中国の天才エンジニアが語る日本AI開発の潜在力

都内のカフェにルイ・ヴィトンのキャップで現れた郭宇氏。日本での生活を満喫している様子だ(写真:筆者撮影)

まやFIRE(経済的自立と早期リタイア)へのあこがれは、世界共通にみられる現象だ。それを実現して日本移住を実現したITエンジニアの郭宇氏(中国「勝ち組ITエンジニア」日本移住の満足度)は現在、AI分野で起業に挑戦中だ。アメリカとならぶAI開発大国となった中国から来た郭氏は、日本の状況をどうみているのか。

AIについて日本政府や日本の大手企業は独自モデルの創出を推進している。日本におけるAI研究の第一人者で政府のAI戦略会議の座長を兼任する松尾豊・東京大学大学院教授は、日本のとるべき戦略の1つが「大規模言語モデルを日本の国や企業が自ら開発することです」とメディアのインタビューで答えている。

実際に、日本企業は相次いで日本語特化型の大規模言語モデル(LLM)開発に参入を表明しており、岸田文雄首相も今年の施政方針演説で、「AIについては、規制と利用促進を一体的に進めます」と前向きな姿勢を示した。

「独自モデルの成功はありえない」

だが、郭氏からすると独自開発の動きは世界的なAI開発の波に「乗り遅れてはならない」という不安から出発しており、「各国独自モデルの成功はありえない」と一刀両断する。

「各国のセキュリティ審査や政策のリスクに応じて若干調整することはあるかもしれませんが、基本的にLLMはすべて同じモデルで動いていて、最終的には同じ結果になるのです。実際は、ほとんどの開発企業は『地域限定製品』に手を出しませんし、顧客側の企業もそのようなものを使用しません。すべての企業は常に、最も競争力が高い製品に殺到します」

日本はどのようなAI戦略を取るべきなのか。郭氏が強調するのは「人材密度」という考え方だ。ある地域でAI業界を振興するには、一定程度以上のエンジニアの厚みが不可欠だとみる。そのために、日本では中国人エンジニアの活用が鍵になるという。

「特にAI分野で、多くの中国人エンジニアが日本に移住したいと考えています」と郭氏は話す。

海外の対話型AIモデルを使うと、機械学習のためネット上で膨大な量の情報を収集・分析することになる。だが、中国では政治的にセンシティブな言葉を除外する必要があるため、どうしてもアメリカ発の最新モデルをそのまま活用することが難しい。そうした背景のもと、中国人エンジニアにとって海外への転職が自然に視野に入ってきているのだ。

AI開発企業は中国人だらけ

郭氏の知っているだけでもバイトダンスのAIラボで働いていた元同僚3人が東京大学でAI研究に従事している。そして、AI開発の雄、Open AI社にも多くの中国人エンジニアが勤めていると話す。

「OpenAIやApple、Metaが発表した最新のAIに関する論文の筆者や貢献者には多くの中国人やアメリカ在住の華人が含まれています」と郭氏。実際に論文を検索すると、中国人らしき名前は、日本人とは比べ物にならないほど頻出している。中でも、トップランナーであるOpenAIに勤めるエンジニアについては「半分から3分の2ほどが中国人ではないか」と郭氏は推測する。

そもそもなぜAIの世界に中国人エンジニアが多いのか。郭氏は「過去10年で北京の多くの大学が多くのAI人材を輩出し、それらの人々は企業で高密度に訓練され、複雑な問題をどうエンジニアリングするかを学びました。コロナ禍以降、その多くは中国を離れてアメリカで働くことを選んだからだと思います」と語る。

一方で、新天地を目指す中国人にとっては、アメリカでのビザ取得が難しくなっている。そうした背景のもと、ビザの取得しやすい日本が移住先として存在感を高めているというわけだ。

しかし、こうした人材は日本に来ることはあっても日本企業は選ばず、グーグルなどの外資に就職するのが一般的なのだという。日本企業が流暢な日本語を事実上の応募要件としているためだ。

日本では中国人エンジニアを排除しようとする動きが一部であるのも事実だ。2019年には大澤昇平・東京大学大学院特任准教授(当時)が、自身が経営するAI関連会社について「弊社Daisyでは中国人は採用しません」「そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします」などツイッター(当時、現在はX)上で投稿し炎上。その後、東大に懲戒解雇される事態に発展した。

