スペインで人気ラーメン屋経営する日本人の素顔
とある日曜の昼、「ラーメン・シモジ」の店内は、アジア人数名を含む現地に住むスペイン人でごった返していた。スペイン北部のビルバオにあるモンカダ通り。廃虚ビルが建ち並ぶ工場地帯の一角に店はある。お世辞にも立地がいいとは言えないが、ラーメンを求め、次々と人が訪れる。
30席ほどある店内。カウンター席に座っていたスペイン人のカップルに話を聞くと、「ここのラーメンにハマってしまった」という。ひとりで来ていた常連男性は、「ここは北スペインで一番おいしい店だよ」と話してくれた。そういう筆者も車で1時間半かけてラーメンを食べに来ていた。
なぜなら「日本人が営業している本格的なラーメン屋がある」と、北スペイン在住日本人の中で話題になっていたからだ。
オーナーは、下地由維樹(シモジユイキ)さん37歳。ビルバオで3店舗のラーメン店を営んでいるシモジグループのオーナーだ。
飲食の経験がほぼないまま、ラーメン店をオープン
今、スペインでは空前のラーメンブーム。元アパレル店員だった下地さんは、その波に乗った。
10年間アパレル業界で働いた後、飲食の経験がほぼないまま、2022年に「ラーメン・シモジ」をスペインでオープンさせた。すると、約1カ月で予約待ちになる人気店となった。1年後には2店舗目の「ラーメン・ケイトク」、2024年7月には3店舗目となる「ラーメン・スイウン」をオープンさせた。従業員も20人に増えた。
「ラーメンのこだわりは?」と尋ねると、少し悩む素振りをみせてから下地さんは、ごまかすように笑った。特にこだわりはない。接客も従業員のスタイルに任せている。
ラーメン1杯12ユーロ(約1950円)から13.5ユーロ(約2200円)。「ラーメン・シモジ」1店舗で1日120杯を売り上げる。
シモジグループ3店舗の品書きには、カニラーメン、鯛ラーメン、トリュフ塩ラーメン、トマトラーメン、ヴィシソワーズなどが並ぶ。店舗ごとにメニューは違い、種類も実にユニークだ。
こだわりがない——。にもかかわらず、なぜこれだけ人気を博しているのか。下地さんに改めて時間をもらって話を聞いた。
お店は週休2日。2店舗目の「ラーメン・ケイトク」に限っては週休3日で、強気の営業体制だ。下地さんは、休みたい時に休みをとる。従業員もしかり。なかには1カ月の休暇をとる者もいるという。社風は特に決まっていないが「楽しく生きること」に重点を置いている。
下地さんは新店舗の手伝いをする以外、お店にはめったに出てこないという。取材の日は、自身が経営するラーメン店のカウンターで営業時間中に瓶ビールを煽りながら、「できるだけ働きたくないんですよ」とさわやかに笑っていた。「普段は何をしていることが多いですか?」と聞いてみた。すると、こんな言葉が返ってきた。
「家でNetflixを見てます」
1987年3月、沖縄・宮古島出身の両親のもとに東京の府中で生まれた下地さんは、兄と妹に挟まれ、自由気ままに育った。
これといった夢はなかったが、漠然と将来は海外に住みたい、と思っていた。高校を卒業し、父の建設会社で働いた。バックパッカーをしていたら海外に住めるかもしれないと思い、お金を貯めては1カ月から3カ月休みをとり、ヨーロッパを中心に放浪した。
ひとり旅を続け、人との繋がりが雪だるま式に増えてくると、「これ、いけるな(海外に住めるな)」と、根拠のない自信が湧いた。
バルセロナへ行ったある年のこと。
ファッションに興味のあった下地さんは、旅仲間でもある小学校からの友達と共に、日本人が経営するセレクトショップに立ち寄った。そのお店は、パリコレブランドを取り扱っている人気店。沢尻エリカやユマ・サーマンなど有名人も訪れていた。
その日、お酒好きの下地さんは、オーナーと飲みにいき、連絡先を交換した。日本へ帰国して数カ月経ったある日、一通のメールが届く。セレクトショップのオーナーからだった。
「ビザ出すからバルセロナで働かない?」
日本から雇用する予定だった人物が失跡したため、下地さんに声をかけてきたのだという。うろ覚えながら、バルセロナで飲みにいった際、「海外で働きたいんです」と酔っ払いながら語った記憶がある。それを覚えていてくれたのだろう。オファーの理由は「辞めなさそうだから」。
