コストアプローチとは? │M&Aの企業価値算定を学ぶ
M&Aにおいて譲渡価額は最も重要な交渉事項の1つです。
譲渡側、と譲受側の利益が相反する内容ですので、何ら指標を持たずに交渉に臨んだ場合、意図せずに安値(高値)で売却(購入)してしまうかもしれません。
そこで譲渡価額の意思決定にあたり参考とするために実施されるのが企業価値算定です。M&Aの現場ではバリュエーションとも呼ばれています。
企業価値算定は、算定目的や案件の性質(経営権の取得するか否か等)、当事者の立場等によって評価上の考え方や採用すべき評価手法が変わります。
そのため企業価値算定には多様な評価手法が存在しますが、一般的には評価における着目点の違いから大きくインカムアプローチ、マーケットアプローチ、コストアプローチという3つに分類されています。
企業価値算定は、複数のアプローチを用いる場合、単一のアプローチを用いる場合などケースバイケースですが、ここでは中小企業のM&Aでも広く用いられるコストアプローチについて紹介します。
コストアプローチの特性や代表的な評価方法、どのようなケースでは向いているのか、向いていないのかなども解説します。
コストアプローチ(ネットアセットアプローチ)とは
コストアプローチは、会社の貸借対照表上の純資産に着目した評価アプローチです。純資産を英語ではネットアセットと呼ぶため、ネットアセットアプローチという名称も一般的に使用されています。
純資産とは一言で説明してしまうと、「貸借対照表の資産から負債を差し引いた差額」ということになりますが、以下では決算書に馴染みが無い方に向けて貸借対照表について簡単に説明します。
貸借対照表とは、決算書類の一つで企業の財政状態を把握するために作成される資料です。英語では「バランスシート(Balance Sheet)」と呼ばれることから、実務上「BS」という呼び方も定着しています。
貸借対照表は借方(左側)に資産の部、貸方(右側)に負債の部および純資産の部で構成されますが、これは、会社の保有する資産が、負債と純資産により調達された資金から取得されたものであることを意味しています。
従って、資産の部の合計金額は、負債の部および純資産の部の合計金額と必ず一致(バランス)することになり、言い方を替えると純資産は資産から負債を差し引いた差額ということになります。
なお、負債と純資産は企業の資金調達の手段という点は共通していますが、負債が債権者に対して返済義務を負うもの(他人資本)であるのに対し、純資産は返済不要で株主に帰属するもの(自己資本)という違いがあります。
例えば、ある会社の保有する資産の総額が100、負債の総額が40である場合、その会社の純資産額は60(=100-40)と算定されます。
従って、コストアプローチは、資産をたくさん保有し、負債が少ない会社ほど評価額が高くなる評価アプローチです。
コストアプローチのメリット
客観性が高い
コストアプローチは、他の評価手法と比較して評価実施者の裁量により変動する要素が少なく、評価結果にばらつきが出にくいため客観性が高い評価方法と考えられています。
ただし、評価の基となる決算書や資産負債を時価修正する際に使用した時価評価の根拠資料が適正であることが前提となっている点は留意が必要です。
算定方法が容易で理解しやすい
コストアプローチは、算定方法がシンプルなため、企業価値評価に馴染みのない人でも理解しやすく、心情的に受け入れやすいというメリットがあります。
コストアプローチのデメリット
将来の収益力が反映できない
コストアプローチは、一時点の純資産額に基づいた評価を行うため、将来の収益力が評価に反映できないというデメリットがあります。
例えば、過去3期連続で黒字の会社と3期連続で赤字の会社がある場合に、評価時点の純資産額が同じであれば2社の株価は同じ算定結果になってしまうため、事業の継続を前提に実施されるM&Aにおいては、評価手法として大きな欠陥があると言えます。
これを補うため、中小企業のM&Aでは、時価純資産額に将来の収益性を加味したのれんを加算する評価方法が採用されることがあります。
市場の取引環境が反映できない
近年、日本ではPBRが1倍を下回る上場会社が多いことが問題視されていますが、PBR(Price Book-value Ratio)とは、会社の純資産額に対して、市場で何倍の株価がついているかを示した指標で「株価÷純資産額」と計算されます。
継続的に利益を計上しているにもかかわらずPBRが1倍を下回る会社が多数存在する一方で、営業赤字が続いている会社でもPBRが2倍を大きく超える会社も多数存在しています。
このように株式市場においては、会社やその会社が属する業種の将来性、注目度、希少性といった要素も株価に大きく影響していますが、非上場株式が譲渡対象となるM&Aにおいても、現実としてこれらの要素は譲渡価額に影響します。
コストアプローチは、このような市場の取引環境を反映することができないというデメリットがあります。
