中国「勝ち組エンジニア」が語る日本移住の決め手

バイトダンス勤務時代の郭宇氏(左)。その後にFIREして日本移住を選んだことで一躍有名人となった(写真:郭宇氏提供)

日本への移住を宣言して、中国全土を大いにざわつかせたITエンジニアがいる。彼はどうして日本を選んだのか。そして日本に長く居続けるつもりなのだろうか。

コロナ禍が始まってほどない2020年2月、当時28歳の郭宇氏は微博(Xに似た中国のSNS)で、中国最大のユニコーン企業(当時)でTikTokなどを運営するバイトダンスから早期退職することを宣言した。そのうえで日本に移住すると表明し、ほぼ無名だった彼は一躍時の人となった。

多くの同業者が「996(朝9時から夜9時まで、週に6日間の勤務)」で働かされている中で、「90後(1990年代生まれの世代)」の彼が早々にFIRE(経済的自立と早期リタイア)を実現したためだ。普通の家庭出身で、まったく自力でキャリアを築いたところも共感を呼んだ。

著名雑誌『人物』をはじめとする多くの中国メディアが彼のインタビュー記事を掲載。「知乎(Yahoo!知恵袋のような質問と回答が閲覧できるプラットフォーム)」に寄せられた彼に関する投稿は論争を呼び、閲覧数は1000万を超えた。

大学入学後にプログラミングに挑戦

郭氏は、中国南東部の江西省出身。子供の頃に今やテック都市として知られる広東省深圳市に移り住んだ。大学受験が終わるや否やプログラミングに挑戦した。父親が10年以上病に伏せ、その後植物状態となったこともあり、早くから経済的な自立を目指していたことがその理由だと明かす。

「家庭の経済的な苦境を目の当たりにするのが辛くて。それで自力で自分の住む場所を確保したかったんです。素朴な考えですね。大金を稼ごうと思ったわけではありません」

その後、郭氏は広州市の名門・曁南(きなん)大学に進学し、行政学を専攻した。しかし行政学への本人の関心は薄く、むしろプログラミングにより一層のめり込んでいった。

在学中にアリババ傘下のアリペイでインターンを開始し、同社のキャッシュレス決済の初期開発にエンジニアとして関わった。2013年にはアリペイを離れ、友人が北京・中関村地区で始めたスタートアップに加入した。

当時、有名大学や大手テック企業の集まる同地区にはインキュベーター(ベンチャー企業を支援する組織)があちこちで立ち上がり、スタートアップの黄金時代といえるほどの活気があった。そして、程なくしてその会社がバイトダンス社に買収されたのだった。

彼は都心に2軒の住宅を所有しているほか、長野・安曇野と沖縄・宮古島に借りている邸宅にも季節に応じて滞在する。

愛車は3000万円する高級車のマイバッハ。また、JR東日本の運営する豪華列車「四季島」にも2度乗ったことがあるという。2023〜2024年にかけての年末年始には、タヒチのプライベートアイランドに2週間滞在し、その総費用は1200万円とのこと。こうしたライフスタイルから、彼の金回りのよさは想像できる。

大学入学後、プログラミングを学び始めたころの郭宇氏。経済的に自立するため必死だった(写真:郭宇氏提供)

2022年春の上海ロックダウン以降、中国を脱出し海外へ移住する「潤」(中国語の発音表記でRun。英語のRun(逃げる)とかけて、中国を脱出することを意味する)が大流行した。

郭氏も、コロナ禍以降、多くの中国人にとってそうだったように、日本が移住目的地として初めて「選択肢の1つ」になったと振り返る。

日本を選んだ経緯について郭氏はこう語る。「完全に個人的な観点から(の決定)でした。生活のクオリティがよく、私有財産権の保護がしっかりしている。同時に政策が安定していて、変化のスピードがあまり速くない。そんな場所を探していたんです。金融面での条件も勘案して、僕が行ったことのあるすべての国をリストアップしたなかで最も高評価だったのが日本でした」。

移住前に日本を92回も訪問

そもそも彼は移住前に、すでに92回も日本を訪れていたというほどの日本贔屓だ。さらに本人は温泉マニアで、日本のほとんどの有名温泉を制覇している。温泉については「何時間でも語れるほど」と笑う。「日本には大小合わせて3万ほどの温泉がありますが、有名どころには全部行ったことがあります」。

日本移住について中国ではどのような反応があったのだろうか?