23歳の下地さんは、考える間もなく「はい」と返信した。念願の海外移住が、思いがけず叶った瞬間だった。
2010年、バルセロナでの新しい生活が始まった。
飲みニケーションで見えた未来の自分
当時の月給は、日本の初任給の半分ほどで、休みはなし。
「若かったというのもあって、給料はあんまり気に留めていなかったです。別にいいやと思って。一晩20ユーロ(約3200円)くらいで飲める時代だったので、20ユーロ握りしめて料理人をやってた友達としょっちゅう飲みにいって。仲良くなった人たちと日本食パーティをしていました」
ここでもまた、芋づる式に飲み仲間が増えていった。誘われたらできるだけ断らずに行く。スペインで起業している人や日本では顔を合わせる機会もないような人とも飲み、普段聞けないような話を聞いた。色々な人の話を聞くなかで、またしても「これ、いけるな」と感じたという。
「何億円も稼いでる人の考え方などを聞いたときに、『こういう考えでこういう行動をしているんだ。なるほど』って。自分だったら逆にこの視点からさらに広く考えて、遠い視点から考えられるな、と想像ができたんです。30代で年収1000万円以上ほしいとか、そういうのは叶うな、と。だから20代は遊ぼうと思って飲んでました」
ここでもまた、「根拠のない自信」が湧いた。
「世の中の人って動かない人のほうが多いでしょ。そういった面では、行動するだけで勝てる可能性があるのかな、と思って。今思えば、アホなんですけどね」と苦笑する。
アパレル業界で10年働き32歳になった下地さんは、「起業」を脳裏に浮かべ、行動に移した。
まず、セレクトショップを辞め、バルセロナにあるうどん屋で1年半働いた。オーナーが、「うどん×ファッション」でアパレル業も経営していたため興味を持った。飲み仲間だったことも大きい。
飲みにいき、人と話す。アイデアを得て、思考を整え、行動する。下地さんの行動パターンはこれだ。
「いかんせん、自分には武器がなかったんで。やるなら、スペイン人から人気の高い寿司やラーメンが手っ取り早いかな、と思いました。寿司屋はたくさんあるからラーメンかな、と。バルセロナでもラーメンの波がきていましたし」
そこで、ラーメン屋の仕事の流れを知りたいと思った下地さんは、一時的に日本へ戻ることにした。2020年3月、新型コロナでスペインがロックダウンしたタイミングだ。
働かせてほしいと地元府中のラーメン店を訪ね歩くも、行く先々で断られた。唯一、受け入れてくれたのが、1日200杯を売り上げる地元では有名なラーメン屋だった。そこで約9カ月間、バイトとして働いた。
「ラーメン屋の1日と1週間の流れを見たかったんです。あとは、『日本のラーメン屋で働いたよ』という箔が欲しかっただけで。1週間くらいで辞めようと思って働いたら、9カ月経っていました」
2022年12月、「日本のラーメン屋で働いた」経験をひっさげ、再びスペインの地へと飛び立った。
無職、金なし、コネなしでの起業
勝負の舞台は縁もゆかりもないバスク地方のビルバオ。
場所の決め手は、徹底的に調べたわけでも誰かに勧められたわけでもなく、「なんとなく」。比較的寒い土地で、人口も多い都市がいいかな、と思った。それが、ビルバオだった。ビルバオはスペイン北部で最大の都市だ。
「美食で有名なバスク地方だったし、日本人がやっているラーメン店もない。ここだ、と思いました」
ビルバオでは、住む家も決めておらず、2週間ホテル暮らしをした。店舗の物件探しを始めると、意外にもあっさり見つかった。気に入ったのは、元ステーキ屋の物件だった。
「めっちゃ汚かったんですけど、冷蔵庫も何でもある。直すところがない。家賃は700ユーロ(約11万円)で激安物件でした。場所はどこでもよかったんで、ここでいいやって。ビルバオで初めての日本人経営のラーメン屋だし、多少話題になるかな、と」
物件を決めたはいいが、そこから話が進まない。
働くために必要なビザについては問題がなかった。当時スペインのビザに関する規定はゆるく、10年以上スペインに住んでいた下地さんは、すでに永住権を所得していたからだ。
