日本の富裕層が関心を寄せる「全寮制学校」の全貌

オックスフォード大学

日本の教育界に革新を起こしているフェイフェイ・フウ氏に、英国式高等教育や全寮制学校について話を聞いた(写真:icomini/PIXTA)
現在、学校教育の世界だけでなくビジネス社会においても「教養」がブームとなっている。そもそも「教養」とは何か。なぜ「教養」が必要なのか。
前回に続き、3万5000部のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏が、都内に複数のインターナショナルスクールを開設し、昨年、Rugby School Japanを創設するなど、日本の教育界に革新を起こしているフェイフェイ・フウ氏に、英国式高等教育や全寮制学校について話を聞いた。

堀内勉(以下、堀内):オックスフォード大学の教育についてお聞きしたいと思います。イギリスで高校から大学に進学することによって生じる一番の変化は何でしょうか。それから、日本とイギリスの大学を比較して、何が大きく違っていると思いますか。

フェイフェイ・フウ(以下、フェイフェイ):イギリスの中等教育は、ラグビー校をはじめ、パブリックスクールであるハロー校やイートン校、ウィンチェスター校など、もともと人格形成をうたっていて、中世においてはここを卒業することがゴールというか、成人するという意味合いがあります。日本で言えば、かつての元服のようなイメージかもしれません。

そこから仕事に就く人もいますし、特定分野の学問を究めたいという人は大学に進むのですが、全員が大学へ行く前提ではなくて、あくまでパブリックスクールを卒業することがいったんゴールとして設定されています。もちろん、今ではほとんどの英国の生徒たちも大学進学を目指しますが、元々はそれが基本的な考え方としてあったということです。

したがって自分のやりたいことを模索することはかなり早い段階で行っていて、大学は自分が選択したものをとことん突き詰めるというイメージです。それに対して日本の大学生は、大学を激しい受験後のモラトリアム期間として過ごしている人も多い印象があります。

オックスフォードと日本の大学の違い

私は渡英前は早稲田大学で学んでおりましたが、学生の数では比較的中規模なオックスフォードと大規模の早稲田では「学ぶ」ことに対する違いがいろいろありました。早稲田での講義は100人、200人が入る大講堂で行われることが多く、学生はそれを聞くことで知識の伝達を受けます。つまり、主体的なラーニングというより受け身的なトレーニングの体験に近いです。

一方、オックスフォードでは大教室での授業はあまりなく、何をするかというと週に一度、自身の教授――これは世界的にその分野の権威の学者です――に会いに行ってチュートリアルを受け、先生から15冊〜20冊くらいのリーディングリストを指定されます。それらを読んで、翌週までに与えられた課題で論文を1本書き上げるのです。

その論文を翌週までに提出して、その先生と議論を深める。そして、また次のリーディングリストを渡される。基本的にはこれを繰り返すことで「学び」を得ていきます。これは非常に密度の濃い勉強法でもありますし、自分の研究を追求している当事者意識が高く、また1週間でインプットからソリューションを出すところまでやりきるというところが個人的に大きな経験となりました。

ですから、オックスフォードの教育は、日本の大学のように、大学という大きな装置の中に部品のように自分がその一部として存在するというよりは、あくまで1対1の人間関係が積み重なっていく場所という印象があります。

堀内:ありがとうございます。次にアメリカの大学と日本の大学、そしてイギリスの大学の比較について、おうかがいしたいと思います。先日、東京大学の「カレッジ・オブ・デザイン」について東大総長である藤井輝夫氏にお話をうかがいました。

昨年、東北大学が「国際卓越研究大学」に認定されたのですが、東京大学はこの認定を受けることができませんでした。こうしたこともあって、今年の目玉として、すべての授業を英語で行う文理融合型の5年間一貫の「カレッジ・オブ・デザイン(仮称)」を2027年の秋から始めるということを打ち出しました。

また藤井総長自身が千葉の柏の葉にあるラグビースクールジャパンの視察に行かれて、やはりカレッジ、つまり学寮をつくるべきだという印象を強く持たれたようです。すべての授業を英語で行い、5年間で修士まで取れますといって海外から優秀な学生を集めようというのですから、本郷界隈のアパートを自分で見つけてくださいというわけにはいかないと思います。

また、学寮というのは単なる住まいではなく、大学の競争力にとってきわめて重要な意味を持っているので、欠かせないだろうと思います。

フェイフェイ:その通りだと思います。

堀内:東大をはじめとして、日本の大学が競争力というときに、その重心はどうしても学業のほうにあって、キャンパス運営などはあまり手が回らないのですね。つまり、学生の生活や学ぶ環境が重要であるという認識が希薄なのだと思います。

