プーチンと国民の離反を狙うウクライナ軍の戦略

ウクライナ東部・ドネツク州で砲弾を点検しているウクライナ軍兵士(写真・Anadolu/GettyImages)

全世界を驚かせたウクライナ軍による電撃的なロシア西部クルスク州への越境攻撃開始から2024年9月6日で丸1カ月。越境作戦は続く一方、プーチン政権は第2次世界大戦以来、初めての自国領土侵略を撃退する目途をいまだにつけることができないでいる。

今ゼレンスキー大統領が本当に狙っているものは一体何なのか。それはプーチン政権にどのような影響を与えるのか。「ゼレンスキー戦略」の実像に迫った。

今回のクルスク越境攻撃について、2024年8月21日付「ロシア領侵攻でゼレンスキーは『勝ち馬』になれるか」で、侵攻の狙いについてこのよう に書いた。

〈ゼレンスキー政権は、ロシア領に占領地を確保したとの既成事実を背景に「力の立場」でロシアとの交渉に臨む、という新たな交渉力を得ることを狙っている〉

クルスク侵攻は「第2次反転攻勢」だ

これはこれで間違いではない。しかし今回の越境作戦はゼレンスキー政権が描いている、より大きな絵柄の戦略の一部に過ぎず、その戦略全体は、より多角的なものだということがわかった。

その意味で今ウクライナがロシア西部クルスクで始めたことは、単なる局地的作戦ではない。2023年6月に始めたものの、ロシア軍の頑強な防衛線を突破できず、頓挫した反転攻勢に続く、第2次反転攻勢と呼ぶべき作戦である。

ただ、今回の第2次反転攻勢の計画内容は第1次攻勢とはまったく性格が異なるものだ。その特徴は何か。

第1次反転攻勢は、ウクライナ東・南部などでロシア軍の防御線突破と被占領地奪還を目指した純軍事的作戦だった。これに対し今回は、攻撃対象を軍事目標だけに絞っていないのが特徴だ。

これは純軍事作戦に加え、すでにウクライナが一足先に始めていた各地の石油精製施設など重要経済関係施設へのドローン攻撃などを組み合わせた複合的作戦だ。プーチン政権に対し、軍事・経済両面で深刻な打撃を加えるのが狙いだ。

さらに、作戦の地理的広がりという点でも、ウクライナ東・南部が中心の地域戦だった第1次反転攻勢とは大きく異なる。西部国境州であるクルスク州に越境攻撃する一方で、首都モスクワを含めより広範な地域を攻撃対象としている。

大都市住民に「戦争の恐怖」を与える

その象徴が、2024年9月1日未明にモスクワ及びその周辺で起きたエネルギー関連施設への大規模なドローン攻撃だ。ウクライナ軍にとって、侵攻開始以来最大規模のドローン攻撃だった。首都の日常生活を脅かすことでロシア国民の心理的不安感を高めることも狙っている。

ウクライナはなぜ、モスクワなど大都市への圧迫を強めているのか。それは、今まで侵攻作戦に動員された住民の数が地方と比べて極めて限定的で、事実上の優遇を受けてきた大都市住民をして、戦争の恐怖を肌身で強く感じさせるためである。

大都市住民は地方の住民に比べ、本音では侵攻反対の声も比較的には多いとみられる。しかし動員もされず、反戦的言動への弾圧も厳しいために、侵攻を続けるプーチン政権に対し、反対の声を上げることもなかった。

結果的にそういう彼らが戦争継続を支えてきたと言える。最近、キーウを取材した際、ある市民は筆者に対し「ウクライナに親族や友人も多いモスクワなどの大都市住民は非道徳的だ」と批判したのが印象に残っている。

ゼレンスキー政権は今回、こうした大都市部への軍事的圧力を加えることでロシア国民の厭戦気分を高め、プーチン氏からの大都市部住民の離反を狙っているのだ。

その意味で、ゼレンスキー政権が始めた今回の反転攻勢はプーチン政権の支持基盤を切り崩すという政治的効果を狙った「戦略的攻撃」と位置付けることができる。

この大都市部住民には、一般市民のほかに、プーチン政権を支える屋台骨である軍高官、オリガルヒと呼ばれる大財閥層も含まれる。かなりの数の軍高官にとって、現在進行している国防省高官に対する汚職容疑での逮捕ラッシュで、戦争どころではない状況だろう。

オリガルヒたちも西側からの経済制裁の強化で、ビジネス上も財政上も厳しくなっているとみられている。その意味で、クルスクへの侵攻を防げなかったプーチン氏への不満はじわりと広がっているのは間違いないとウクライナ側はみている。

ウクライナが行った捕虜への聞き取り調査

ではなぜゼレンスキー政権はそう判断しているのか。それは、ウクライナがクルスク越境作戦で捕虜となった軍人や治安機関、ロシア連邦保安局(FSB)の要員から、プーチン政権に関して大規模な聞き取り調査を行ったからだ。

