カナダが"アジア系と共生する道"を選んだ経緯

教養としての世界の政党

カナダではフランス語は英語と並ぶ公用語で、公的機関は英語とフランス語によるアクセスを保障しなければなりません(写真:artemlaktikov/PIXTA)
アメリカの隣国でありながら、アメリカとは全く異なる文化と風土を持つカナダ。知っているようで意外と知らないカナダという国を、元外交官として、そして個人として世界97カ国を見てきた山中俊之氏が、地政学に「政党」という切り口をプラスして分析します。

※本稿は山中俊之著『教養としての世界の政党』から一部抜粋・再構成したものです。

アメリカの隣なのに穏健でリベラルな風土

北米でG7のメンバーでもあるカナダはアメリカと隣接しており、同じ連邦制の国ですが、個人主義で自由競争のアメリカとは違う風土の国です。

歴史的には、先住民が住む土地に英国とフランスが入植し、フランスとの戦いに勝った英国が主に植民地化。現在はフランス語圏も抱えるイギリス連邦の「多文化共生の国」として独自の道を歩んでいます。英国と同じく立憲君主制で国家元首は英国国王です。

実際の政治体制は上院と下院の二院による議院内閣制です。選挙は単純小選挙区で、下院選挙で最多を取った政党が与党となり、一般的にその党のトップが首相となります。

本稿執筆時点での与党はトルドー首相の自由党。伝統的に、リベラルな自由党と保守党が競い合いつつ、全体的には「穏健でリベラル」というのが特徴です。2つの主要政党は競い合いながらも双方が中道寄りなので、どちらが政権を取っても極端な政策とはなりません。

……というのが教科書的な説明ですが、ビジネスパーソンの押さえておきたいポイントは別にあります。「多文化共生」と「地域色」です。どのようなものか、さっそく見ていきましょう。

『教養としての世界の政党』P.121より

文化共生の土壌の大きな要因は、ケベック州を中心としたフランス文化の存在にある――これが私の仮説その1です。

フランス語は英語と並ぶ公用語で、公的機関は英語とフランス語によるアクセスを保障しなければなりません。2つの言語が併存していることは、いろいろな文化を取り入れていく大きなきっかけになります。

さらにフランス文化と切り離せないのがカトリック。プロテスタントの多い英国の影響も大きいのですが、フランスの影響があるからこそ、アメリカのような「プロテスタントの国です!」という主張にはならず、2つの宗派が均衡しています。

社会的な礎は白人のキリスト教文化ですが、それ自体が言語的、宗教的に2つに分かれているので、多文化共生を育む土壌となったと言えます。

さまざまな価値観を認める多文化共生であれば、「うちの国が一番!」というナショナリズムは育ちにくい。したがって右派ポピュリズム政党は生まれにくいようです。

「先住民同化政策」の過ちをプラスに転じる

カナダが多文化共生となった要因はフランス文化だけではありません。私の仮説その2は、先住民に対する非道な振る舞いへの反省です。

カナダにはアメリカ同様に先住民が暮らしていましたが、その扱いはひどいものでした。

「キリスト教も知らないし、英語も話せない? 動物と同じ下等な人間じゃないか」

キリスト教文化を中心に国家としてまとまろうとしていた19世紀のカナダにとって、独自の文化、宗教をもつ先住民は邪魔者だったのでしょう。差別や暴力事件も多く、なかでも特筆すべきは国家主導の「子ども同化政策」。先住民の子どもを親から引き離し、キリスト教徒として教育し直すために強制的に寄宿舎学校に入れました。その数は15万人以上とも言われています。

民族独自の言葉や風習を禁じ、彼らの信じる精霊や神を否定し、英語でキリスト教教育を施す。人間のアイデンティティを根こそぎ奪う仕打ちは、これだけでも人権蹂躙そのものですが、子どもたちは精神的、肉体的、そして性的に虐待されていました。

先住民への人権侵害は、カナダ建国の19世紀末に始まり1980年代(諸説あり)まで続きました。この負の歴史は語られることも少なく、半ば封印された事実でした。

しかし衝撃的なニュースが報じられたのは2021年。ブリティッシュコロンビア州、オリンピック開催地として日本人にも馴染み深いバンクーバーとカルガリーの間にある「カムループス寄宿学校跡地」で、215人もの先住民の遺骨が発見されたのです。

