「同窓会でマウンティングする人」の賢いかわし方

マウンティングする人は、話を聞いてくれそうな人にしか近寄らない(写真:GrandJete/PIXTA)
「自己中心的な人」にうんざり、「気分屋さん」に振り回される……。あなたの周囲にも、こんな「めんどい人」はいませんか?
「人の顔色ばかりうかがっていたら、自分がしんどいわ」と語る精神科医Tomy氏は、こうした「めんどい人」に悩まされる人は、「どうにかしよう」と考えすぎることで、むしろ深い悩みを抱えることになるといいます。実は人づきあいが苦手だという同氏が提唱する「マウンティング」撃退法とは。
※本稿は、精神科医Tomy氏の著書『精神科医Tomyの人づきあいはテキトーでいいのよ 無理せず「めんどい人」をかわすコツ』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

「マウンティング」の目的は、自尊心を満たすこと

マウンティングする人への対策は、「関わらない、反応をしない、気にしない」の3つが有効よ。それぞれ具体的に見ていきましょうね。

関わらなければモヤモヤすることもないわ

マウンティングする人は、いつでもマウンティングするものよ。おそらくあまり自覚していないのよね。この人と関わっても有益な情報はまず得られないと思っていいわ。

マウンティングする人にとって、他人とのコミュニケーションは、自尊心を満たすために行うもの。だから、いつも同じ話(しかも自慢話)になるの。どうしても関わらざるを得ない場合以外は、関わらなくていいわ。普段から近寄らないようにしましょう。

(出所:『精神科医Tomyの人づきあいはテキトーでいいのよ 無理せず「めんどい人」をかわすコツ』より)

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反応をしなければ相手からノーサンキューよ

マウンティングする人は、話を聞いてくれそうな人にしか近寄らないわ。なので、建前でも「すごいですね」などと、話に興味があるような反応はしないこと。

『ドラえもん』に出てくる「スネ夫」がいい例かもしれないわね。スネ夫の話がたいてい自慢話なのは、周りに聞いてくれる人がいるからよ。うらやましそうに話を聞くのび太の反応が、マウンティングするスネ夫が喜ぶ「報酬」になるの。一方で、うらやましそうにしてくれない人は、そもそもスネ夫の聴衆にはならないし、マウンティングもされないでしょう?

反応のない人に言っても、マウンティングしたい人は自尊心が満たされないわよね。それどころか、冷たい反応をされて傷つくかもしれないわ。だから、あまり反応しないだけでも、アナタの前では言わなくなるはず。

このように、関わらざるを得ない人にマウンティングされる場合は、「反応をしない」方法が有効よ。つまらなさそうな顔をして聞いているだけにするか、心のこもらないあっさりとした反応をしましょう。話題を変えてもいいわ。

また、マウンティング話にリアクションする人にも近寄らないこと。こういう人の側にいると、マウンティング話をアナタもうらやましく聞いているように見えるわよ。

充実している人は「マウンティング」する暇もない

気にしなければ気にならなくなるの

「臆病な犬ほどよくほえる」とはよく言ったもの。マウンティングする人も臆病だから、気にしなければモヤモヤする以上の被害はないわ。そうは言っても、最初は気になるかもしれないけれど、そのうち本当に気にならなくなるものよ。

マウンティングする人は、現状に何らかの不満を抱いているから、安易な方法で周囲に認めてもらいたいと思うの。アテクシも以前はマウンティングする人が苦手だったけれど、自己肯定感が低い人が多いことを知ると、「少しくらいは話を聞いてもいいかな」と思えるようになってきたわ。そこまで達観できたら、マウンティングする人は「敵」じゃないわね。

充実した毎日をすごし、すばらしい人生を歩んでいる人や、周囲から自然と憧れられる人はマウンティングをしないものよ。マウンティングする暇もないし、うらやましく思われることにモチベーションもないの。

マウンティングする人はちっともうらやましくない人だから、アナタがモヤモヤする必要もないのよ。人の幸せをうらやむよりも、自分の幸せに目を向けるほうが、大切なことじゃない?

とはいえ職場では「同僚の成績」が気になることも

マウントの取り合いは仕事の場面でもよくある話だと思うけど、他人の成績が気になる気持ちは、アテクシもよくわかるわ。恥ずかしながら、アテクシも自分の本の売り上げを気にしてしまうの。

いつの間にか「負けたくない相手」ができていることもあるわ。「他人と比べてもしかたがないじゃない。自分に集中よ!」などと言っていても、リアルのアテクシはそんなもの。とはいえ、その気持ちに振り回されないように心がけてはいるけどね。

「他人に負けたくない気持ち」だけで動くと、かえって自分の能力を発揮できなくなるものよ。他人の成績を気にしすぎると、自分のエネルギーを本来使うべきところに使えなくなるし、他人と比べて焦るからうまくいくはずがないわ。「負けず嫌い」がかえって負けやすくなるジレンマに陥るの。スポーツ科学には詳しくないけれど、いわゆる「スランプ」も、「負けたくない焦りが強くて、自分のパフォーマンスが落ちること」が原因の1つではないかしら。

(出所:『精神科医Tomyの人づきあいはテキトーでいいのよ 無理せず「めんどい人」をかわすコツ』より)

では、焦りから逃れるにはどうしたらいいのかしら?