ウクライナ国防省のブダノフ情報総局長自身が直接入念な聞き取りを行った結果、クレムリンに対する不満や怒りが高まっていることを確認したといわれる。

現在のクルスク州への侵攻がロシア国民に与えた衝撃が大きかったのは間違いない。しかしウクライナは、国民の「離反効果」という面でクルスク越境作戦だけでは、満足していないとみる。キーウの軍事筋も離反戦略の決め手として「別の軍事作戦を計画しているはずだ」と指摘する。

とくに政治的離反効果という意味では、同軍事筋は今後、モスクワ周辺など大都市部に大きな攻撃を加える可能性もあると話す。ゼレンスキー氏自身が最近、ドローン型ミサイル「パリアンツィア」を開発済みで、すでに攻撃にも使用したことを明らかにした。このミサイルは射程が700キロメートルと推定されている。

これ以外にも、初の自国製弾道ミサイルを開発したことも明らかにしている。軍事筋は今後、こうしたミサイルでモスクワなど大都市部を攻撃することもありえると軍事筋は言う。仮にそんな事態になれば、ロシア世論はパニック状態に陥るだろう。

いずれにしても、「パリアンツィア」や弾道ミサイルの開発に成功したことは、ウクライナが独自にロシアへの長距離爆撃能力を保持したことを意味し、今後の戦況への潜在的影響は大きいだろう。

ほかにもロシア本土とクリミア半島を結ぶクリミア大橋への大規模攻撃も今後に向けた可能性の1つとして挙げられるだろう。

ゼレンスキー政権としては、攻撃対象がどこであれ、クルスク越境作戦と同等かそれ以上のインパクトを与える軍事作戦を近く実行することで、国内政治的にプーチン政権を一層の窮地に追い込むことを狙っているだろう。

こうした軍事的優位を背景に、追い込まれたプーチン政権に対し「力の立場」で停戦交渉を提案し、1991年の国境線までのロシア軍の撤退などを求める構えとみられる。

アメリカの了解を得たいゼレンスキー

ゼレンスキー氏は2024年8月末の記者会見で、9月後半に訪米して、ウクライナの戦勝を骨格とした戦争終結案をバイデン大統領に提示する意向を初めて表明した。11月のアメリカ大統領選で争うハリス副大統領とトランプ前大統領にも内容を伝えるという。

ゼレンスキー氏はこの戦争終結案の具体的内容を明らかにしなかったが、先述したように軍事的優位性をバックにしたロシア軍撤退交渉案が念頭にあるとみられる。

この戦争終結案でアメリカとの合意を急ぐ背景には、バイデン政権がウクライナによる自国防衛を助ける一方で、ウクライナに向かっては戦場でプーチン政権を軍事的に敗北させると明言してこなかったことがある。

プーチン政権を崩壊させればロシアが大混乱に陥り、核兵器の管理も危うくなる状況を恐れているとみられている。これが、ゼレンスキー政権が、最大の軍事支援国であるアメリカに感謝すると同時に、これまで不信感を抱いてきた理由である。

ゼレンスキー氏としては、今回終結案を巡り、バイデン政権などとの間で合意ができれば、近い将来ウクライナを戦場での「勝者」にすると確約を得て、それに見合った軍事支援を得ることを意味する。

ゼレンスキー氏は逆に終結案で合意できなければ「ウクライナの軍事的敗北につながり、それはアメリカの責任になる」として、アメリカ側を強く牽制する構えという。

ATACMSによる攻撃が可能になるか

一方でゼレンスキー政権には、軍事作戦面の別の緊急課題がある。アメリカが供与した地対地ミサイル「ATACMS」(射程300キロメートル)のロシア領内への使用をバイデン政権に認めさせることだ。

現在ロシア軍は、自国上空にいる戦闘機などからウクライナに向け滑空誘導弾を発射し、多くの市民に犠牲者を出している。ウクライナとしてはATACMSなどでロシア領内にある空軍基地を叩き、滑空弾を搭載したロシア機が飛べないようにするしか打つ手はないとみている。

しかしバイデン政権としては、ロシアとのエスカレーションにつながることを警戒して、ATACMSのロシア領内への使用を認めていない。

この問題を巡り、ウクライナはイギリス、ドイツ、フランスの3カ国を巻き込んでバイデン政権と協議を続けている。ウクライナに同情的な3カ国からの後押しを期待している。

ウクライナに武器支援していない日本は現在、この問題の協議から外れている。しかしウクライナ情勢は極めて重要な時期を迎えている。ゼレンスキー政権が戦争の帰趨を懸けて始めた、新たな反転攻勢に対し、日本政府がしっかり何らかの支援を行うべきと考える。

(吉田 成之 : 新聞通信調査会理事、共同通信ロシア・東欧ファイル編集長)

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