脱炭素への競争、日本企業の戦い方は正しいのか

膨大なエネルギーを使用する日本の首都・東京。日本人や日本企業の危機認識が問われている(撮影:東洋経済新報社写真部)
脱炭素化への変革のレースで、日本企業は勝ち残れるのか――。著者が所属するシンクタンクの地球環境戦略研究機関(IGES)は2023年12月に「IGES 1.5℃ロードマップ」と題した報告書を公表した。副題を「日本の排出削減目標の野心度引き上げと豊かな社会を両立するためのアクションプラン」としたように、現行の政府によるGX(グリーントランスフォーメーション)戦略の代替案となる戦略プランを提案した。なぜ代替案が必要なのかについて、主に企業のビジネスとの関連を中心に解説する。本稿はその前編である。

地球がもう持たない。――世界が抱く危機感を、日本企業は共有できているのだろうか。

世界気象機関(WMO)によると、2023年の世界平均気温は観測史上最高となり、産業革命以前と比べて1.45度上昇した。一方、最新の科学的知見からは、1.5度の気温上昇は、現在のわれわれの生活を維持するうえでの「物理的限界」であるともされる。

自然界はさまざまなシステムが相互に支え合い、一定の頑健性をもって維持されているが、ある閾(しきい)値を超えると、後戻りできない変化が連鎖的に起こり、システム全体が維持できなくなる。このリスクが高まる閾値が「1.5度」だと考えられている。

間近に迫る、カーボンバジェットの枯渇

世界の平均気温の上昇は、主たる温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の累積排出量と強い相関関係がある。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、50%の可能性で気温上昇を1.5度以内に抑えるために2020年以降に排出できる総CO2排出量(残余カーボンバジェット)は約500ギガトン(5000億トン)。これに対して現在、世界全体で年間40ギガトン以上のCO2が排出され、しかも増加を続けている。

このままではあと10年以内にカーボンバジェットを使い果たしてしまうことは明白であるため、2050年までにカーボンニュートラルを達成するだけでなく、早期かつ大幅な排出量の削減が必要不可欠である。

また、この大幅な排出量の削減には、社会経済システム全体において急速かつ広範囲に及ぶ移行が必要とされている。

こうした確かな科学的知見を元に将来を見通せば、企業を取り巻く事業環境は、比較的短い時間軸で大きく変化していくことが避けられない。そうであれば、その変化の中で生き残り、企業価値を高めていけるように、企業自身もいち早く変化に向けた行動を起こそうとするのが合理的であろう。

また、政府もこうした企業や産業の変化を促し、変革に成功した企業が競争力を高められるような市場環境を整備していかなければならない。

このように、温室効果ガス排出の削減を制約条件として新たな経済社会を創り上げていくなかで成長を目指す、いわば「変革のレース」の勝者を目指した競争が、現在世界で起こっていることなのではないだろうか。

終盤での一発逆転に賭ける日本企業

一方、日本では、気候変動対策の強化は産業界にとっての追加の負担になるとの認識がいまだに根強い。逆に、対策を強化しないことによるリスクについては、ほとんど議論が行われていない。

さらに、政府が掲げるカーボンニュートラルに向けた道筋は、主に対策が難しいとされるエネルギー多消費産業を中心に、セクター別に整理が行われているのが特徴だ。そこでは、基本的に将来の産業構造や各セクターのサプライチェーンの構造が現在と大きく変わらないとの想定の下、特に新たな技術開発に公的資金を投じる形で脱炭素化を進めていくことになっている。

たとえば、製鉄業で粗鋼生産に使用される高炉のCO2排出量を削減する革新的な技術開発や、内燃機関自動車が消費するガソリンなどを代替する新燃料の開発、火力発電所が消費する石炭や天然ガスなどを部分的に代替する、水素やアンモニアといった新燃料の開発などである。