こんな会社、業種には向いていない
コストアプローチは、純資産額に基づいた評価方法であるため、その企業の価値が純資産額に反映されていない会社の評価には適していません。
例えば、成長著しく先行投資が嵩むために純資産が薄い会社や、AIや半導体等、成長性が高く見込まれている業種に属している会社、知財や研究開発の成果に価値がある会社等については、コストアプローチによる評価ではそれらの価値を適切に反映することが難しいため向いていないと考えられます。
代表的な評価手法
コストアプローチの代表的な評価手法には、簿価純資産法と時価純資産法があります。
また、中小企業のM&Aにおいては、時価純資産にのれんを加算する方法(以下「“時価純資産+のれん”法」と呼びます)も実務慣行として定着しています。
補足として、純資産価額方式と呼ばれる税務上の非上場株式の評価手法もあります。
純資産価額方式では、相続税の評価ルール(財産評価基本通達)に従って個々の資産や負債の評価が行われますが、財産評価基本通達は、評価の安全性といった趣旨から特に不動産や非上場株式については納税者に有利な評価ルールが採用されています。そのため、第三者間で行うM&Aの場面で算定される純資産額と比較すると、一般的に割安な評価額が算定される傾向があります。
従って、第三者間のM&Aの場面で使用されるケースは限定的と考えますが、親族内やグループ会社間で非上場株式を移転する場面では、頻繁に登場する重要な評価手法です。
簿価純資産法について
簿価純資産法は、貸借対照表上の純資産額を株式価値とする方法です。
決算書の数値をそのまま使用するため、誰でも容易に算定することができ、評価実施者の判断や恣意性が入る余地が無いことから客観性に優れた評価手法と言われています。
但し、例えば長期間保有している土地や有価証券等、各資産の時価は帳簿価額と大きく乖離していることがあります。また、中小企業の決算書には、損金処理している役員保険や、未計上の退職給付引当金といった、簿外資産・簿外負債があるケースも多いです。
そのため、M&Aの意思決定にあたり簿価純資産法による評価額がそのまま採用されるケースは限定的と考えられます。
時価純資産法について
時価純資産法は、貸借対照表の資産と負債の“時価”の差額として算出される時価純資産額を株式価値とする方法です。
実務上は、全ての資産負債を時価評価すると手続きが煩雑になるため、重要性の低い資産負債については帳簿価額のまま使用し、重要な資産負債のみを時価評価する修正簿価純資産法が一般的に採用されています。一般的には、有価証券や不動産、保険積立金、オペリースといった資産が時価評価の対象とされるケースが多いと思われます。
また、時価純資産法は、採用する時価の種類によって再調達時価純資産法と清算処分時価純資産法に区分されます。
再調達時価純資産法は、資産負債を再調達すると仮定した場合の時価をもって時価純資産を算出する方法です。M&Aにおいては、例えば譲受側が買収価格の妥当性を判断するにあたり、「自社で新規にその事業を立ち上げた場合はどのくらいコストがかかるか」という視点で評価する場合に適した評価手法と言えます。
清算処分時価純資産法は、資産を全て処分(売却・廃棄等)すると仮定した場合の時価をもって時価純資産を算出する方法です。M&Aにおいては、例えば譲渡側がM&Aを決断するにあたり「M&Aではなく会社を解散・清算した場合はいくらお金が残るのか」という視点で評価する場合に適した評価手法と言えます。
なお、中小企業の多くは、上場企業等で採用されている企業会計基準(GAAP)ではなく、税法基準や会社独自の会計処理方法で決算書を作成しているという実態があります。
例えば、退職金規定に従って退職給付引当金が計上されていないケースや、店舗等の賃貸借契約において原状回復義務が定められていても資産除去債務が計上されていないケースが多いと思われます。
そのため中小M&Aの実務では、時価純資産を算定するにあたり、各資産・負債の時価評価と併せて企業会計基準に準拠した決算書への修正も行われています。
“時価純資産+のれん”法について
“時価純資産+のれん”法は、時価純資産に将来の収益力として“のれん”を加算する評価手法です。
コストアプローチには、将来の収益力や市場の取引環境が評価に反映されないというデメリットがありますが、これらを反映させない簿価純資産法や時価純資産法による評価額ではM&Aにおける譲渡価格の合意を形成することは難しい側面があります。
この点、“時価純資産+のれん”法によると、客観性やわかりやすさといったコストアプローチのメリットを生かしながら、将来の収益力等を“のれん”として評価に反映することができるため、譲渡価格の合意形成に有効な評価手法として、中小M&Aの実務に定着していったものと考えられます。
なお、“時価純資産+のれん”法は、将来の収益力が“のれん”として評価に反映されるため、コストアプローチとインカムアプローチを折衷した評価方法と言えますが、のれんを無形固定資産として整理することで、コストアプローチの一類型として説明される場合もあります。