日本で飲食店開業に必須の「食品衛生責任者」と「防火管理者」の資格においても、オンラインで簡単に取れた。しかし、それ以外にもやらなければいけないことが次から次へと押し寄せた。「物件が飲食店を営業する上で必要な許可があるのかどうか」やら、「保証金はこうだ」やら、事業計画書を作ったり、税理士を探したり、市役所で手続きをしたり、銀行口座を開いたり。正直、スペイン語は得意ではない。「もう少しゆっくり話して」と頼み、わからないときは図に描いて、説明してもらった。
ある日、全身にじんましんがでた。ストレスだった。
「今までできるだけストレスを排除してきたのに、意外でした。絶対できるって、自分のことは信じていましたけど、頭のどこかで不安だったのかもしれませんね」
開業のメドが立ったのは、ビルバオに到着して5カ月後のことだった。金融機関から最低限の融資を受けていた下地さんの開業資金は、約1万5000ユーロ(2022年当時のレートで約200万円)。内装にこだわりはなかったため、最低限の値段で抑えることができた。
2022年4月29日、「ラーメン・シモジ」がオープンした。
告知はインスタグラムのみ。下地さんの初めての起業は、やる気に燃えていたわけでもなく「とりあえずやってみるか」と始まった。
開店初日は、満席とまではいかなかったが、思いのほかお客さんが来てくれた。日ごとに来客数が増え、1週間後には満席になった。スペインのラーメンブームが下地さんの背中を押していた。
オープンから1カ月後の5月。
「ラーメン・シモジ」が地元新聞紙に取り上げられた。小さい欄に載るのかと思いきや、大々的に1ページで掲載されたのだ。
その日から押し寄せる人の波が止まらなくなり、電話も鳴りっぱなし。下地さんは、ワンオペ営業で調理と接客に追われていた。
ひたすら仕込みに追われる毎日が続く。ランチ営業の後に片付けをして、終わったらまた仕込みをする。夜にまた営業して、片付けをして、気づけば午前2時になっていた。そのまま店に泊まり、朝起きて、シャワーを浴びるためだけに家へ帰る。そしてまた、店に戻り仕込みをする。
下地さんは「あれ……」と思った。
「これは違うな。求めていたのは、こんなのじゃない。こんなに働きたくない」
自由を求めて、開業したはずなのに。気がつくと、理想とは違う道を歩く自分がいた。
スペインは空前のラーメンブーム
新聞に取り上げられたのがきっかけで、開業から1カ月後には、常に満席の状態が続いた。ワンオペ営業で1日最大60杯の売り上げ。自身の給料としては、日本で働いていた時に比べて約2倍、スペインに来てすぐの頃に比べると約3.5倍に増えた。
開業してすぐに黒字になったのは、スペインのラーメンブームの影響が大きい。
スペインのラーメンブームにより、スペイン国内での「ラーメン」に対する認識が高まったことも追い風になったといえる。スペイン在住歴10年の筆者から見ても、スペインにおけるラーメン市場の発展は凄まじい。10年前には首都マドリードで1、2店舗ラーメン屋ができたと話題になっていたのが、2024年現在、20店舗を抱えるラーメンチェーンや個人店がスペイン全土に続々と増えている。スペイン大手の各新聞社でもおすすめラーメン店を紹介する記事や、ラーメンについての特集記事が掲載されている。
加えて、スペインからの訪日観光客の増加も大きな理由のひとつだろう。日本政府観光局(JNTO)の調査によると、過去10年間で訪日スペイン人観光客は、175%増加している。
日本の「ラーメン」を知るスペイン人が増え、人々のラーメンに対する舌が肥えたともいえるだろう。実際、日本人経営ではないラーメン屋で、スープがお湯のように薄味で醤油を入れて食べるものや、たくわんが丸ごと入っているもの、麺がどろどろにふやけた奇妙なラーメンも多く見かける。玉石混淆であるラーメン市場の中で、「日本人経営」というのは、ひとつの売りになっているといえる。
「ラーメン・シモジ」がオープンして4カ月後の、2022年8月。経営が軌道に乗ると、「できるだけ働きたくない」下地さんは従業員を雇うことにした。
「もともと多店舗展開していく予定だったので、早く人を雇ったほうがいいなとは思っていたんです」
