「ポスト資本主義」では日本が再び先進国になる訳

マルクス・ガブリエル氏が新著を日本でまず出版した理由とは?(写真:©Peter Baranowski)
格差の拡大や富の集中、大量生産・消費による環境への負荷など、現在社会が抱える問題を「資本主義のせい」にする見方は少なくない。
そんな中、ドイツのボン大学教授で哲学者のマルクス・ガブリエル氏は、ポスト資本主義は脱成長でも、新自由主義でもなく、“人も企業もいいことをして利益を得る”という「倫理資本主義」だと主張する。倫理資本主義で社会はどう変わるのか、著書『倫理資本主義の時代』を世界に先駆けて日本で上梓したガブリエル氏に聞いた。

日本は改革を実施できるユニークな立場にある

――なぜ日本で最初に出版しようと?

この10年間、頻繁に日本を訪れ、多くの哲学者やそのほかの分野の教授、そしてビジネス界のリーダーや政治家たちと交流してきた経験から、日本は多くの改革を実施できるユニークな立場にあると感じました。

例えば、「カイゼン」。これは倫理的なビジネスを行うための手法ですが、日本の労働倫理が単なる個人の精神的な鍛錬ではなく、非常に安定した秩序によってもたらされていることは、世界的によく知られています。

中間層は強力で、トリクルダウン効果も機能している。つまり、強い経済によって運営される社会民主主義が日本ではまだ維持されているのです。 ただ、他国同様、日本もさまざまな脅威にさらされている。

そこで、哲学から得た洞察と日本におけるビジネス慣行や思想を組み合わせれば、日本がポスト資本主義としての倫理資本主義の先進国になるのではないかと。

――ただ、日本は変化に疎いというか、「変化を拒む国」だと思うのですが。

もちろんすべての変化がいいわけではなく、社会的変化に対して慎重であることも理解できます。だからこそ、変革ではつねに最善の方法をとらなければいけない。そこで登場するのが倫理資本主義です。これは、“消費者も、生産者も、起業家も、経営者も、労働者階級も、誰もがいいことをして利益を得る”というシンプルなものです。

――いいことをして利益を得る?

私たちは皆、いい睡眠を得たいし、同僚と良好な関係を維持して、いい環境で働きたい。そして平和と繁栄を望んでいる。企業がこれらに向けて貢献すれば、大きな利益を上げる可能性が高くなる。

もちろん、そこへ到達するには、個人の小さな決断1つひとつが、「いいことをしたい」という願望によって実行される必要があるし、それを個人、集団(家族)、組織(企業、社会)にスケールしていくことも必要です。

道徳的な消費を促す商品化があればいい

――著書では、倫理資本主義において過剰な消費を抑制する必要性を述べていますが、現実にはなかなか難しいのではないでしょうか。

それは個人ではなく、企業側の問題ですね。私たちが消費する商品を生産するのは企業ですから。私の主張は、消費者個人が消費行動を道徳的にすべきということではなくて、サステナブルな企業がそうではない企業を経済的に凌駕するというイメージです。

具体例を挙げましょう。約9年前、私はチューリッヒにあるスイス最古のベジタリアンレストランに行きました。そこの料理は街のどのレストランよりおいしく、それを理由に再訪したくなりました。ベジタブルバーガーのような商品が競合の商品をクオリティで勝れば、顧客もいいほうを選ぶのです。

――たんに環境保護や動物愛護のためではなくて。

それからもう1つ、価格の問題からサステナブルな商品を選びにくい人のために、購入しやすい製品を開発する必要もありますね。

――そういった倫理資本主義を実現させている企業は。

ありますよ。1つは、気候変動に関する世界最大の情報プラットフォームであるスウェーデンのSNS「We Don’t Have Time」。これを立ち上げたイングマ・レンズホッグは、グレタ・トゥーンベリの有名な写真を撮った人物で、気候変動活動家です。

「We Don't Have Time」は、アメリカ中の市、あるいは州で決定権を持つ人たちに情報を提供し、例えばドナルド・トランプが石油業界に有利な政策を推し進めようとした時に、それに反する動きを促したりしています。

企業には「哲学責任者」が必要だ

――ガブリエルさんは、「倫理資本主義を浸透させるには、各企業にCPO(Chief Philosophy Officer=最高哲学責任者)が必要」と提案しています。倫理資本主義においてCPOはどんな役目を果たすのでしょうか。

私自身、セールスフォースやロレアルのほか、多くの企業と仕事をしていて、その中には新進気鋭のドイツのAI企業もあります。(ガブリエル氏が教鞭を執る)ボン大学では州の経済省が後援する「認定人工知能」という倫理的基準に基づいてAI製品を認証するプロジェクトを行っていますが、このAI企業はこれを採用し、信じられないほどの成功を収めています。

採用している大規模言語モデル(LLM)は、ChatGPTと同じシステムですが、違うのはケルン市の行政データのみを使用しているところ。ネットからも隔離されているため、ChatGPTのような「幻覚」は見せないわけです。

例えば、「ある地域に保育施設を建設するための提案書を書いてほしい」とシステムに依頼すると、3分で3案を作ってくれる。そして最終的に私たちはそれらの案からいずれかを1つを選ぶ。これは生産性を向上するものであり、自動化するものではないので、誰も解雇されません。CPOは、ここでいうところの倫理的基準を作る際に使命を果たす、という感じです。

――OpenAIからはCPOなど倫理コンサルティングの依頼はないですか?