そうしたことも含めて、日本の大学とイギリスの大学の違い、それからもう一つはイギリスの大学とアメリカの大学の違いについて、フェイフェイが感じていることを聞かせていただきたいのですが。

昨年、開校したRugby School Japan(写真:CEA)

伝統的なハウスシステム

フェイフェイ:大学の話の前に、伝統的なカレッジについてお話させてください。実はラグビー校とオックスフォードが共通しているのが寮の制度なんですね。これはハウスシステムと言われています。

オックスフォードでは、30以上ものカレッジと呼ばれる寮があり、ラグビー校にもハウスという名称で15の寮があります。もともとナレッジ・トランスファー(知識の伝達)という意味では、ラグビー校はラテン語をはじめ基礎科目の知識を先生が生徒に授けるという、知識を学ぶための学校でした。

それが有名になって、ロンドンなど遠方からも多くの家族が子弟をラグビー校に送るようになったときに、その近隣に住んでいた地元の家庭に自分の子どもを預け始めたというのが、ハウスの起源です。当初は、学校は学校、寮は寮という別々の形をとっていました。

しかし、19世紀の初頭に、イギリスの教育界では伝説的な存在とも言えるトーマス・アーノルドという人物が校長としてラグビー校にやってきて、そもそも全人教育には知識だけではなく、紳士のふるまいと魂の救済が必要だと言い始めたんですね。

生活の場にも多くの学びがあります。寮は寮でバラバラに勝手に運営していてもダメだということを言いました。それで学校が主体となって、15の寮を合併し、そこに教員を住み込ませたのです。

ボーディングスクールの利点

千葉県の柏市にわれわれがつくったラグビースクールジャパンも、1つの寮に先生らが3組と生徒65名が生活を共にしています。そこには総責任者のハウスマスターとチューターがいます。チューターというのは家庭教師のような存在ですね。生徒たちにとっては普段勉強も教えてくれるし、1人ひとりの学習状況をクリアに把握しその子の学び方の特性も理解している若手の先生です。

それからメイトロンという身のまわりのことを世話をしてくれたり心配事の相談にのってくれたり、清掃や洗濯など寮の実務的な運営を受け持っているスタッフがいます。ワンストップでその子の全部が理解できて、漏れがありません。

日本の子どもたちの多くは、日中学校にいて、夕方は塾や習い事に行って家に帰る。つまり、子どもたちは1日のなかで家庭や学校、塾など、複数の場所に身を置くことになります。しかし学校の先生は塾で何が起きているかわからないし、塾の先生は家庭で何が起きているかわかりません。そうすると、子どもが隙間に落ちてしまうケースが出てきてしまいます。

それがボーディングスクールであれば、何か問題があったときでもその子に関してわからない部分は少ないですし、同じ場所で生活を共にしているので話し合う時間も持てます。そういった全方位的なサポートが得られるというのがボーディングスクールのよさだと思っています。

東大の藤井総長にはお話しさせていただいたことですが、日本の頂点というか象徴である東大が、世界から人を集めようといったときに、少なくとも1年目はハウスまたはカレッジのような寮に入って苦楽を共にするという仕組みをつくるべきだと思います。

海外から日本に来ていきなりアパート1人暮らしというのも残念ですし、本当の意味でコミュニティーが形成されていない寝泊まりだけの学生寮に入っても、東京大学で学ぶことの本当のよさがおそらく伝わらないでしょう。強固な人間関係も形成されないのではという気がします。

堀内:アメリカの大学教育についてうかがいたいのですが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書いたマックス・ウェーバーは、資本主義の精神はプロテスタンティズムの倫理から生まれたのだと言いました。その資本主義の精神というのは、結局アメリカに渡ったら一種のスポーツのようなものになってしまったと言っています。単純にお金が儲かるか、儲からないかということを競い合うスポーツのようだと。

私はアメリカの教育には優れたところもたくさんある一方で、どうしても資本主義的な匂いが強すぎるなと感じています。リベラルアーツ教育だとかいろいろといいことを言うのですが、最後のところでありとあらゆる問題をお金で解決しようという傾向が強すぎるように思います。

資本主義化したアメリカ教育の限界

私は、資本主義の究極の問いというのは、「それって儲かるの?」ということだと思っているのですが、アメリカの教育も結局のところ、かなりの部分が「それって儲かるの?」という問いに収斂してしまっているのではないでしょうか。