“のれん”とは
のれんとは、企業の超過収益力とも呼ばれ、具体的には、企業が保有している顧客やブランド、技術、ノウハウ、人的資産、情報資産、買収によるシナジー効果、市場の取引環境等といったものを全てまとめた無形の資産と考えられています。すなわち個別の資産負債には紐づけられない企業の価値と言い換えることができます。
会計上の“のれん”の算定方法
会計上の“のれん”は、買収金額から買収された企業の時価純資産額を差し引いた差額として算定されます。
例えば、時価純資産が2億円の会社を買収価額3億円で取得した場合、のれんは1億円(=3億円-2億円)と算定されます。また、時価純資産が2億円の会社を買収価額1億円で取得した場合、のれんはマイナス1億円(=2億円-3億円)と算定されますが、このマイナスののれんは“負ののれん”と呼ばれています。
“時価純資産+のれん”法における“のれん”の算定方法
前述のように会計上の“のれん”は買収価額と時価純資産の差額として算定されるものですが、“時価純資産+のれん”法は、のれん自体を直接算定する点が特徴的な評価方法です。
“時価純資産+のれん”法は中小企業のM&Aにおいて、仲介会社等が実施する企業価値評価の実務慣行として定着していった手法であり、“のれん”の算定方法について統一的なルールは現在のところ存在しません。
ここでは、“のれん”の算定方法として多くの会社で採用されている①年倍法と②超過収益法について解説します。
年買法とは
年買法(ねんばいほう)は、M&A後に想定される利益金額に一定の年数を乗じてのれんを算定する方法です。「年倍法」と表記されることもあり、中小M&Aガイドライン(参考資料2)では、「時価純資産法(又は簿価純資産法)に数年分の利益を加算する場合」と紹介されています。
採用する利益の種類や年数については、評価実施者により様々な方法が混在しているのが実態で、同ガイドラインでは、利益の種類については「税引後利益又は経常利益等」、年数については「通常1年~3年」という記載と併せて、「事例ごとに異なり、交渉によって決まるケースが多い」と解説されています。
超過収益法とは
超過収益法とは、M&A後に想定される利益金額から、一般的に期待される利益である期待収益を差し引いて超過収益を算定し、その超過収益に持続可能な年数を乗じてのれんを算定する方法です。なお、持続可能な年数を乗じるにあたっては、時間価値を考慮して複利年金現価係数を使用することが一般的です。
“時価純資産+のれん”法(年買法)の計算例
“時価純資産+のれん”法(年買法)の計算方法について数値例を用いて解説します。
①時価純資産の算定
決算書(BS)に計上されている資産負債について、以下のように時価修正を実施することで時価純資産を算定します。
(修正内容)
(*1)売掛金…実質的に回収不能な相手先に対する債権を減額する
(*2):土地…直近の時価に修正する
(*3):保険積立金…解約返戻金相当額に修正する
(*4):退職給付引当金…退職金規定に基づき引当計上する
②のれんの算定
のれんは「実質営業利益×3年」で計算し、実質営業利益は過去3期平均を使用するものとします。
(実質営業利益の算定)
決算書(PL)に計上されている営業利益について、M&A後に想定される営業利益(実質営業利益)に修正する。
(修正内容)
(*1):役員報酬…退任予定の現社長に対する役員報酬を加算する
(*2):新役員報酬…現社長の退任後に就任する新社長の役員報酬を減算する
(*3):保険料…現社長の退任により不要となる役員保険の保険料を加算する
(のれんの算定)
のれん=実質営業利益(45,000)×3年=135,000
③年買法による評価額の算定
時価純資産230,000(①)+のれん135,000=365,000
中小M&Aにおける利用場面と評価のポイント
前述のとおり、コストアプローチは算定方法がシンプルで心情的に受け入れやすいこと等から、中小M&Aにおいては“時価純資産+のれん”法が有力な評価方法の1つとして定着しています。
但し、中小企業の決算書は、税務基準による会計処理や、節税商品等、大企業の決算書とは大きく異なる部分があり、譲受企業側が決算書の内容を十分に理解することができず、その結果として適切な評価ができない可能性あります。
それを回避するための手段としては、中小企業の会計実務に精通した専門家に企業価値算定や財務デューデリジェンス、アドバイザリー等を依頼することが有用と考えます。
文:大山公認会計士事務所代表 大山陽一(公認会計士・税理士)
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10/21 06:30
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