ロシア領侵攻でゼレンスキーは「勝ち馬」になれるか

2024年8月15日、ロシア軍が飛ばしたドローンに対し銃撃を試みるウクライナ軍兵士(写真・Anadolu/GettyImages)

2024年8月6日から始まったウクライナ軍によるロシア西部クルスク州への突然の越境攻撃から2週間が過ぎた。2024年8月17日付「ウクライナ軍がロシア領内反攻に成功した理由」で筆者は、越境攻撃がウクライナ側の計画通りに順調にスタートしたことを報告した。

その後、戦況はどうなっているのか。また、ゼレンスキー政権とプーチン政権の動きはどうなのか。今後、情勢を見守るうえでのポイントは何かなど、最新の情報をまとめてみた。

越境作戦の成果に手応え

今回の越境作戦の順調な滑り出しを受け、ウクライナは今、達成感にあふれかえっている。それもそうだろう。今後の戦争の帰趨を懸け、アメリカなど西側パートナー国に対しても内密に準備し、満を持して始めた越境作戦が当初の狙い通りに戦果を出しつつあるからだ。

本稿執筆段階では、ウクライナ軍はクルスク州への越境攻撃により約1250平方キロメートルの地域と計92の集落を制圧したと主張している。さらに占領地を拡大している。

これに安堵したのだろう。作戦に関してこれまで口数が少なかったゼレンスキー大統領も、達成感を初めて饒舌に語り始めた。2024年8月19日、政府主要幹部を集めた演説でこう自賛している。

「われわれが完全に準備した作戦を実行すれば、ウクライナ内の占領地だけでなく、ロシア領内であっても、プーチンには対抗できる術はない」

「完全に準備した作戦」。ゼレンスキー氏の頭にあったのは、世界に対し事前に開始を公言しながら結局、準備不足から失敗に終わった2023年夏の第1次反攻作戦の苦い記憶だろう。

当時、この失敗でウクライナ軍の作戦遂行能力に国際的に疑問符が付いた。ウクライナからすればあの時、アメリカから「早く反攻を始めろ」と言われながら、バイデン政権から必要な武器支援を十分得られなかったという悔悟の記憶がある。

それに比べ、今回は自らの手で完全に準備した作戦だという自負が滲む。アメリカからの横やりを避けて、自分の思い通り作戦を組むという強い思いから、事前に作戦計画をアメリカ政府にはまったく伝えなかった。ゼレンスキー政権の中でもほんの一握りの最高幹部しか知らない完全な秘密作戦だった。

確かに今回も、ウクライナは望んでいるアメリカの軍事支援を全部は受けていない。アメリカが供与した兵器によるロシア領内への攻撃を巡り、地域的制限を全面的に解除するという希望をまだ実現できていないのだ。

ゼレンスキーの4つの狙い

しかし、クルスク州で始めた今回の越境作戦を順調に行うことで、ウクライナ軍は自前での反攻作戦遂行能力を米欧側に誇示したかったのだ。それによって、秋のアメリカ大統領選を前に「勝ち馬(ウクライナ)に乗れ」との機運をワシントンで高め、アメリカから軍事支援をさらに引き出したいとの狙いが浮かび上がってくる。

そんなゼレンスキー氏の必死の思いがこの演説に滲み出ている。

「数カ月前、ウクライナが今のクルスク州での作戦を計画していると知ったら、世界中の多くの人々は、それは不可能だ、と言っただろう」

一方で、今回の越境作戦にはほかにもいくつかの狙いが仕組まれているのが特徴だ。この作戦遂行能力の誇示以外に、越境作戦の背後にあるゼレンスキー大統領の狙いとは何なのか。大きく分けて4つある。

まず1つは、ロシア側との間で将来、何らかの停戦交渉などの外交交渉に向けて、新たな交渉カードを手にすることだ。ウクライナは2024年11月にウクライナが提唱した和平案を協議する「世界平和サミット」の第2回会合開催を準備している。

ゼレンスキー政権としてはこの会合に向けて、「ロシア領に占領地を確保した」との既成事実を背景に「力の立場」で交渉に臨む、という新たな交渉力を得ることを狙っている。ウクライナは、世界平和サミットに向け、今後もクルスク州以外でも何らかの軍事的な既成事実を積み上げたいところだろう。

