ヨシタケシンスケの絵本の「映像化できない」魅力

アイデア

アイデアが多ければ、たくさんの発想や視点によって世界を変えることができます(写真:Melpomene/PIXTA)
大学4年生のときに自己PRウェブサイト「世界一即戦力な男」を作り、インターネット上で話題となった菊池良さん。その後、会社員時代を経て専業作家として独立、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』は累計17万部の大ヒットを記録しました。
そんな菊池さんの新著『えほん思考』は、古今東西の名作絵本から暮らしを豊かに・ビジネスを楽しくする26の思考術・発想法を抽出し紹介しています。
同書から一部を抜粋し、3回にわたってお届けします。

アイデアが多くて損することはない

アイデアはあらゆることから生まれる。
──アルフレッド・ヒッチコック(映画監督)
ひとつのアイデアに賭けるのもいいですが、アイデアが多くて損することはありません。
むしろ、たくさんの発想や視点によって世界を変えることができます。

ヨシタケシンスケ『りんごかもしれない』ブロンズ新社

(画像:『りんごかもしれない』より)

『りんごかもしれない』では、学校から帰ってきた男の子がテーブルのうえにりんごが置いてあることに気がつきます。

しかし、男の子は「もしかしたら これは りんごじゃないのかもしれない」と考え出します。見た目がりんごに見えるだけで、まったく別のものかもしれないというわけです。

そこから男の子の思考がめぐりはじめます。りんごではなくて、大きなさくらんぼかもしれない。りんごではなくて、丸まった赤い魚かもしれない。りんごではなくて、恐竜かなにかの卵かもしれない──男の子はさまざまな可能性を検討しはじめるのです。

『りんごかもしれない』の紹介文には、この絵本のことを「発想絵本」としています。まさにさまざまな発想を楽しめる絵本になっています。それはまるで大喜利のようです。「りんご」というお題に対して、ひたすら回答する大喜利です。

この絵本のストーリーは、「男の子がりんごを見つけて」「考える」だけです。ストーリーらしいストーリーはありません。しかし、たくさんの発想が積み上げられることで、独特のダイナミズムを生んでいます。発想のミルフィーユです。

おそらくこの絵本は映像化できないでしょう。映画やアニメといったほかのメディアでは成り立たないストーリーだからです。けれども、絵本では成り立つのです。絵本はアイデアのコアだけで成り立つ稀有なメディアなのです。

たくさんの発想が積み重なったこの絵本によって、読者はさまざまな可能性に気がつきます。発想次第で、どこまでも想像力を拡張できることを知ります。そして、たくさんの発想を持つことで広い視野を持てることがわかるのです。

ヨシタケシンスケは1973年生まれの日本の絵本作家。筑波大学の芸術専門学群に入学し、在学中に第4回アート・アーティスト・オーディションで優秀賞、一般審査賞、カールスモーキー石井賞を受賞しました。

1998年に筑波大学大学院芸術研究科総合造形コースを修了後、ゲーム会社に就職しましたが半年で退職。アーティスト数名で共同アトリエを運営し、広告美術で立体造形の仕事をしながら定期的に個展を開いていました。自主制作したイラスト集が編集者の目に止まり、イラストレーターとして活動をはじめます。

2003年にはスケッチ集『しかもフタが無い』を出版しました。その10年後の2013年に、初めての絵本『りんごかもしれない』を出版します。この絵本で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位などを受賞し、『もう ぬげない』ではボローニャ・ラガッツィ賞特別賞、『つまんない つまんない』ではニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞を受賞しています。2022年には絵本作家10周年を記念した展覧会も開かれました。絵本、イラスト、エッセイなどの分野で活躍しています。

(画像:『えほん思考』より)

実験を繰り返し、新たな発想を絵に取り込んだピカソ

事例 たくさんの発想で芸術を変えたパブロ・ピカソ

たくさんの発想を持つことは、それだけでインパクトになります。

パブロ・ピカソが代表作である「泣く女」を描き上げたのは1937年。彼が56歳のときでした。

この絵には、タイトルから類推するに女性が描かれていますが、一見すると奇妙です。どうやら花飾りのついた帽子を被り、黒いドレスを着た女性が、ハンカチを嚙み締めていることはわかります。

