国語デキない社会人でも書ける「魔法の文章テク」

辻孝宗 西大和学園

(画像:東大カルペ・ディエム作成)
「文章を書くのが苦手」「何を書いていいかわからない」。そんな悩みを抱く人も多いのではないでしょうか。『一度読んだら絶対に忘れない文章術の教科書』を上梓した辻孝宗先生は、毎年東大合格ランキング上位に入る、全国屈指の難関校・西大和学園で国語を教えています。辻先生が文章書くのが苦手な人でも、書けるようになるためのコツをお話しします。

国語の授業を聞いていたのに文章が書けない

みなさんは、文章を書くのが得意ですか?「小中高と国語の授業をしっかり聞いていたにもかかわらず、文章を書くことが苦手だ」という人も多いと思います。

本来国語の授業をしっかりと聞いている人であれば、文章を書くための土台はできているはずです。それなのに文章を書くのが苦手な人が多いのは、おそらく「文章を書く前提となるいちばん重要なこと」を習っていないからだと感じます。

例えば「5分間、初対面の相手に対して自己紹介をしてみてください」と言われたら、みなさんはスムーズに話せるでしょうか。

おそらくは、1分くらい「えーと、〇〇です。出身は〇〇県で、年齢は〇〇歳です。趣味は〇〇で、えーと、えーと」と説明した後で、言葉に詰まってしまうことでしょう。

自己紹介も、作文の1つですよね。自分の頭にある考え・情報を外にアウトプットするという行為です。でも、たった5分、自分というとてもよくわかっているはずの人間の話をするだけで、人は悩んでしまいます。話す内容がよくわかっている話だったとしても、文章でまとめるのは難しいのです。

一方で、自己紹介がすんなりいかなかった人でも、「次の5つの質問に対して答えてください」と言われたら、答えられるのではないでしょうか?

1 あなたの休日の過ごし方は? 直近の長期休みではどんなことをしていましたか?
2 あなたは最近、どんなことに嬉しく感じましたか?
3 あなたが最近、悲しかった出来事は?
4 あなたに影響を与えてくれた作品(小説・漫画・映画・アニメ・ドラマなど)を1つ挙げてください。その作品は、具体的にどんな影響を与えてくれましたか。
5 あなたは友人からどんな人物であると言われることがありますか?

多くの人にとって、この5つの質問で答えられないものはほとんどないはずです。

5つの質問は自己紹介にもなる

この5つの質問に対する答えは、そっくりそのまま、自己紹介になると思いませんか?

「私はゴールデンウィークに友達とゴルフをして過ごしました。ゴルフをするのが趣味なのですが、あまり時間が取れないことが多いです。だからこそやっとゴルフに行けて、とても充実した時間を過ごせました。

最近嬉しかったのは、昨年末に会社の事業部が目標を超えたことで、悲しかったのは最近彼女にフラれたことです。好きな作品は坂口安吾の『堕落論』です。落ち込んだ出来事があったら、それを読んで元気をもらっています。友人からは『あまり自分からは話さないけれど、仲よくなると饒舌になるタイプ』と言われているので、ぜひ積極的に話しかけてほしいです」

これだけでもう、自己紹介の文章は完成ですよね。質問に対する回答をしていただけなのに、さっきはうまくできなかった自己紹介がすんなりできそうです。

これは、いろんな場面でも応用できます。

「こういうことに対して話をしてください! さあどうぞ! 」と言われると「ええっ? 何を言えばいいんだ?」と悩んでしまうことでしょう。でも、「インタビューをさせてください! これってなんでなんですか?」と質問をされたら、「それは、こういうことですよ」と答えることは、容易なのではないでしょうか。

インタビューで質問されたら答えられるのに、文章を書けと言われたら難しい。これは万人に共通する要素の1つであると言えます。

なぜ「インタビューで質問されたら答えられるのに、文章を書けと言われたら難しい」のでしょうか?