ラーメンを食べにくる日本人に片っ端から「働きませんか?」と声をかけていった。初期メンバーとして4人が加わり、そこから徐々に従業員の数も増えていった。
営業態勢は、1店舗につき2、3人で行っている。厨房担当ひとりと、ホールひとり。
シモジグループで働く従業員のほとんどは日本人だ。下地さんは、「できるだけ日本人を雇うようにしている」という。
「同じ給料を払うなら日本人のほうがちゃんと働いてくれますし、言語の面でも楽です。それに、日本人に会えることを求めているお客さんも多いので」
シモジグループの従業員でスペイン人と結婚し、ビルバオに住んで1年目のレイコさん(39歳)は、「融通がききやすく働きやすい、いい職場です」と語る。
従業員の時給も2ケタ以上で設定しており、スペインの最低賃金額である時給8.87ユーロ(約1420円)と比べても高い。加えて、スペイン語のレベルは問わないため、シモジグループの離職率が低いのも納得できる。
働く日本人スタッフの「本音」
「働きたくない」と公言するオーナーにスタッフから不満は出ないのだろうか。
初期メンバーでもあり、現在2店舗目の「ラーメン・ケイトク」を任されているスタッフの飯田竜次さん(36歳)に話を聞いた。
「オーナーが自由な人なので、働きやすいのはありますね」
元々家具店の営業をしていたという竜次さんは、スペイン在住歴6年目で、スペイン人パートナーを持ち結婚ビザで働いている。ビルバオに住む竜次さんは客として「ラーメン・シモジ」へ行った際、「うちで働かない?」と誘われたひとりだ。人と話をするのが得意ではなかったため、当初、接客をせずほかの従業員と会わないなら、と条件を提示すると「それでいいよ」と下地さんは、快く引き受けてくれたという。ところが現実はそう甘くなかった。
「ふたを開けてみたら、いきなりお客さんのところに出されるわ、ほかの従業員さんと2人っきりで働かされるわ、ユイキさん(下地さん)は途中で日本帰っちゃってお店任されるわ。で、そういうことをやっているうちに、意外と自分もできるんじゃないかと思えてきたんです」
下地さんはあまり店には来ない。竜次さんも月に1度会うくらいだという。
「顔を合わすと『会ってない間、お店のこと考えて色々やってくれてたんだね』とか『お客さんに竜次のこと言われてうれしかった』ということをストレートにさらっと褒めてくれるんですよ。そうするとなんかこう、評価されたな、がんばってよかったな、と思えるんです」
スペインではチップの文化があり、竜次さんは全店舗合わせ、チップを一番稼ぐ。接客が苦手だと思っていたが実は得意なのではないか、と新しい自分を発見したという。
「働き始めて2年で、相当変わりました。最初は従業員ともいっさい目を合わさず、『お願いします』って料理を渡すだけでしたけど、今はみんなで出かけたり、飲みにいったりします。いつか自分で居酒屋を開きたいな、とユイキさんに話したら、『休日にお店を好きに使っていいよ』って言ってもらえて。ビジョンが広がりました」
下地さんにもう一度、こだわりを聞いてみた。
「僕だけじゃなくて、スタッフもみんなで人生楽しんでいこうよ、ってその気持ちだけはブレないようにしています。休みがとりやすいシステムもそのため。僕が金儲け主義のとんちんかん野郎になったら、みんな離れていっちゃうと思いますから。みんなで楽しんでいきたいです」
そして「実は」と切り出した。
「来年4月から少しの間、韓国に住む予定なんです」
まさか、韓国にも事業を展開するのだろうか。
「韓国ドラマにね、ハマって……」と下地さんは、真面目な顔で答えた。どうやら出店ではなく、個人的な趣味のようだ。
現在下地さんは、ほかの北スペイン3都市にも店舗展開を考えているという。「韓国へ行ったときにラーメン屋を3店舗経営しているより4店舗って言ったほうが、モテるでしょ」。
「今年中に4店舗目出したいなあ」。そう言うと下地さんは、瓶ビールを飲み干した。
(きえフェルナンデス : スペイン在住ライター)
08/29 10:30
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