これらは早期の排出削減にはつながらないうえに、コストや実現性が疑問視されるものも多い。こうした考え方では、足元の排出削減目標の引き上げに及び腰になってしまうのは、むしろ自然であるとも言える。

このような姿勢で大丈夫なのだろうか。

第4次産業革命とも呼ばれる社会経済構造の大きな変革の潮流のただ中で、地球の持続可能性に貢献するビジネスへと転換することを前提に、世界中の企業がレースの覇権を狙って果敢な行動に出ようとし、各国政府はこのゲームのルールを自国にとって有利なものに書き換えようとする。

そのような中、日本は従来の産業のあり方を当然に維持しようとし、将来手に入る新たな技術に期待して、戦いの序盤である2030年前後までの勝負どころでの勝利は放棄し、2050年に近い最終局面で巻き返す戦略を取ろうとしている、とも捉えられる。

さて、果たしてこの「変革のレース」の戦い方は、それで正しいのだろうか。

著者らは2023年12月に「IGES 1.5ロードマップ:日本の排出削減目標の野心度引き上げと豊かな社会を両立するためのアクションプラン」を発表した。これは、日本にとって代替策となる戦略の提案である。

すなわち、社会経済やサプライチェーン、エネルギーシステムの構造的な変革を推し進めることで、人々の暮らしを豊かにし、社会のさまざまな課題を解決しつつ、同時に温室効果ガスの累積排出量を1.5度目標と整合するカーボンバジェットの範囲内に抑える、というものである。この戦略の特徴を以下で簡潔に述べる。

まず第1に、社会経済の変化を積極的に促そうとする点である。

たとえばモビリティ分野では、さまざまな変化が想定される。すなわちデジタル化を通じて人々の移動が減少するだろう。また、公共交通やカーシェアリングの利用が進むことで自家用車の台数の減少が予想される。自動車にリサイクルされた素材が使われるようになる。さらに、自動車業界は車両を販売するだけではなく、データを駆使して付加価値の高いモビリティサービスを提供するようになる。

本ロードマップでは、これをシナリオとして設定し、定量化してエネルギー需要や温室効果ガス排出量の分析の前提諸元として用いている。

こうした社会経済の変化の多くは、気候変動対策として取り組まれるものではないが、温室効果ガス排出量の削減に寄与するものも多く存在している。

本ロードマップでは、社会のさまざまな課題解決や人々の生活を豊かにするために取り組まれる多種多様な変革を、1.5度目標を実現するための排出削減と相乗効果を発揮する形で促進することを、広い意味での気候変動対策と捉えている。

エネルギーに関するかつてない変化

第2に、省エネルギーや電化など、エネルギー需要の大幅な変化である。

電化は、製造プロセスのデジタル化による生産性の向上とも、再生可能エネルギーの出力変動への対応とも相乗効果を持ちうる。それだけでなく、燃焼機器から大気熱を活用するヒートポンプへの転換や、内燃機関から熱のロスが少ないモーターへの転換などにより、エネルギー効率を飛躍的に改善することができる。

前述した社会経済の変化に加えて、省エネや電化を最大限に進めることにより、下図のように電気と燃料を合わせた最終エネルギー消費量は、2050年には現状の約半分まで減少すると考えられる(ただし電化などにより電力の消費量自体は増加する見通しである)。

第3の特徴は、国内の再生可能エネルギーによる電力と水素の供給を進めることである。

日本においてポテンシャルが大きく、自然環境への負担も比較的小さいと考えられる、屋根上太陽光や営農型太陽光、浮体式洋上風力を中心に、各業界団体の目標値水準まで導入が進むことで、2050年の電源構成では再生可能エネルギーが85%を占めるようになる。

石炭火力発電は2035年までにフェーズアウト(段階的廃止)され、発電所の跡地の一部は洋上風力の組立ヤードや基地港湾として活用されるようになる。この場合でも、水電解による水素製造、電気自動車や定置型の蓄電池の利用、LNG(液化天然ガス)火力を改修した水素専焼火力、さらに広域的かつ効率的に送電系統を利用できるルールの整備により、電力の安定供給が可能である。

