今回、インスパイアは美術館をつくるわけではない。表彰するわけでもない。しかも5年で25人50作品という具合に、期間を区切った。

「周年行事を一流のホテルやホールなどを借りて行うとなれば、平気で1000万円を超える支出になる。それはそれで意義はあるものだが、アーティストの卵の作品を購入すれば費用を抑制できるうえ、有形のものとしていつまでも価値が残る」(高槻社長)

2点目は、社員の通常の業務にも絡めていること。インスパイアではこれまでも、社内に華道部を作って池坊のいけばなを学ぶなど、アートと触れる機会を創出してきた。高槻氏個人が購入した高屋永遠、新井文月などの作品もオフィス内に飾られている。今回のプロジェクトによって、アートから得られる刺激を大切にしてきたインスパイアのカルチャーを拡張させることができる。

3点目として、本業と関連がある点も見逃せない。いうまでもないことだが、アーティストの卵が”出世”すれば、委嘱作品の価格が高価になるかもしれない。「計測が難しいものに価値を付ける、という点では企業投資と芸術作品は似ているところがある。そうした価格形成のメカニズムを体感できるので、社員にとっては得がたい経験になると思うのです」(高槻社長)。

アートの世界の新しいエコシステムに?

たしかに、社員にとっては大きな刺激になりそうだ。

なお、1人に100万円を支払うのはやや相場から外れており、「高額すぎる」との批判の声もあるという。そのため「第2期からは価格を引き下げると思います。申し訳ないことではありますが、”第1期は特別”ということで了解してほしい」(高槻社長)とのこと。

インスパイアにインスパイア(刺激)されて、企業が若手に作品制作を委嘱する試みが増えていけば、アートの世界に新しいエコシステムが育つことになりそうだ。

(山田 俊浩 : 東洋経済 記者)

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