文章を書くのは「問い」と「答え」を作る行為

この問いは、そもそもの前提が間違っています。「文章を作る」という行為は、そもそも、「問い」と「その答え」を作るための行為なのです。

例えば、読書感想文を書くのは、「1冊の本に対して、あなたはどんな感想を持ちましたか?」という質問に対する答えを作るという行為にほかなりませんよね。

先ほどの自己紹介は「あなたのことを詳しく教えてください! あなたはどんな人ですか?」という質問に対する答えです。

今回私が執筆した本は「どうすれば文章が書けるようになるのか?」という問いに対する答えとして作られていますし、ネットやメディア・新聞のニュースだって「先週どんな出来事が起こったのか? それはなぜ起こってしまったのか?」という問いに対する答えを書いているだけです。

評論文は「自分はこう思う」と主張したあとに、「それはなぜなのか?」と問いが続く形で、文章が構成されているケースがほとんどです。

コミュニケーション・会話も1つの「文章作り」だと定義できるでしょう。

相手の話に対して「なんで?」と聞くことを一切してはいけないし、「どうして?」と尋ねることもできない。そんな状況で、相手とコミュニケーションを取ることはできないでしょう。

「聞いてよ、こんなことがあったんだよ!」と一方的に自分の話をしているときでさえ、その裏側には「こんなことがあったんだよ、どう思う?」という問いが存在していますよね。問いはコミュニケーションの基本なのです。

小説に関しても同じことが言えます。ミステリー小説は作中でなんらかの事件が起こり、その事件の真相がだんだんと明らかになっていきますよね。これは、事件という「問い」があって、その答えが作中で明らかになっていくというものです。

「その事件の犯人はなぜそんなことをしたのか? どうやってその事件を引き起こしたのか? 誰がその事件の犯人なのか? 」という問いの答えが、探偵役によって明らかになります。恋愛小説では帯に「この恋の行方は?」なんて書いてあることがありますが、やっぱりこれも「問い」ですよね。

童話や文学作品であっても同じです。童話「北風と太陽」は、旅人に対して北風が強い風で強引に服を脱がせようとするも失敗し、太陽が暖かく照らすことで旅人が自分から服を脱いでくれるという作品です。

これも「相手に自分の主張を受け入れてもらうためには、どうすればいいのか?」という問いに対する答えを教えてくれるものだったと言えます。

会話やさまざまな文章の中に「問い」はある

日常会話や、評論、新聞、小説、漫画、すべての中のどこかに「質問」が存在するのです。「問い」があって、会話や文章の中に「答え」も示されています。

つまり、文章を書きたいと思ったら「問い」を考える必要があるのです。「どうやって自己紹介しよう?」と考えているうちは、文章は書けません。でも、「自己紹介をするうえで、相手が気になるであろう質問を考えてみよう」と考えると、文章が書けるようになります。

「この本について話してください」と言われても文章は書けませんが、「この本のどこが面白かったですか? それはなぜですか?」と聞かれたら答えることができるようになるはずです。「問い」を明確にすれば、文章が書けるようになるはずなのです。

学校の国語の授業というのは実は、この「問い」の仕方を学んでいたのだと言えます。いろんな文章を読んで、「どんな問いがあって、文章が展開されているのか」を知るための授業が行われています。

だからこそ、「この作者は何を言いたいのか?」「『〜〜〜』とあるが、それはなぜか答えなさい」というような国語の試験が課されていたのです。国語の授業は、文章を作るうえでいちばん重要な『問いの技術』を磨くための訓練だったのです。

国語の授業は決して無駄ではない

そのことが理解されていないがために、「国語の授業を真面目に聞いていたのに文章が書けるようにならなかった」と思っている人が多いのは非常に悲しいことです。決して国語の授業は無駄なものではないのです。

一方で「問いの技術を磨けば文章が書けるようになる」といういちばん大事なメッセージが抜け落ちているために、多くの人が無駄だと感じてしまっているのだと思います。今からでも遅くありません。このことを理解して、さまざまな文章に触れてみていただければと思います。

(辻 孝宗 : 西大和学園中学校・高等学校教諭)

ジャンルで探す