郭宇氏のバイトダンス時代の社員証。5、6年前でも上級エンジニアの基本給は約2500万円だったという(写真:郭宇氏提供)

悪条件は日本語の壁、中国への警戒感にとどまらない。郭氏は「日本企業はエンジニアの給与水準が低すぎる」と指摘する。前職のバイトダンスでは5、6年前の時点で、iOSアプリを開発するような上級エンジニアの基本給は約2500万円だったという。これとは別にストックオプションがつくのが一般的なので、日本企業との差はさらに大きくなる。

日本では、高度人材獲得へ向けた受け入れ体制の整備はまだ緒に就いたばかりだ。そういった意味では、日本でAI業界を盛り上げるためには、短期的にはより多くの日本人エンジニアを育成する方が近道かもしれないと郭氏は話す。東大や東京工業大、東北大といった教育機関の水準は十分に高いためだ。

日本の状況を踏まえてアプリ開発

日本がAI業界を盛り上げていく上での優位性について、郭氏は「条件が熟した市場が存在すること」を挙げる。コロナがきっかけでデジタル化に向けたシフトが明確になり、この動きは相当長く続く上、マーケットもあるとみる。決めるのは遅いが、一度 決めたらその方向を推し進めるという日本の特性が現れているとの見立てだ。

さらには、中国市場に事実上入れなくなったことで、海外のAI関連アプリ企業にとって日本は無視できない第2もしくは第3の市場とみなされるようになっていると指摘する。

こうした日本の状況を踏まえ、郭氏は長期的にはAIに基づいた「感情伙伴(情緒パートナー)」のアプリを開発する予定なのだという。

「情緒パートナー」とは何なのか。それは次世代SNSのようなものと言える。第1世代SNSのFacebookはプロフィールなどを入力し、人とつながるプロダクトだった。

一方、第2世代のTikTokやInstagramリールはアルゴリズムに基づいたコンテンツ主体のプロダクトだった。

だがこの第2世代の難点は、ユーザーが関心を示す傾向を読み取る能力が高すぎるため、ユーザーの興味が変わると以前フォローした人の発信するコンテンツが届かなくなることだった。出てくるのは新しいコンテンツばかりで、人と繋がりたいという普遍的な欲求を満たすのは以前と比べて逆に難しくなっているのだ。

生成AIも、今のところユーザーに対して論理的ではあっても、いかにも人工的な受け答えしかできない。だが、AIモデルの更なる進化で、たとえ本当の人間でなくてもユーザーを手助けできるパートナーのようなものが作れると郭氏は考えている。

AIの将来については、汎用人工知能(AGI)の開発といった長期的な目標よりは、まずは次の一歩としてまもなくスマホやコンピューターにAIが搭載され始めることに注目する。アプリが以前より格段に高性能になるので、全てのアプリを再開発する必要があり、すでに流行っているアプリにとっては一気に廃れかねないリスクがある。

近くアプリの世界で大転換が起きる

ニューカマーの郭氏にとってはチャンスということなのだろう。彼は、 「来年から再来年にかけてAppleがAIの能力を徐々に向上させた後には、アプリの世界では天地がひっくり返るような変化が起こる可能性がある」と予測する。

また郭氏は、今後中国人がアメリカを中心にAI関連企業を世界各地で創業していくだろうと予測する。「中国人がアメリカや日本で創業していくと思います。アメリカでもスタートアップができますが、創業者や(開発)チームは中国人ということになりそうです」。

アメリカでは金利の引き下げが秒読み段階になっており、スタートアップには追い風となる。今後数年で多くの企業が誕生していくと予測する。

さすがアメリカと並ぶAI開発大国から来ただけあって、郭氏の指摘は日本ではあまり聞かない新鮮なものばかりだった。OpenAIが日本にアジア初の拠点を築くなど、滑り出しが順調な日本のAI戦略だが、中国的視点を取り入れるとその可能性はより広がるのではないだろうか。

(舛友 雄大 : 中国・東南アジア専門ジャーナリスト)

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