【高知銀行】磐石の四国銀行に追随する第二地銀|ご当地銀行の合従連衡史
地方金融史の中に、高知銀行は2つ存在する。1つは1897(明治30)年から1923(大正12)年まで存立し、現在は高知県のトップバンクである四国銀行<8387>となった高知銀行である。もう1つは1989(平成元)年に普通銀行への転換によって高知相互銀行から改称した高知銀行<8416>だ。
前者については四国銀行として触れたので、後者の高知銀行について見ていく。
高知県内はもちろん四国地方において四国銀行のシェアはダントツだが、県内では高知銀行を四国銀行に次いでメインバンクと位置づける企業も多いようだ。帝国データバンク「メインバンク動向調査」(2023年)では、県内企業がメインバンクと認識している金融機関は四国銀行がシェア50.26%でトップであり、高知銀行が次ぐ。その割合は決して低いものではなく、27.78%と3割近い。
無尽から相銀、第二地銀へ、の定番コースを歩む
高知銀行の源流は1930(昭和5)年1月に設立された高知無尽である。ここで、無尽業・営業無尽とはどういったものだったかをおさらいしておこう。
無尽とは元々、日本における相互扶助制度の1つであった。加入者には口数という、いわゆる一定の掛け金があり、加入者ごとに口数を定め、掛け金を払い込んでもらい、1口ごとに抽選や入札などの方法によって加入者に所定の金額などを渡すことにしていた。
歴史をさかのぼれば無尽の形態は鎌倉時代に始まったとされ、江戸時代にかけてお伊勢講という無尽講では、その抽選によってお伊勢参りできる人が選ばれたりもした。
まさしく庶民金融の原初的な姿だ。ところが、明治期に入ると営業無尽という営業行為として無尽を営む組織が増えてきた。金融機関としての無尽組織だ。営業無尽が免許制となったのは、無尽業法が施行された1915(大正4)年のことである。
高知無尽は無尽業法が施行されて15年後に設立され、1951年10月に高知相互銀行に商号を変更した。その後前述のとおり1989年2月、普通銀行に転換し、高知銀行に商号を変更する。
無尽組織として誕生して以降、今日まで大きなM&Aはない。高知銀行グループとして高銀ビジネス、こうぎん地域協働投資事業有限責任組合、オーシャンリース、高知カードを連結子会社とし、地域商社こうちを子会社として経営する。
東証プライム市場より、スタンダード市場を選択
高知銀行は2006年3月には東京証券取引所市場第二部に、2013年11月には同証券取引所第一部に上場し、2022(令和4)年4月には同証券取引所のスタンダード市場へ移行した。これは、グローバルな投資家との対話を求めるプライム市場より、地域密着を図る同行の志向性にとって、より似つかわしいと判断したからだろう。
東証一部からスタンダード市場への移行について銀行は、「グローバルな観点からメインとなるプライム市場に移行することだけが重要ではない」といった考え方もあった。これは、グローバルな対応も重要だが、株主やステークホルダーとどのように向き合うかを考え、東証一部上場の各銀行が独自に最適な選択をしていくことが大切だということである。この点、2022年時点では地銀72行の東証一部上場企業のうち、スタンダード市場へ移行したのは高知銀行をはじめ11行だった。横並び意識が強いように思われる銀行業界だが、徐々に独自路線を歩む姿が見られるようになっている。
文:菱田 秀則(ライター)
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