顔らしいパーツは描かれていますが、全体を把握しようとすると、どこを見ても違和感があります。横顔にも、ななめから見たようにも、正面のようにも見えます。この絵は1枚の平面の絵のなかに、複数の視点を入れ込んでいるのです。平面でありながら多角的であり、見るものを驚かせます。

ピカソはこの絵を「キュビスム」という手法で描いています。おそらくピカソのなかで一番有名な作風でしょう。複数の視点を1枚の絵に取り入れた描き方は、美術界に衝撃をもたらしました。しかし、ピカソの作風はそれだけに留まっていません。つぎつぎと実験を繰り返し、新たな発想を絵に取り込む芸術家でした。

ピカソは「変貌の画家」と呼ばれています。目まぐるしく作風を変えましたが、決してでたらめではなく、そのどれもがたしかなコンセプトに裏打ちされていました。

生涯にわたって、常に作風を変えていった

ピカソは1881年、スペインで生まれました。父親は美術学校の教師で、ピカソも幼いころから絵を描くことを覚えました。バルセロナにある美術学校を卒業したあと、1900年に初めての個展を開きます。その後、活動の拠点をフランスへ移しました。

この頃、ピカソの作風は「泣く女」とはまったく違います。「青の時代」と呼ばれ、青色を基調とした色彩で市井に生きる人々のすがたを描きました。ひとつの視点から描いていて、人物も写実的です。冷たい雰囲気をたずさえています。しかし、オランダ旅行をきっかけに一転して暖色的な色彩の作品を描くようになり、それは「バラ色の時代」と呼ばれています。

えほん思考

1906年ごろからピカソの関心はアフリカ彫刻や古代イベリアの彫刻に向かい、プリミティヴィズムを希求しはじめます。「アヴィニョンの娘たち」はこの時代の代表的な作品です。伝統的な描き方を捨てて人物を描いています。特にその顔は複数の画風によって描き分けられています。

その後、イタリアのローマを訪れたことをきっかけに「新古典主義の時代」が訪れます。古典的な技法に回帰したのです。このように新奇性に囚われない性格もピカソの革新的なところでした。

そのつぎは「メタモルフォーゼの時代」と呼ばれ、シュルレアリスムの作家たちと交流したことが作風に変化をもたらしました。大胆なデフォルメを取り入れ、スペイン内戦の空爆を主題にした「ゲルニカ」に結実しています。ピカソはスペインの惨禍を象徴的な手法で描き、人類の悲劇を作品に刻みました。

このようにキュビスムはピカソの作風の一側面でしかありません。生涯にわたって作品を作りつづけたピカソは、常に作風を変えていきました。さらに絵画だけでなく、彫刻や陶芸、舞台美術なども制作しました。作品数は14万点を超えると言われています。

ピカソが生きた時代は、芸術家の役割が変わっていった時代とちょうど重なります。権威を持った人物をパトロンにし、肖像画や宗教画を描く時代が終わり、芸術家には新たな役割が求められていました。

また、カメラの登場によって遠近法を駆使した写実的な描き方も、その価値が揺らいでいました。さらには20世紀に入ると2度の世界大戦があり、文明の発展に暗い影を落としました。

ピカソはひとつの発想にとどまらず、技法も主題もどんどん変えました。「20世紀最大の芸術家」とも呼ばれる理由は、その多彩な発想が源泉にあるのです。2023年11月8日、ピカソの「腕時計の女」がオークションに出され、210億円で落札されました。

まとめ
➔ヨシタケシンスケの絵本はたくさんの発想を積み上げている
➔ピカソは新しい発想を生涯試しつづけた
➔たくさんの発想自体がブレイクスルーを生み出す
考えてみよう
 雨をしのぐ方法を100パターン考えてみよう
 最後に話した人のあだ名をできるだけたくさん考えよう
 まだ誰も試していないサンドイッチの具材を考えよう

(菊池 良 : フリーライター)

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