なぜ戦争に訴える?ロシアの根源感情を読み解く

ロシア

ロシアの「憂鬱」は、深い根源的な原始性から直接漂ってくる、人間存在そのものを襲う憂鬱であった(写真:himagine9221/PIXTA)
ロシアの文明を特徴づける精神性があるとしたら、それはドストエフスキーが描いたような「地下生活者」が、陰鬱さからの解放を求める狂気かもしれません。文明論者の佐伯啓思氏がロシアの根源感情を読み解きます。
※本稿は、佐伯啓思氏著『神なき時代の「終末論」』から一部を抜粋・編集したものです。

文明の根源感情

『西洋の没落』のシュペングラーは、歴史上の文明には、その文明を特徴づける「根源感情」があり、それを象徴するものがあるという。

古代ギリシャ文明を特徴づけるものは明晰で調和のとれたアポロン的精神であり、西欧文明を特徴づけるものは、未知なるものを求め、万象を知り尽くし、生の可能性をあますところなく享受するというファウスト的精神だという。この果てしない欲望にこそ西欧の「根源感情」があるというのだ。

もちろん、「根源感情」という概念は、科学的でもなければ正確に定義できるものでもない。曖昧な言い方でしかない。まったく学術用語にはならない。またその内容も何かひとつに限定されるものでもない。

しかし、あえてひとつの文明をひとつの言葉で象徴させるというこのやり方は、ある意味では、その文明の本質を印象的に取りだすことにもなりうる。そこで、改めてロシアの根源感情について考えてみたい。

若いときにロシア文学に傾倒していた井筒俊彦は、戦後しばらくたって書かれた『ロシア的人間』(1953年)において、それをまずは、「ロシア的現象としての混沌」に求めている。

この根源感情は、人間的な営為のすべてを飲み込む「原初的自然」である。すべては大自然、母なる大地へとつながっており、人間の営みも文化も原初的な自然から切り離すことはできない。それは、人間と自然を分離し、自然を人間という主体に従属するものとみなす西欧の知性的な文化と対極にあった。

「ロシア人にあっては、自然と人間の魂の間には血のつながりがある」のだ。このつながりがなければロシア人ではない。そしてそこに、自然を対象化し合理的に理解しようとする西欧文化に対する強い反発も生まれるのであろう。

だが、この根源的な自然にまで降りて人間性をみるとは、その根源にほとんど理解不能な深く暗い闇をみることでもあろう。そこにロシア独特の「陰鬱」や「憂鬱」が立ち現れる。

ドストエフスキーの『地下生活者の手記』のように、地下室の真っ暗な闇、病的な陰鬱さのさなかをロシア的精神はあてどなくさまようことになる。

それゆえ、ロシアの「憂鬱」は、たとえばパリにいたボードレールのように文明化された都市的人間を襲う憂鬱とはまったく違っており、深い根源的な原始性から直接漂ってくる、人間存在そのものを襲う憂鬱であった。

だからこそ、逆にまたこの陰鬱な原始の森からの全面的な解放をロシア人は求める。そこに「自由への熱狂的な情熱」がでてくる。それは、西欧近代思想が理性の旗のもとに掲げた「自由への平等な権利」や「幸福追求の権利」などというものとはまったく違っている。自由と解放は、地下生活者が逆説において求める狂気というべきものであろう。それはロシア流の「革命の精神」なのである。

国境が確定しない不安定な国家

ロシア史をざっと眺めれば、ロシア的な憂鬱は、実に歴史的背景をもっていることがよく分かる。それはまずは何より、その地理的条件をみれば一目瞭然だろう。

時代区分を無視して大雑把にいえば、ロシアの東には、13世紀から17世紀初頭まで巨大帝国を作った騎馬民族のモンゴル帝国がある。西には、反宗教改革の戦闘教団というべきイエズス会のカトリック大国ポーランド王国と、13世紀以来のローマ・カトリック大国リトアニア大公国がある。

その北方にはドイツ騎士団がいすわり、大国スウェーデン王国がかまえている。ポーランド王国の背後に神聖ローマ帝国、後にはプロシアが控え、その南にはハンガリー王国とその後続であるオーストリア・ハンガリー帝国が横たわる。さらに南にいけば、イスラム教のオスマン帝国が陣取っている。

実際、13世紀から始まったモンゴル支配と時を同じくして、西のリトアニア大公国が、現在のウクライナ、ベラルーシからロシア西部に侵入し、14世紀にはこの地域を支配する。また、バルト海沿岸には、スウェーデン王国とドイツ騎士団が控え、海へのルートを確保したいロシアはこれらの国々とも戦わねばならなかった。

17世紀にはポーランドとの間に13年におよぶ戦争があり、18世紀に入るや、ピョートル大帝のもとで、ロシアはスウェーデンとの大戦を経験する。この戦争に勝利してバルト海沿岸は手に入れたものの、次は南方である。

スウェーデンとの戦争の後、18世紀を通じてトルコと戦い(露土戦争)、19世紀になると、クリミア戦争があり、また露土戦争が勃発する。ことほどさように、ロシアの歴史は、周辺の大国との戦争の連続であった。

長い間、これだけの巨大帝国、強国にはさまれた、国境が決して確定しない不安定な国家がロシアなのであった。だから、ロシア人の心の内には、常に周辺に脅かされるという底知れぬ恐れと、それに耐え忍ぶ途方もない忍耐力と、いっきに形勢逆転をはかる軍事力を手に入れ、勢力を拡張するという「力への意思」というようなものがあっても不思議ではない。

戦争とは祝祭である

神なき時代の「終末論」 現代文明の深層にあるもの (PHP新書)

ロシア正教会は、基本的に、ロシアを守る戦争には好意的である。決して平和主義ではない。兵士も武器も神によって祝福されると考える。その延長で、ロシア正教会は、ロシア防衛のための核兵器の使用を認めているのである(角茂樹『ウクライナ侵攻とロシア正教会』〈KAWADE夢新書〉参照)。

そして、これはロシア人の一般的な気分の、少なくともある部分を示しているようである。それを亀山陽司は次のように述べている(『地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理』〈PHP新書〉参照)。

「ロシアにとって戦争とは、単なる防衛でもなく、単なる侵略でもない。それは巨大な『祝祭』であり、国民によって何度も追体験されるべき歴史的記念碑である」

戦争は「祝祭」のごときものだ、というのは面白い表現だろう。私はつい、あのチャイコフスキーの「序曲1812年」を思いだしてしまうが、これなどまさに戦争を祝祭として描いたかのように聞こえる。確かに列挙するのも面倒なほど、ロシアの歴史は対外的な戦争の連続であった。そして、亀山の前掲書によると、19もの「軍事的栄光の日」が法的に定められているそうである。

(佐伯 啓思 : 京都大学こころの未来研究センター特任教授、京都大学名誉教授)

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