投資家も誤解、安易な配当増が企業をダメにする

(写真:東洋経済オンライン編集部)

2014年8月に公表された“伊藤レポート”で「ROE8%以上」という目標が唱えられてからちょうど10年。今回は、日本企業がこの10年間取り組んできたROE経営=株主重視経営を振り返りましょう。

株主重視の経営が浸透

2013年度の日本企業のROEは8.4%(TOPIX構成銘柄のうち402社の平均、経済産業省調査)でした。2024年3月期決算企業は9.5%(金融を除く2021社の平均、第一生命経済研究所調査)です。ベースが少し違いますが、この10年で日本企業のROEは約1%上昇しました。

上昇幅はわずか1%ですし、15%をゆうに超えるアメリカ企業との差は歴然としています。ただ、この10年間の日本企業の改革に及第点を与える市場関係者が多いようです。株主還元(配当・自己株買い)の強化など株主重視経営が浸透し、株価が上向いたからです。

日経平均は、2014年8月末1万5424円から2024年8月末3万8647円へと、2.5倍に跳ね上がりました。異次元の金融緩和の影響が大きいものの、株主重視経営が投資家の期待を高め、株価を押し上げたことも間違いないでしょう。

では、こうした株主重視経営を目指した改革で、日本企業はいい方向に進んでいるのでしょうか。筆者は、まったくそう思いません。

日本企業のこの10年間の「改革」について、もう少し踏み込んで振り返りましょう。

「ROE=当期純利益÷純資産」で、ROEを高めるには、「当期純利益を増やす」か、「純資産(=自己資本)を減らす」必要があります(あるいは両方)。具体的には、企業には以下3つの主要なアクションがあります。
 
①新事業・新商品の創造
②リストラ・事業再編
③株主還元

個々の企業によってまちまちですが、全体で見ると、日本企業が最も意欲的に取り組んだのが「③株主還元」、次いでかなり取り組んだのが「②リストラ・事業再編」、取り組みが足りなかったのが「①新事業・新商品の創造」です。「①<②<③」です。

かつて日本企業は「①新事業・新商品の創造」に熱心で、高度成長期には多くの革新的な工業製品を世に送り出しました。しかし、近年はデジタル化の波に乗り遅れて、世界を席巻する新事業・新商品はほとんど見かけません。

その一方で、日本企業は「③株主還元」に消極的でした。しかし、2023年度のTOPIX構成企業の配当総額は約19兆円で、10年前の約8兆円と比べて2倍以上に増加しています。自己株買いも、2023年度の日本企業の総額は約9兆7000億円(取得枠ベース)で、過去最高を更新しています。

株主還元は簡単にできる

このように「①<②<③」となったのは、難易度の違いによるものです。「①新事業・新商品の創造」は、イノベーションを起こし、世界のライバルに打ち勝つことを意味し、容易ではありません。一方、「③株主還元」は株主総会で決議するだけなので、実に簡単です。

つまり、誰でも簡単にできる「③株主還元」に注力し、難易度が高い「①新事業・新商品の創造」を避けたというのが、この10年間の日本企業の「改革」の中身だったのです。

ここで、株主・投資家からは、「新事業を造ろうが、配当を増やそうが、結果的にROEが改善し、株価が上がればいいのではないか」という声が聞こえてきそうです。

しかし、配当など株主還元の強化は、必ずしも株主にとっていいことではありません。むしろ、マイナスが大きいのが真実です。これは、日本の投資家の多くが誤解している点なので、説明しましょう。

株主還元は株主にプラスとは限らない

まず、純粋な理論の世界から。税金や取引コストが存在しない完全市場では、配当の多寡は株主にとって損も得もありません(ノーベル賞を受賞したモジリアニとミラーのMM命題)。当期純利益はすべて株主のものなので、それを今すぐ配当しようが、内部留保して将来配当しようが、支払う時期の違いにすぎないからです。

では、税金や取引コストが存在する現実の世界ではどうでしょう。配当が出ると大喜びする個人投資家が多いと思いますが、機関投資家は困惑します。配当が振り込まれる預金口座は利息がほぼゼロなので、どこかに再投資しなければいけないからです。

日本では、受け取った配当に所得税が課せられます。投資家は所得税が控除された配当で、次の投資先を探すわけです。

もしもその企業が成長しているなら、社内に旺盛な資金需要があります。株主にとっては、配当を受け取ってその資金を再びその企業に投資するよりも、企業が配当せず、内部留保した資金をそのまま活用して株価を上昇させてもらったほうが効率的です。

もしもその企業の成長がストップし、衰退に向かうなら、内部留保した株主の持ち分を赤字で食いつぶしてしまうでしょう。株主にとっては、そうなる前に配当を引き出し、別の成長企業に投資したほうが効率的です。

つまり、現実の世界では、成長企業は配当をしない、衰退企業は配当をする、というのが正しい配当政策です。成長企業において配当は株主にとってマイナスで、衰退企業においてのみ配当は有効です。

「そんなバカな」と思うかもしれませんが、アメリカの成長企業は、無配が一般的です。マイクロソフトは、1975年の創業から長く無配でしたが、成長に陰りが出た2003年から配当を開始しています。

日本でも、成長企業が多かった1980年代までは「額面配当」が主流で低配当でしたが、近年、衰退企業が増えるにしたがって配当が増えています。近年の配当の増加は、日本企業の衰退の象徴と言えます。

ROE8%目標が日本企業をダメにした

ここで検証が必要なのは、伊藤レポートが掲げた「ROE8%」が「持続的成長への競争力とインセンティブ」(レポートの正式名)として機能するかどうかです。

日本では目新しいROEですが、アメリカでは1919年(!)に化学大手デュポンがROEに基づく経営管理を確立し、1980年代からその弊害がたびたび指摘されています。事業に必要な資金を増資せずに借入金で調達すると、ROEは向上するものの倒産の危険性が高まるという問題です。

レポートを取りまとめた伊藤邦雄・一橋大学教授(当時)らは、こうした弊害を熟知していたはずです。にもかかわらずROEを目標に掲げたのは、成長企業は「①新事業・新商品の創造」に挑戦する、衰退企業は「③株主還元」を強化する、というアクションを想定したのでしょう。

しかし、「易きに流れる」というのがこの世の常。多くの日本企業が簡単な「③株主還元」には取り組みましたが、困難な「①新事業・新商品の創造」には挑戦しませんでした。結果として日本企業が世界市場での存在感を急速に失ったのは、周知の通りです。

伊藤教授らの想定は、あまりにも楽観的でした。厳しい見方をすると、伊藤レポートの「ROE8%」目標が日本企業をダメにした、と言えるでしょう。

では、日本企業に「①新事業・新商品の創造」を促すためには、どうすればいいのでしょうか。経営数値目標に関しては、ROEに加えてCAGR(Compound Annual Growth Rate)を掲げるべきです。

CAGRは、売上高の複利ベースの年成長率です。企業にとってまず大切なのは、儲けること(→ROE)、次に大切なのは、一過性の儲けではなく持続的に成長することです(→CAGR)。

既存の事業・商品を改善するだけでは、世界の企業に伍して高いCAGRを達成することはできません。イノベーティブな事業・商品を生み出す必要があります。CAGRを目標に掲げることで、日本企業はイノベーションに挑戦するようになるでしょう。

ROE重視経営で日経平均が上がって「よかった、よかった」と安堵している場合ではありません。ROE経営の問題点を直視し、次代の成長に向けた布石を打つ必要があるのです。

(日沖 健 : 経営コンサルタント)

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