「アレルギー」名付けた学者の理論が黙殺された訳

研究室

アレルギーという現象はいまだに多くの謎をはらんでいる(画像:Teerayut0068/PIXTA)

日常生活で誰もが見聞きする「アレルギー」の語。しかし、その意味を説明できる人はどれほどいるだろうか?

『アレルギー:私たちの体は世界の激変についていけない』書影

自身も体調不良の末に呼吸器アレルギーの診断を受け、アレルギー専門医や基礎研究者らへの取材を精力的に行ってきた医療人類学者のテリーサ・マクフェイル博士は、執筆に5年間をかけた著書『アレルギー:私たちの体は世界の激変についていけない』(東洋経済新報社)にこう綴っている。

「私たちが一般に『アレルギー』と称するものは、実はさまざまな病気や体調をひとまとめに突っ込んだ合切袋なのだ(中略)。それらのたった1つの共通点は、(中略)普通なら特に害のない物質(アレルゲン)に対する過敏な免疫反応が関わっていることだ」

マクフェイル博士によれば、アレルギー患者の診察・治療にあたる臨床医、そしてアレルギーのしくみそのものを研究する基礎科学者たちの間でも、何をもってアレルギーとするかは時に意見が分かれるという。

それは、アレルギーという現象がいまだに多くの謎をはらんでいることだけでなく、「アレルギー」という用語そのものの成り立ち、そして、アレルギーの研究が経てきた歴史にも深く関わっている。

元は免疫反応全般を指した「アレルギー」の語

「アレルギー」という用語が生まれたのは、20世紀初頭の1906年。今からわずか百数十年前のことだ。考案したのは、オーストリア・ウイーンの小児科医院で働いていた医師のクレメンス・フォン・ピルケである。

「アレルギー」の語は当初、異質な物質への曝露によって生体に引き起こされるあらゆる変容を指していた。

考案者であるピルケと、その同僚のベラ・シックは、天然痘ワクチン(当時はウマの血清から作られていた)を2回以上接種した子供たちの中に、ワクチンの効果が乏しかったり、接種箇所のかぶれや発熱といった炎症反応を起こしたりする患者がいることに気づいた。

シックとともに体系的な追跡調査を行う中で、ピルケはギリシャ語の「アロス〔異なる、別の〕」と「エルゴン〔仕事、はたらき〕」を組み合わせて「アレルギー」の語を考案した。

当時は免疫の研究そのものが黎明期にあり、血清やワクチンが一部の毒や感染症から体を守るしくみも、そもそも体が感染症にかかるしくみの詳細も、まだほとんどわかっていなかった。そんな中、ピルケは異物によって誘導される体内の変化(アレルギーの語源である「異なるはたらき」)が、病気に対する防御機構の鍵だと考えたのである。

ピルケの理論では、ワクチン接種による免疫獲得というポジティブな変化も、同じワクチンに含まれていた別の物質に対して生じるかぶれや発熱といったネガティブな変化も、異物によって患者の体に誘導される生物学的変容であり、同じ「アレルギー」の語でまとめられていた。

免疫系は病気から体を守るだけでなく、負の反応によって病気を起こすこともある——。そう主張するピルケのアレルギー理論は、免疫研究者の多くからは黙殺された。免疫学という新分野の基礎を作り上げた人々の間では、免疫系は体をひたすら病気から守るものだと考えられていたためである。

だが実際は、ピルケやシックら一部の臨床医たちが観察していたように、免疫系は間違いを犯すこともあった。病気から身を守る効果があるはずの血清やワクチン、あるいは辺りを飛び回る無害な花粉といったものに対して、かぶれ、皮膚の炎症、発熱などの反応を引き起こす患者たちがいたのだ。

時に体を病気にさせてしまうこともある免疫系

一度は黙殺されたピルケのアレルギー理論。しかし、臨床面と実験面での知見が蓄積されていくにつれ、他の医師や科学者らもまた、アレルギーの概念によって説明がつきやすくなる疾患が多いことに気づきはじめた。繰り返される喘息や蕁麻疹、季節性の枯草熱(今でいう花粉症)……。

1906年の提唱当時には反発を受けたアレルギーという現象は、1920年代後半には免疫学の一分野として専門的な研究が行われるようになっていた。

こうしてアレルギーの研究が進むにつれ、研究者らの関心はもっぱら免疫系の過剰反応と負の側面に向けられるようになる。

すると、今度は「アレルギー」の考案者であるピルケ自身がその方向性に反発することとなった。彼の考えでは、異物に対する抵抗力の獲得という正の反応も等しく「アレルギー」であったためだ。ピルケは幾度となく訂正を試みたが、ついには自らこの用語を使うことをやめてしまった。

免疫系による生物学的変化を包括的にとらえようとしたピルケの「アレルギー」の定義は、1940年代までにすっかり打ち捨てられる。

そして、免疫系が自分自身の体の細胞を攻撃してしまう自己免疫疾患(関節リウマチ、全身性エリテマトーデスなど)の発見や、異質な物質を攻撃せずに受け入れる免疫寛容の研究などを通じ、免疫系の複雑かつ多様なしくみを理解しようとする取り組みは、「アレルギー」という用語の枠を越えて進んでいくこととなる。

「肉アレルギー」や「抗生物質アレルギー」も

「アレルギー」の語の考案から1世紀が経ち、「負の免疫反応」としてのアレルギーへの理解は当初よりも深まっている。それとともに、これまで説明のついていなかった体調不良や、存在さえ知られていなかった疾患にもアレルギーのしくみが関わっていることが知られるようになった。

シカなどの大型哺乳類を宿主とするダニに咬まれることで、赤身の肉に含まれる糖分子(α-gal)に対するアレルギー(通称「哺乳類肉アレルギー」)を発症した人々。

開心手術の際に手術台の上でショック状態に陥ったものの、若手医師の機転によってある抗生物質へのアレルギーが判明し、薬剤の切り替えにより無事に手術を終えられた心臓病患者。

こうした事例についても、先述のマクフェイル博士の著書『アレルギー』で詳細に紹介されている。

ピルケやシックの時代に比べ、私たちが日常的に接する「異物」の種類は激増している。急速な都市化とヒト・モノの移動増加、化学製品への依存、気温上昇による花粉飛散量の増加など、その要因は数えきれない。

マクフェイル博士は「各種のアレルギーは、私たちが皆、このますますピリピリとひりついた世界に共にいることの証明だ」と『アレルギー』に綴っている。本書を読めば、変遷を続けるアレルギーとその研究の歴史を確かめることができるだろう。

(坪子 理美 : 英日翻訳者)

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