フェイフェイ:そうですね。「儲かるの?」「儲からないの?」という質問は、愚直でかわいい気もしますけど、その質問をイギリス王室やオールドワールドの社交界でしたら、もう次の晩餐会には声がかからないでしょうね(笑)。

堀内:合目的的な精神というのはアメリカの発展の原動力になってきました。しかし、これが行き過ぎれば手段が目的になってしまう恐れがあります。アメリカの影響で、最近の日本もアメリカに似た傾向が出てきていますが、目的に向かって一直線に突き進みすぎるというところが強みでもあり、弱みでもあるのかなと。

フェイフェイ:クーベルタンという近代オリンピックの提唱者は、実はラグビー校を視察したことで近代オリンピックの創設を志したということで、いまでもラグビー校にはその石碑が建っています。

オリンピックはご存じのようにプロは参加できません。アマチュアの精神というのはまさに堀内さんが指摘されたところで、プロはどうしてもゲームの手段が目的になることがある。ですから、彼らはラグビーフットボールのプロ化には最後まで反対していました。

スポーツのためのスポーツとか、ゲームのためのゲーム、お金のためのお金というのは、基本的に紳士的な精神とは反すると考えられるのです。

堀内:そうした日本の教育、イギリスやアメリカにおける教育に対する問題意識を受けて、いま、フェイフェイが北海道のニセコで展開しようとしているインターナショナルスクールに関してお話をうかがいたいと思います。どういったコンセプトで新たな学校をつくろうとしているのでしょうか。

フェイフェイ:私が目指している教育は、国民国家や大企業等、決められた枠組みの中で活躍する人材ではなくて、一人の人間から世界が変わってしまうような存在を排出する教育です。それは必ずしも政治やビジネスのリーダーだけでなく、リーダーにならずとも哲学者、音楽家、小説家でも良いと思っています。もちろん今、世界は国際政治や資本主義の仕組みで運営されていますが、時々、歴史が変わるような人物が各界に登場します。そんなロマンチックな人間の力を信じています。

そういう意味で、インターナショナルスクールは、ひとつの言語と文化の縛りから子どもたちを解放し、彼ら彼女らがまさにワールドステージで活躍するひとつの鍵です。

ただ、それだけではまだ足りないないのです。気候変動やAI、エネルギー、文明の地球外展開など、人類的なテーマを考えるときには、理性だけでなく感性で、自然界のなかに身を置いて悠久の時の流れを感じて自然への敬愛とか畏怖を身をもって知ることが重要だということです。これはいつの時代もそうで、富や知の一極集中、中央化が進めば進むほど北海道のような自然、辺境=余白のなかでの情操教育が必ず必要になると思っています。

2022年12月、CEAは北海道共和町と共にニセコ連邦ワイス地区において国際教育キャンパス構想を発表している(写真:CEA)

チャールズ国王から学んだ「自然と人間」の考え方

未知の課題と向き合える深い人間力を持った自由な発想ができる子どもや若者たちを生むためには、社会という既存の仕組みから離れ、北海道のような大自然のキャンパスで学ぶ必要があると思っています。そこには空間的、時間的な余白があるからです。

これは実はチャールズ国王から譲り受けた考え方です。私がお仕えしていたときにチャールズ皇太子が何度もおっしゃっていたことは、さまざまな社会問題の源泉は、人間が自然とのコンタクトを失ったところから始まっているということを言われておりました。外なる自然と内なる自然と向き合う場が北海道なのです。

もちろん、もっと現世的な意味では、アジアやヨーロッパの子どもたちが、ニセコで同じキャンパスに集まることによって、彼らの間に友情関係も生まれて、将来自分の持ち場に戻ったときに、多様なネットワークを通じて、さまざまな課題解決ができるだろうということもあります。結局、人は誰と共に生きるのかが大切です。

ニセコ連峰エリアはスキーや観光においては世界屈指の知名度があり、その部分では先行した土台があるので、それに加えて、教育の面で新たな発信をしていきたい。ラグビー校グループ内の施設だけではなくて、社会人教育や生涯教育が融合し、さまざまな世代が学び、暮らし、楽しめる「キャンパス・タウン」をつくる構想です。世界から注目されているウィンタースポーツだけではなく、学びとウェルネスが両立する街としても、北海道の自然に新たな光を当てられたらと思っています。

堀内:いろいろお話をいただきありがとうございました。フェイフェイの崇高な理念が実現することを期待しています。

(フェイフェイ フウ : CEAグループ代表、Rugby School Japan 創設者)
( 堀内 勉 : 多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長 )

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