その答えはたった1つ。「自分のベストを尽くす」こと。負けたくないと思ったところで、どうにもならないわ。自分がベストを尽くして、結果を待つだけよ。

他人の成績が気になる時こそ、自分ができることを考える。この切りかえが一番大切よ。アテクシの場合も、半分ネタにして「くやしい! 負けたくない!」などと言うけれど、実際にアテクシがやるべきことは、「よりよい文章を書くこと」だけなのよね。もちろん、いいものを書けば売れるとは限らないけれど、いいものを書くしかないの。

そして、自分の目標がわかれば、目標を達成するために必要なことがわかるわ。たとえばテーマをブラッシュアップするとか、本屋に行って話題のテーマを探るとかね。そんなことをしているうちに、「他人の本の売れ行き」なんてどうでもよくなっているの。

「負けたくない気持ち」が決して悪いものだとは思わないわ。ただ、負けず嫌いをそのままにしておくと、焦りや不安になるでしょう。だから、「負けたくない」というモチベーションの部分だけを残して、行動につなげましょうね。

それでも、他人の成績が気になることはあるわよね。その場合、まずは自分の目標を具体的に決めることから始めましょ。基準を他人にしないことに要注意よ。あくまで自分の実状に沿った数値目標をつくるの。

また、できるだけ期日も明確にするのが望ましいわ。営業の目標を例にすると、「今月は先月より○件多く契約をとる」といった具合かしら。

目標が決まったら、目標を達成するために必要な行動を箇条書きで書き出すの。行動可能な内容を意識しながら、なるべく多く、具体的に書き出してみてね。先ほどの営業の例でいえば、「先輩のやり方を聞く」「週に〇件営業をかける」「得意先○人にあいさつにいく」などといった内容かしら。

その後は、実行するだけよ。行動がモヤモヤを減らすわ。逆に言うと、行動でしかモヤモヤは解消されないのよ。

「兄弟・姉妹の比較」は単なる思い違いかも

こういう話はもちろん家族の中にだってある。何かと優秀な兄弟・姉妹に劣等感を抱いている人、確かにいらっしゃるわよね。1つ考えておくべきは、「本当に比較されていたのか」という問題よ。

もちろん露骨に比較されていることもあるけれど、よくよくお話を聞くと「本当に比較されていたかはっきりしない」ケースが多いの。「愛情たっぷり、いい子に育ってほしい」と願い、比較したり露骨に差をつけたりして育てないようにする親のほうが多いと思うわ。

(出所:『精神科医Tomyの人づきあいはテキトーでいいのよ 無理せず「めんどい人」をかわすコツ』より)

つまり、これは「嫌われているかもしれない」と思う問題とよく似ていて、受け手の感じ方の問題なの。「嫌われているかもしれない」ことに敏感な人は一定数存在するわ。こうした人はあいさつの返事が1回なかったこと、何となく口数が少なかったことなど「ちょっとした行き違い」を大きく解釈してしまいがちね。

あいさつの返事が1回ぐらいなくても、考え事をしていただけかもしれないし、うっかり忘れただけかもしれない。口数が少なかったのも、疲れていただけかもしれないし、喉がちょっと痛くて声が出なかったのかもしれない。相手の事情を考えることなく「嫌われたのかもしれない」とモヤモヤしていないかしら。

この場合、本質は他人に嫌われたことではなく、「嫌われることに敏感で、不安になりがちな自分自身」よ。自分自身の感じ方に目を向けないと問題は解決しないわ。

案の定、「親に比較されてつらかった」という人の親に、(本人の同意を得て)お話をうかがうと、「まさかそんな風に感じていたなんて」とびっくりされるわ。

無意識に親が比較していて、子ども自身がそれを感じとっていた可能性もあるけれど、そうだとしても問題は本人の「劣等感」にあるの。この劣等感に焦点を当てなければ、モヤモヤは解決しないわ。もし、親が本当に比較していても、劣等感がなければ気にも留めないはずよ。

自分の「意識のベクトル」を多方向に向ける

では具体的にどうしたらいいのかしら? 方法を2つご紹介するわね。

1つめは、比較されてつらいと感じている対象を考えてみる方法ね。本当に比較されていたかどうかは気にしなくていいわ。たとえば見た目、スポーツや勉強の出来など、何かあるはずよ。

そして対象がわかったら、その劣等感を解消する方法を検討するの。対象に向きあって克服するのもいいし、得意なことを伸ばすのもいいわね。たとえば、勉強が不得意でも、得意なコミュニケーションをさらに伸ばすなどね。もちろん、両方を組みあわせてもいいと思うわ。たとえば、「苦手な英語を勉強しながら、PTA役員の務めを果たす」とかね。

もう1つは、親との関係性を薄くする方法もあるわ。関係性を「薄くする」という表現は一般的ではないけれど、状況は伝わるかしら。冷たくするのではなく「薄く」する。これは親以外にも目を向けるということよ。親の比較が気になるのは、自分の意識のベクトルが親に向いているということ。親離れできていないと言えるかもしれないわね。

友人や恋人、先輩・後輩など、親以外との関係性を「濃く」すれば、親からどう思われているのかは自然と気にならなくなるの。アテクシも母親に「もっときちんとしなさい」と今も言われるけど、特に気にはならないわ。親以外の周囲との関係でそれなりに「きちんとしている」とわかっているからね。

(精神科医Tomy : 精神科医)

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