【埼玉縣信用金庫】地銀に迫る拠点展開|ご当地銀行の合従連衡史

第二地銀のない埼玉県において、県内企業・県民にとって重要な役割を果たすのが信用金庫である。県内にはいくつかの信用金庫があるが、中でも埼玉縣信用金庫は店舗数や営業エリアなどの規模感において他の県内信金の追随を許さない。

2023年の埼玉県内企業のメインバンク調査(帝国データバンク)でも、首位は埼玉りそな銀行(16891社)であるものの、地銀の武蔵野銀行(7439社)と肩を並べるレベル(6467社)にある。

なお、誰もが不思議に思うが、なぜ「埼玉縣」と旧字体の「縣」を使っているのかを確認してみたが、明快な回答はなかった。ひょっとしたら、誕生の経緯により県内全域を「つなぐ・かける」意図があり、「縣」の字を使ったのかもしれない。

9つの信用組合が合併した信組として営業

埼玉縣信用金庫は1948(昭和23)年2月、埼玉県内の9つの信用組合(熊谷・浦和・大宮・川越市・秩父・本庄・忍町・羽生・加須の各信用組合)が合併し、埼玉県信用組合として営業を開始した。県域を網羅する信用組合であった。ちなみに、現在の埼玉信用組合とは異なる組織である。埼玉県信用組合はその翌年、1949 年に県内の鴻巣信用組合も合併している。

1951年6月には信用金庫法が施行され、会員(組合員)以外からの預金や手形割引ができる「信用金庫」が誕生した。他業態である信用組合とは名称でも明確に区別されることとなり、当時の旧市街地信用組合のほとんどが信用金庫へと改組した。同信金も、その動向と歩調を合わせ、同年10月には信用金庫法による信用金庫に改組し、 現在の「埼玉縣信用金庫」に改称した。

1962年には信用金庫の営業地区拡張に関する規制が緩和され、同信金も東京進出を果たす。現在、信金同士の合併協議が進んでいる東京都足立区や葛飾区を営業地区に加えている。

経営破綻した小川信金の事業を譲り受ける

信金への改組後のM&Aに関しては、経営破綻した小川信用金庫(埼玉県小川町)の事業を2001年1月に譲り受けている。

現在の経営状況を見ると、2024年3月末現在の預金残高は3兆1966億円、貸出金残高は1兆8706億円、店舗数は96店舗。県内地銀の武蔵野銀行の店舗数は99店舗だから、店舗数ではほぼ互角と言ってよい。店舗は県内に立地しているが、営業地区に関しては、埼玉県全域と東京都の主に城北地区や山手、千葉・茨城・群馬各県の一部も含まれる。県内全域とともに、隣県の一部も営業エリアとしている信金はめずらしい存在だ。

都道府県別に「信金の強い」エリアとしては、まず京都中央信金、京都信金がある京都が有名で、次いで、岡崎信金がある愛知県三河地区などがある。もちろん、実は大きな地銀がない首都圏も西武信金、城南信金、城北信金、多摩信金、朝日信金など大手信金が割拠している地域だ。それら大手信金に伍してグッと食い込んでいるのが埼玉縣信用金庫である。

なお、同金庫の本部・本店所在地は埼玉県北部の熊谷市であるが、2016年に県庁所在地さいたま市浦和区内に「浦和常盤ビル」を取得し、一部本部機能(業務センター)を移転した。近年、ブランドブランド戦略も一新した。2024年には営業統括本部、融資部および一般社団法人さいしんコラボ産学官という拠点も移転し、さいたま営業本部として2拠点体制を敷いている。従来、埼玉縣信用金庫は熊谷をはじめ県北に強い営業基盤があるとされてきたが、ここにきて県南での勢力拡大も目論んでいるようだ。

文・菱田秀則(ライター)

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