来年、京都でサム・アルトマンCEOとは会う可能性が非常に高いとは思いますが……。言えるのはそれくらいです。

――倫理資本主義の前提となるサステナビリティについては世代間で感度が違いそうです。

私は8月から京都哲学研究所の顧問として働いていますが、代表理事の1人であるNTTの澤田純会長は若くはないけれども、とても素晴らしく知的な方です。NTTは日本のトップレベルの哲学者、例えば京都大学の出口康夫教授(京都哲学研究所共同理事)とも協力しています。

このほか、経団連では多くのビジネスリーダーと話す機会がありましたが、サステナビリティへの理解をより深めたいという明確な意志を感じました。

――どの企業もポーズではなく、SDGsには本気だと。

政治の道徳的ジレンマを解決するのはビジネス界にあるという認識が、浸透してきたと思います。利益を上げることは、不安定な環境ではできないからです。アメリカやフランスで見られるような政治的不安定の多くは経済的問題に起因しており、中産階級の下層にいる人々は、実際に購買力が低下しすぎている恐れがあります。

その解決は政治にはできない。富の再配分だけでは中間層の底上げは無理で、雇用を増やす必要があります。そのためには、余剰価値を生み出すSDGsに力を入れるしかないのです。

「いいことをした企業」には報酬を

――では、投資家は倫理資本主義にどうかかわるべきでしょうか。

私は代替経済対策の分野で多くの仕事をしてきましたが、ブータンで1年間一緒に仕事をしたカルマ・ウラが考案した「国民総幸福指数」や、イギリスを代表する経済学者、デニス・スノワーの研究である代替経済指標やウェルビーイングの測定の指標を、企業に当てはめて(投資対象として)見ていくことを提案します。

一般的に多くの人は企業の負の部分について、その有害性に対して代償を支払わせるべきだと考えていますが、ポジティブな社会貢献について測定し、その企業に対価を支払うことだってできます。罪ではなく、社会的ウェルビーイングへの貢献に対する報酬制度を考案するのです。

――報酬がカギなんですね。

例えば、ある企業が社会福祉にプラスの効果をもたらしたとしましょう。貧しい地域に雇用を創出し、人々を下級階級から中間階級に引き上げるような。それで人々はより環境にやさしいサステナブルな自動車を買うようになる。こうした循環を作った企業に対しては減税という措置があってもいい。

――倫理的資本主義が実現した場合、富裕層を減らすことなく、貧困層を減らすことはできるのでしょうか。

私は、哲学者ジョン・ロールズの有名な考え「格差原理」を全面的に信じています。ロールズによると、経済的不平等は「富める者がより裕福になるという事実は、貧しい者も利益を得るという事実と相関することによってのみ正当化される」。

理想はその距離が少しでも縮まることで、いずれにしても、このように経済的水準が向上できれば、現代経済では理想的な形で富が蓄積されれば貧困層が減るのです。

昨年ドイツは日本を上回る第3の経済大国になりましたが、その一方で右傾化が進んでいます。その理由は、インフレに対して十分な補償がされなかったからというのと、もう1つ、ドイツはグリーンエコノミーを推進していますが、これにはコストがかかる。

そこがよく理解されておらず、不服に思う有権者が極右に移行しているのです。不平等が問題なのではなく、トリクルダウン効果が必要なのです。それを行うのは企業の責任であり、政治の責任ではありません。

「貧困を生み出す企業」を罰する?

――著書では「貧困をなくすには、制度ではなく、貧困を禁止する法律が必要だ」とあります。

貧困を生み出す企業が「罰せられる」と想像してみてください。ヨーロッパでは、サプライチェーン法(サプライチェーン上における人権や環境基準が遵守されていることの確認の義務付け)が大きな議論になっています。

倫理資本主義の時代 (ハヤカワ新書)

法律を設計するには優れた専門家の力が必要ですが、この法律を通じて企業の雇用状況をチェックでき、無責任な解雇を測定でき、直接的、あるいは、間接的に貧困を減らすことに貢献できます。

日本も貧困がどのように生じるのかを研究し、それを経済指標で測定し、貧困を生み出す原因になっている組織などへの刑罰を開発する。貧困を引き起こした企業には廃業のリスクもあるのです。もちろん、これにはきちんとした経済指標が必要です。

(倉沢 美左 : 東洋経済 記者)

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