「中国の教育を反映して、多くのネガティブなものが見受けられます。多くの人が私のような選択を理解できないんです。日本の生活様式や暮らしぶりを知らない人がたくさんいます。だから、私は微博で日本の生活について発信しています。こちらの生活が実際どれだけいいのか、もっと多くの人に知ってもらいたいんです」

郭氏は日本にはずっといるつもりとのこと。バイトダンス社で働いていた時は、休みが2週間に1度しかないほどの激務だったので、日本でゆっくりしたいのだそうだ。

時々会話に日本語を挟む郭氏は、日本各地に同年代の日本人の友達がいると話す。たとえば、千葉の九十九里浜では、一年中サーフィンをしている若者たちに出会い、友達になったという。

「彼らのライフスタイルは、週に4日はサーフィン、3日はアルバイトという感じです。結婚もせず子供も産まず、サーフィンのモーメント(一瞬)を享受しているだけ。日本は社会保障が非常に整っているので、その基礎のもとで非常に多くの自由を追求できます。ほとんどの国では望むべくもないことです」

日本で起業してAIビジネスに傾注

郭氏が本気で日本に長期在住するつもりであることは、日本市場向けに会社を創業したことからもうかがえる。来日後、郭氏はWeb3.0などを業務とする新会社を立ち上げた。最近は経営計画を一新し、AI(人工知能)に注力することを決めた。

現在、11人の従業員を抱える。Xで社員を募集したところ、主に中国から1000通以上の応募があったという。これは決して意外ではなく、中国では景気減速が鮮明で大手テック企業もリストラの嵐が吹き荒れており、エンジニアが就職の機会を探すのに必死になっている。

郭氏が元々社員のためにツイッター(当時、現在はX)に書いた「移民指南」は100万超のアクセスを記録している。

実際に、中国人ITエンジニアが日本に移る動きが少しずつ目立つようになってきた。

ある日本のIT企業に勤める中国人女性は、「10年前ごろから中国のIT企業の発展に伴い、日本で優秀な中国人エンジニアを採用するのは難しくなってきていました。しかし、上海でロックダウンが始まった2022年4月以降には中国の名門大学でエンジニアを専攻した在校生・卒業生から応募が来るようになりました。以前にはなかったことです」と話す。

中国人エンジニアを活用できるか

「(福島第一原子力発電所の)処理水の問題が出てきた後、多くの(中国)メディアがプロパガンダを流しましたが、『985大学(北京大学や清華大学を含む39校の重点大学)』の卒業生など頭のいい人たちは躊躇うことなく日本に来ています」と証言する。

別の日本の大手IT企業に勤める中国人男性は「いま相当な数のITエンジニアが中国から来ています。ただ、ほとんどの人は下請け企業に行っています。『潤』で急いで日本に来た人は準備不足で、日本語スキルが足りないことが主な原因だと思います。日本企業は全般に採用が保守的で、入社には日本語能力を必須としていますから」と説明する。

中国への警戒感の高まる中で、企業が中国人の採用に二の足を踏む傾向もありそうだ。しかし、中国の厳しい環境で鍛えられてきた郭氏のようなエンジニアは、日本企業でも大きな戦力になることが期待される。彼らをどのように受け入れていくのかは、日本の競争力を占う上でも重要な要素となると思われる。

(舛友 雄大 : 中国・東南アジア専門ジャーナリスト)

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