第2の狙いとしては、クルスク州に占領地を有することでここを一種の緩衝地帯とし、今後のロシア側からの攻撃ペースを鈍らせることも狙っている。

さらに3つ目としては、ロシア軍には予備兵力面でも保有武器量の面でも、実は戦力上の余裕が少なくなっており「もはやロシアとのエスカレーションを恐れる必要はない」とのゼレンスキー政権の見方を実証するという狙いが潜んでいる。

先述したように、バイデン政権はこれまで、ロシア領内に対するアメリカ製武器による攻撃の全面解除を許していない。全面解除すれば、ウクライナ側の大規模攻撃がプーチン政権を怒らせ、戦争がさらにエスカレーションすることを恐れていたからだ。

しかしゼレンスキー政権からすれば、こうしたバイデン政権の現在の方針について、ロシア軍の実力を買いかぶり過ぎと考えているのだ。

プーチンへの批判が高まるか

これら軍事面での3つの狙い以外にも、ゼレンスキー政権はクルスク州を占領することでプーチン体制を揺さぶるという政治的狙いもある。越境作戦開始から2週間経っても、プーチン大統領による占領地奪還の動きが緩慢だ。

キーウの軍事筋は、ロシア軍がクルスク州に向けてウクライナのザポリージャ州やヘルソン州といった占領地から部隊を動かすことについて、「戦場での長距離移動はそれほど容易ではない」と指摘する。今後、越境作戦への対応を巡りさらに手間取れば、プーチン政権へ批判が高まるのは確実だ。

とくに今注目されるのが、クルスク州のセイム川以南とウクライナ領との間の地域に取り残された状態に陥ったロシア軍部隊の行方だ。セイム川にかかる3本の橋はウクライナ軍によっていずれも落とされたか、使用不能状態に陥った。

このため規模は不明だが、ロシア軍部隊は完全に出口のない状態に陥っている。ウクライナ軍はいずれこの部隊は降伏せざるをえなくなるとみている。仮にそうなれば、プーチン政権の権威失墜がいっそう強まるだろう。

ウクライナ軍はすでに、クルスク州の占領地に軍司令部を設置している。この狙いはたんに軍事的占領の機構化だけではない。法的に未整備なロシアの地方制度とは異なり、住民の法的権利も意識した、住民にやさしいウクライナ軍の占領制度をロシア人住民に見せることで、プーチン政権への失望感を高めるとの思惑もひそんでいる。

ゼレンスキー政権はロシア国内での予想していなかった展開に注目し始めている。2023年6月に起きたプリゴジン派反乱事件を契機に軍部への不信感を強めているプーチン氏が、クルスク州における反撃作戦の総監督役にプーチン氏個人の警護隊メンバーだったアレクセイ・ジュミン大統領補佐官を任命したとの情報がモスクワに一時出回り、衝撃が走ったからだ。

プーチン政権と軍に溝

仮にそうなれば、クレムリンの執務室で大統領に作戦上の報告をするのは、ジュミン氏になる。本来ならゲラシモフ参謀総長など軍トップが就くべき役回りだ。プーチン氏と軍部との間でも溝がさらに拡大したと言える事態だ。

その後、ジュミン氏起用の情報は立ち消え状態となったが、会議の場で越境攻撃を阻止できなかったゲラシモフ氏をプーチン氏が面罵したと言われており、クレムリンと軍部という2つの権力機構の間にさらなる溝が生まれた可能性は高い。

プーチン氏は2024年5月に大統領5期目に就任した際、ショイグ国防相を解任した。その後も国防省幹部の汚職事件の摘発を進めるなど、軍部への締め付けを強化している。この背景には、軍部に対する自分のグリップが弱まっていることを懸念するプーチン氏の危機感があったといわれる。

プーチン氏にとってクルスク州など自国内に大規模な軍部隊を展開することは、ウクライナ侵攻作戦とは違い、国土防衛という問題だけでなく自らに対する軍事クーデターが発生する潜在的危険性をもつねに意識しておかなければならない重大な問題だ。

プーチン氏と軍部との溝に着目したゼレンスキー政権は、ロシアでの破壊工作を担当するウクライナのブダノフ国防省情報総局長を使って、何らかの大掛かりな破壊活動を展開し、プーチン氏と国民あるいは軍部との間の不満拡大を図る可能性もある。

(吉田 成之 : 新聞通信調査会理事、共同通信ロシア・東欧ファイル編集長)

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