「立派なカナダ人に教育し直す」として連れ去られた先住民の子どもたちは、実は殺害されていた――番幼い遺骨は3歳だったというニュースに、人々は震撼しました。

先住民への残虐行為。これはカナダ全体にとって大きな社会的衝撃でした。その強い反省が、多文化共生を目指す、もう一つの原動力になったと私は捉えています。

現在のカナダは一国主義路線と国際協調路線の軸で言えば、明らかに国際協調路線。アジア系の移民をどんどん受け入れ、相当程度同化しています。ここ数年、私は仕事でカナダ西海岸を訪れていますが、街ゆく人もビジネスで会う人もアジア系の比率は高く、だから特別ということもありません。

「香港生まれのカナダ人です」「両親は中国系ですが、私はカナダ生まれのカナダ人です」などと、民族の文化を継承しつつカナダ人としてのアイデンティティを持っているようです。自由のなくなった香港からの移住者も多数です。長く住んでいる日本人は、「いつカナダの市民権を取得するのか」と聞かれるほど。

アジア系が多いのはカリフォルニアと似たところがありますが、国全体として比較すれば、アメリカよりカナダのほうがより“アジア系の多文化共生”の雰囲気を感じます。

多文化共生が法律化されている今、さまざまな文化を受け入れ、尊重するというリベラルな姿勢が、自由党と保守党、程度の差はありますが、どちらにも表れていると感じます。

地域政党、ケベック党

国全体としてリベラルなカナダ。その素養を政治的に体現しているのが地域政党の存在です。

全国政党は国のために、地域政党はその地域の利益を実現するために政治活動をするということ。カナダには州が10あり(準州は3)、全国区の自由党と保守党の他に地域政党がいくつもあります。

なかでも地域政党と言いながら全国第3位の議席数を持ち、発言権を持っているのが、ケベック州のケベック党(Parti Québécois)。ケベック州はフランス語が公用語でフランス文化を重んじ、独立運動が起きた過去もあります。ただし現在は「カナダの一員として独自の文化を守る」という立場で、これも多文化共生につながっています。

アメリカもまた広大な領土と50もの州をもつ国ですが、あれだけさまざまな民族や人種がいるのに、特に勢力のある地域政党はありません。

「カリフォルニアにヒスパニック系の政党、ニューヨークにユダヤ人の政党」

そうなっても不思議はないのに、文字通り“ユナイテッド(統合)”されているのかもしれません。

大国から距離を置く「北米の北欧」

多文化共生で移民に門戸を開く国際協調路線で、苛烈な自由競争よりも、国民生活にある程度、政府が介入しながら協調を選ぶ……。

教養としての世界の政党

「自由党にしても保守党にしても、アメリカよりもヨーロッパ、なかでも北欧に似ている」

カナダの政党に詳しい専門家と議論していると、私はそう感じます。それはすぐ隣の超大国から距離を置くという、ある種の知恵ではないかと思うのです。

カナダの場合、アメリカという超大国がすぐ南にあります。国内は競争社会、国外でも“世界の警察”もしくは“利害の対立”で、常に争いの渦中にいる、ドラえもんで言うならジャイアン的なお隣さんです。

北欧諸国の場合、“南側のお隣さん”はドイツ、フランス、イタリア。どの国も中世には領土の奪い合い、18世紀から第2次世界大戦には植民地の取り合いと、激しい戦争を繰り返してきました。そこで距離を置いていたのが北欧です。

「南のほうの人って激しすぎるよね。ちょっと一歩引いておこうか」

さらに北欧の場合、東にはロシアという“ジャイアン的なご近所さん”もいます。北欧、特にフィンランドは歴史的にロシアに巻き込まれていますし、ロシアのウクライナ軍事侵攻を受けた北欧諸国は「いやいやいや、私たち近所なだけで関係ないので!」とNATO寄りになっています。

このように見ていくと、北欧とカナダは似ていると感じます。カナダのリベラルとは、強大なお隣さんとは違う、独自の多文化共生の道を模索した結果なのかもしれません。

(山中 俊之 : 神戸情報大学院大学 教授、国際教養作家、ファシリテーター)

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