いずれの要素も、現状の延長線上では容易に実現できるものではなく、既存の制度や、企業および個人の行動パターンの「変革」を前提としている点が共通している。これを著者らは「システムチェンジ」と呼んでいる。

その具体的な内容については後編(8月23日配信予定)で詳しく説明するが、少なくともシステムチェンジが実現するためには、それが社会の多くの構成員にとって魅力的で支持できるものでなければならない。

そこで、このロードマップの策定にあたっては、産業連関分析や電力需給分析といった定量的な分析を実施した。加えて気候変動問題に積極的に取り組む約250社からなる企業集団である日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)の協力のもと、企業を中心とする実社会のステークホルダーとの反復的な対話を通してシナリオを構築した。このような取り組みにより、ロードマップの受容性や実現性を高めている。

変化の先にある「豊かで持続可能な社会」

さて、このロードマップが実現した先に、どのような未来が待っているのだろうか。

まず、気候危機を克服しながら経済が成長し、さまざまな課題が解決された将来社会を構想することができる。

今回のロードマップにおいて想定される社会経済の変化は、そのほとんどが政府の各省庁において策定されている幅広い分野のビジョンを反映したものである。

単にエネルギーや気候変動対策の視点からの最適解を追求するのではない。たとえば移動困難者の増加や生産性低迷など、さまざまな課題解決を社会全体で目指す中で、同時に気候変動対策にも取り組む、分野横断的なビジョンとしてシナリオを策定している。

また、国内の再生可能エネルギーの導入が拡大することで、企業は事業活動において容易に安価な再生可能エネルギーを利用できるようになる。特に浮体式洋上風力の量産体制が構築され、大規模に導入されれば、発電コストを低廉に抑えることができるようになる。

電力の安定供給を、電気自動車や蓄電池などの分散したリソースを動員して実現できるようになれば、需要と供給をバランスさせるためのコストも安価になる。燃料価格の高騰に左右されず、より安定した価格でエネルギーを調達することができるようになる。

再エネシフトで海外への資金流出にも歯止め

さらに、エネルギー自給率の向上によって、海外への資金流出が抑えられ、国内で資金が循環するようになる。また、国際情勢の変化に対する耐性が強く、自然災害にも強いレジリエントな社会が構築できるようになる。

その場合の再生可能エネルギーを中心としたクリーン電力供給及び水素供給設備に対する投資規模は、2021~2050年の平均で、3.9兆円/年~4.6兆円/年となり、現在の年間の化石燃料輸入額(20兆円/年~30兆円/年)を大幅に下回る。

深い海に囲まれ、平地が限られた日本固有の国土事情を逆手に取り、浮体式洋上風力やペロブスカイト太陽電池などの導入を国内から積極的に進めていくことで、これらの技術に強みを有する日本企業の成長を促し、世界市場で優位に立つことも十分に想定される。

もちろん、この戦略にもリスクはある。変革は計画した通りに進まないのが世の常であり、予期せぬ事態に直面することも十分に想定される。

しばらくは現状を維持して次世代技術の完成を待つか、それとも、今入手可能な技術を活用して果敢にビジネスや社会経済の変革に着手するのか。

気温上昇を1.5度以内に抑制するためにわずかに残されたカーボンバジェットの規模を考えると、即時的かつ大幅な排出削減が必要であり、そのためには社会経済の多方面で変革が必要となる。

その変革の中にある機会をつかむことで、日本の多くの企業は国際競争力を向上させていくことができる可能性は高い。今こそ、恐れずに変革を実行すべき時ではないだろうか。

後編では、変革を実現しうる企業や国にとっての戦略的アプローチについて紹介する。

(田村 堅太郎 : 公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)上席研究員)
(田中 勇伍 : 公益財団法人地球環境戦略研究機関 関西研究センター リサーチマネージャー)

ジャンルで探す