駅看板の文字「明朝体」「手書き寄り」が静かに流行
駅構内の案内板、運転中に目にする道路標識、街中で見かける看板――。これらの「文字=書体」に注目したことはあるでしょうか。
こうした「公共サイン」の文字は、すべて人の手によって作られています。そして、そのデザインは時代の流れとともに形を変えているのです。
駅舎に続々登場の「明朝体」
近年、都市部で再開発が活発に行われていますが、駅周辺も例外ではありません。
東京都内では、山手線の通る駅、高輪ゲートウェイ駅が2020年に開業。一部では、駅舎の駅名の表示が明朝体であることに賛否さまざまな意見が出ていました。
書体には大きく分けて「明朝体」と「ゴシック体」の2種類があります。明朝体は、ひらがなとカタカナに毛筆で書いたようなデザインが施されている書体で、一方のゴシック体はすべての画の太さが均一に見えるよう設計されている書体です。
一般的に、駅などの公共サインは、遠くから見ても視認性の高いゴシック体で表記されていることがほとんどです。しかし、高輪ゲートウェイ駅ではあえて明朝体が採用されたため、議論を呼びました。
同様に、原宿駅も2020年に新しい駅舎に生まれ変わりましたが、建物外観の駅名に明朝体があしらわれています。
ここで面白いのは、建物の外側に大きく明朝体の駅名が掲げられているのに対し、駅構内に足を踏み入れるところ(写真左下)には、太文字のゴシック体が使用されている点です。
さまざまな制約やデザイン的側面から、現在の見え方に落ち着いたことが想像できますが、明朝体はある種シンボリックな役割を果たす存在として、そしてゴシック体は機能面に特化して扱われていることが考察できます。その顕著な例がこの原宿駅の一枚の写真に集約されています。
「明朝体ブーム」の背景
これらの駅で明朝体が使用された背景には、昨今の静かな「明朝体ブーム」があります。
もともと明朝体は新聞や文庫本など限られた範囲で使われ、堅い印象を持たれがちでした。しかし昨今では、柔らかさやノスタルジックさが見いだされ、使用の場が広がっています。
高輪ゲートウェイ駅や原宿駅に見られる明朝体の使用例もこのトレンドの中で起きているのかもしれません。
海を越えた香港でもつい最近、街のサインにゴシック体ではなく明朝体に近い文字が実験的に導入されました。現地のデザイナーに意見を聞いてみたところ、比較的年齢層が高めな方にとっては古い印象に見えるけれど、若者たちからはこれが新鮮で好印象に映るという意見もあるようです。
明朝体に「逆戻り」したバーバリー
また、ラグジュアリーブランドのロゴに使用される書体でも同様のトレンドが見て取れます。2010年代、多くのラグジュアリーブランドのロゴにゴシック体(欧文ではサンセリフ体といいます)が採用されました。ところが、2020年前後から、明朝体(欧文ではセリフ体)に回帰した例が出てきました。
わかりやすいところでは、英国のBurberryがあります。同社は2018年、20年近く使用していたセリフ体のブランドロゴからサンセリフ体のロゴに変更しましたが、わずか5年後の2023年に再度ブランドロゴを変更。現在はセリフ体のロゴになっています。
公共サインで見る書体の変遷
とはいえ、公共サインの書体は基本的にゴシック体であることにかわりはありません。しかしそのゴシック体も時代とともに変化しています。
大きな流れとしては、親しみやすさや柔らかさを感じられる方向に向かっています。ここからは、写真とともに公共サインで使われてきた書体の変遷を見ていきましょう。
まずは、1975年に株式会社写研から発売されたゴナという書体があります。中村征宏氏によって生み出されたこの文字は、公共サインや、ファッション誌、漫画などさまざまな場面で使われました。週刊少年ジャンプのドラゴンボールでも使用されていたため、見覚えのある方もいるかもしれません。
のびやかなデザインの中にやや硬質で構造的な印象を持っているのがこの書体の特徴です。
ゴナは現在も東京駅の新幹線のりばのサインで使用されています。
次に、公共サインによく使われるものとして、1993年に登場したヒラギノ角ゴシックが挙げられます。ヒラギノ角ゴシックはApple社製品の標準フォントであり、Apple社のデバイスでこの記事を表示されている方は、今この瞬間にヒラギノ角ゴシックを目にしているということになります。
また、高速道路の標識にも使用されており、最近では、新宿駅の再開発に伴いリニューアルされたサインにも採用されました。
そして最近、公共サインに採用され始めている書体のひとつが、2017年に筆者が所属するMonotypeが発売した「たづがね角ゴシック」です。渋谷区のサイン計画で導入されるなど、採用が広がっています。
この書体は英文字の部分に、読みやすさに定評のあるNeue Frutiger(ノイエ・フルティガー)という書体が搭載されています。この土地で暮らす私たちだけではなく、海外から来日される方からも読みやすく機能する書体として選択されたことがわかります。
「な」の文字に注目
では、異なる時代にデザインされたこれら3つの書体を比較してみましょう。
上図の中で、特にひらがなの「な」に注目してみてください。
1970年代に発売されたゴナは、筆画の水平線がしっかり強調されており、機械的なニュアンスを含んでいます。そして、1990年代のヒラギノ角ゴシックは、それよりもやわらかな印象となりました。2010年代のたづがね角ゴシックでは、より手書きに近いデザインが採用されています。
最近の世の中の流れとして、親しみやすさや柔らかさを感じられるものが好まれる傾向が見られますが、書体のトレンドも例外ではありません。
今回取り上げている書体がデザイン・発売された年代は、おおよそ20年刻みになっています。ひとつの日本語書体を制作するのには、ひらがなやカタカナだけではなく、数千から数万の漢字を制作する必要があり、2、3年の期間を要します。
そして、それらの書体が発売されて世の中に定着するまでに、数年から10年ほどかかると言われています。そのため、その時々のトレンドがダイレクトに反映されるわけではありませんが、時代の空気を徐々に反映していることがわかります。
長い時間をかけて景色の一部になる
世の中に書体は日本語だけでも3000種類以上あるといわれますが、完璧な書体というものは存在しえません。
公共サインであれば、設置されている環境によって最適な書体というのは変化します。また、ファッションのトレンドに見られるのと同じように、書体もかつて古いと言われたものが斬新に見えるなど、その時代を生きる人の受け取り方によって変わってきます。
多くの書体の中からひとつの書体が選ばれて、それが私たちの日常に馴染み、長い時間をかけて日本の景色を形づくっているのです。
(土井 遼太 : 書体デザイナー/グラフィックデザイナー)
08/22 08:30
東洋経済オンライン